第345話
犇めく地平線。
それが陽炎などではなく、戦いのため集結した人々だと気付いたのは、森の木々が次第にまばらになり隙間が目立ち始めてからだった。
いったいどれほどの人数がいるのだろう。
百や千などではない。万、いやまさか更に十倍を超えてしまうのだろうか。
もはや一人一人の顔どころか体全体すら認識することは難しい。灰色の集団は渾然一体となり、まるで一つの生命体が呼吸しているかのように小さくさざ波立っていた。
「わぁお」
吐息が漏れる。
バカみたいな人数だ。
ジンさんに報告こそ受けていたが正直、少し現実感が無い。
何やら見たことのない巨大な塊は広範囲を攻撃するための兵器だろうか? それに空中にもちらちらと飛んでいるのもいる。
誰も彼もが私を殺すためにあそこにいるんだ。数えきれないほどの武器が、兵器が、魔力が渦巻いて。
「ふぅ……」
深く吸い込んだ肺に、きっとかの軍が遠くで蠢いているせいだろう、少しだけ砂っぽい空気が流れ込む。
……でもきっと彼らは唯の兵士であり、ただ自分の国を、家族を守る為に集結した人たちなのだろう。
もしかしたらほとんどは何も知らず徴兵された人達で、下手をすれば肉壁になればいい程度の扱いでその場にいるのかもしれない。
自分たちが何のために戦っているのか、本当に彼らを滅びへ導こうとしている存在が一体誰なのかを知らずに。
「――ごめんね」
タン、タン、タン、タッ、タッ、タッタッタタタッ!
足音は最早一つの音だ。
一歩を踏みつける度地面は大きく罅割れ巨大な土煙が上がり、しかし私は私自身が生み出した音すら置き去った。
全身を押し返す様に空気が巻き上がり、自分を纏う風をも引き千切る。
駆けろ、駆けろ、全身の筋肉全てを限界まで引き延ばせ!
目前に並び立った灰色の巨軍が大きく揺れた。
恐れ。姿は見えず、しかし何か強大な存在が近づいている痕跡だけを彼らは目撃し、心の底から震えあがった。
私はゆっくりと横顔に張り付いていたお面をかぶり……
今、彼らの覚悟は全て無に帰す。
「――――っちょあああああああっ!!!!」
ドンッ!!!
今までとは比べ物にならないほどの爆風が上がった。
王国軍から凡そ一キロほど離れたあたりだろうか、しかし数十秒もすれば猛烈な砂吹雪が最前線に立つ兵士たちの視線を塞ぎ、まともに周囲を確認することなど不可能だろう。
『一体何が起こってるんだッ!?』
『源龍だ! 同士討ちを避けてその場で武器を構えろッ!』
そんなことを言っているんだろうか、垣間見える砂嵐の隙間で人々が混乱のまま動き回っている。
それを私は――彼らの何百メートルも上、自分が起こした砂嵐すら飛び越えた上空でなんとなしに妄想した。
そう、跳んだ。
一度の跳躍であれだけ大量に並んでいた軍――奥の方にまだいっぱいいたので、あれは最前線的な奴だったのだろう――を軽く飛び越えた。
それはさながら馬鹿みたいに巨大な走り幅跳びだった。
服を、コートを、髪を、暴風が掻き上げる。
砂嵐を、人々を飛び越え、鳥なんかよりもずっと高い所をその体一つで舞う。
一面に広がる青い空、雲すらもが手の届きそうな場所を浮かんでいた。
少し振り返れば私が踏み出した場所に、まるで何百メートルもある龍が地ならしをしたかの如く、馬鹿みたいに巨大なクレーターがたった一つだけ生まれている。
もしかしたらあそこにいる人達は、いつか誰かに見えない巨竜の話なんてするのかもしれない。
そう考えるとちょっとだけおかしかった。
「くふ……ふふふ」
次第に重力が勝り、ジェットコースターの如く内臓が浮かび上がるあの感覚と共に、視界の雲が遠ざかり始める。
「お、おお?」
落ちる!
「おお
お
お
お
ぉ
ぉ
ぉ
ぉ
ぉっ!着地ッ!」
凄まじい轟音にびりびりと鼓膜がひりつきながら、生み出されたクレーターの中心で地面にたたきつけた右手と右ひざをゆっくりと上げる。
ヒーロー着地と言うやつだ。
ちょっとだけ痛かった、ちょっとだけ。
が、問題はそれ以外にある。
「前見えない……」
着地の衝撃で噴き上がった砂煙のせいで、周囲が一瞬夜にでもなったのかというほど暗くなってしまった。
やってしまったなこれは。
ぽてぽてと何とも言えないしわい表情を浮かべ歩いていると、次第に晴れる視界――とは言っても土煙で空は全く見えないが――の中、一人の男性が地面にへたり込んでいるのを見つけた。
「あっ、どうもこんにちは」
「えっ!? あ、あーと、どうも」
気の弱そうな人だ。
腕も全然筋肉がついていないし、何なら杖を突きながらここまで来たのだろう、しりもちをついた横には粗雑な木製の杖が転がっている。
しかしサイズもちょっと合っていない、少し肩の余った服だけが随分と立派で似合っていない。
きっとこれは軍の制服なのだろう、分厚くて見るからに頑丈そうだ。
「王国軍の人ですか?」
「あ、ああ。その、体力不足で前線に遅れてまして……本当は教師なんですけどね」
「なるほど、大変ですね」
「いやぁ本当に……源龍種なんて話でしか聞いたことないのに、まさか生きてる間に戦うことになるとは」
大変だなぁ。
「あの、王国に行きたいんですけどどっち方向か分かります?」
「あっ、あっ、あっと、ちょっと待ってね」
まだ混乱しているのだろう。
わちゃわちゃと横に転がっていた袋の中を漁った彼はようやく小さな杖を取り出し、私の手を差し出す様に左手を伸ばして来た。
大人しく従い手の甲を向けると、二度中心を叩いて小さく彼が何かつぶやいたその時だ。
「おお」
「この針が指す方向に向かいなさい。何が起こっているのか分からないが……ここは危ないから直ぐに逃げるんだ」
掌の上になんか長い三角形が生まれたではないか。
ちょっと体の方向を動かしてみてもそれは動かず、決まった方向だけをぴんと指し示している。
方位磁針みたいなものだろう。
いい人だ。
消えそうな笑みを浮かべる彼に手を振り、彼の生み出した針の方向へと歩きちょっと距離を取って……また跳んだ。
.
.
.
五回、無数の人の群れを飛び越えた。
最後に今までの中で最も人の数が恐らく多く、とても分厚い集団を飛び越えたその先にはだだっ広い荒野とまばらに広がり奥に行くほど密度が増していく建築物たち、そして最奥には蒼の塔……魔天楼が座していた。
デカい。
魔天楼はあちらの世界でも見たことがある、正確には幻魔天楼であくまでダンジョンと化したものだったけれど。
だが跳躍の度にみるみると視界を占めていくその蒼く神秘的に輝く塔は、あっという間にもはや頂上を見上げるだけで首が痛くなるほどの大きさになった。
ああ、大きいなぁ。
走り出し
人類未踏破ラインだなんて大層な名前で、バカみたいなサイズで世界各地に鎮座していた蒼の塔たち。
探索者としては一体中に何があるのか少しワクワクしていて、でも現実を知った時はそれが何本もあるんだって、異世界という存在を私へ刻み付けた絶望の象徴と化した。
それが今はこんな近くにある。
「はぁァっ!」
ズドォッ!!!
最後の跳躍は、今までで最も力が込められていた自負がある。
加速的に近づく魔天楼。
ここまでくると分かるが遠くでは随分つるりとしたように見えて、実際表面はあちらこちらに凹凸があり複雑な見た目をしている。
そのうちの一つ、小窓とも言えるとっかかりへ足を引っかけ……今度は空に向かって跳ぶ。
――見えた、頂上が……!
「――『スキル累乗』対象変更、『ストライク』。そして『巨大化』ぁッ!」
突如として生まれた途方もない質量。それは猛スピードで空を飛んでいた私の持つ運動エネルギー全てを食らい付くし、ピタリと魔天楼の頂上で私たちの身体を縛り付けた。
あまりに巨大になり過ぎたカリバーが、魔天楼に接触しギャリギャリと激しい火花を散らす。
「ぶっっっ壊れろォォォッ! 『ス ト ラ イ ク』ゥゥゥッ!!!」
ギッ
ギョリガリギャギャギャギャギャッ!!!!
それは正に質量の暴力、破壊の化身。
堅牢な外壁、万全の魔術。クレストが打ったであろう魔天楼への対策万事一切を無へと帰す理不尽なまでの一撃。
透き通る美しい蒼が無数の罅によって生まれた乱反射に食い潰され、カリバーが通った後は強制的な白の一色に塗り替えられていく。
見えた。
やはり魔天楼に上っていたのか、だが今まで見たことのない間抜けな面を浮かべた二人へ視線を飛ばし、自分でも一層笑みが深くなったのが分かった。
全部全部無駄にしてやる。
化物を倒してやると意気込んでいた王国軍の覚悟なんて私には関係ない、全部無視だ。
「馬鹿な……早過ぎる……!」
甲高い雨音にも似た欠片たちの悲鳴、吹き飛んだ頂上。
魔天楼そのものも魔石のようなもので出来ているのだろう、無数に砕け散ったそれらはまるで溶ける様に空気中へと散っていき、遠く地面に衝突する直前で全てが霧散していく。
落ち行く体。
『アイテムボックス』から引っ張り出したロープをぶん投げ、かぎ爪が引っかかったのを確認し思い切り引っ張り――二人の前に着地。
「わざわざ関係ない人達と戦うわけないじゃんばーか!」
まずは一手、私の方が先だったらしい。
「結城……フォリア……!」
高らかに告げてやった言葉で男の顔が歪むのに、然したる時間は掛からなかった。
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