第344話

 次第に明らむ空を眺め、スニーカーの靴紐をひとつ、また一つと編み上げていく。


 最終決戦。

 そう聞くと昔やったゲームのように輝く剣や、神々しい盾に鎧、ごてごてとした杖を想像してしまうが、今の私にはそういったものは一つもない。

 身に着けてるのは一つ数千円で売っていたバットに、大枚叩いて買った見た目は普通の白いスニーカー、安物のラフな服と協会の白いコート、そしてママから貰った赤いマフラーだけ。


 だが何故だろう。

 不思議と私の身体は力……いや、これはきっと充足感に溢れていた。


「ん……負ける気がしない」


 吐き気は、ある。

 くらくらとした陰鬱な気持ちがいくつも折り重なって、今も目を閉じればきっと浮かぶだろう。

 叫び続けた喉は酷く切れていてガラガラとした声しか出ないし、目の下なんてすごい腫れていてビリビリと痛い。


「負ける気しかしない顔だが」


 壁に寄り掛かり石のように黙っていた男が、少し疲れた声で肩をすくめた。

 ずい、と突き出される大きなコップ。いや私の身体からすればもはやビールとかを入れるジョッキに近い。

 覗くと中に並々と注がれた透き通った水。


 それが光を受けて妙にキラキラと綺麗で、誘われるかのように両手で受け取って……一気に飲み干した。


 ああ、美味しい。


 味なんてない。

 だがその何よりも純粋で冷たい液体が、嚥下の度に焼け付いた喉を優しく癒していく感覚は何よりも多幸感を与えてくれた。


 ぷは、と口を離す。

 あれだけあった水はきれいさっぱりに消え去り、まるきり空になった木製のコップだけが手の内に残っている。

 不安げな顔を浮かべたままこちらを見つめている男にピースサインを送り……あ、こっちの人には意味が伝わらないかと今度は何度も頷いた。


「大丈夫、もう安定した」

「本当か?」

「私は嘘つかないよ」


 私が洞窟から動かなかったのは、とあることを行うためだ。

 だがその前提となるものを手に入れるためには、世界各地の国々を回る必要がある。

 しかしどうやら彼曰く私の行動は魔力反応で追われていたようで、もしそれらを手に入れるために動き回ればクレストに行動が筒抜けになってしまう可能性が高かった。


 それ故に彼らという一団がまだ残っていたこと、互いに信頼し合った故の連携、そして飛竜の・・・どこまでも羽ばたける翼が最高の役を果たしてくれた。

 実は元々ブレイブさんの家を出た時点で全て計画していた事だったのだが、想定外の交戦であった彼らとの出会いのお陰で今回間に合ったというのは、実に奇妙な幸運と言うべきだろう。


「食事は?」

「言ったでしょ、私は物食べられない」

「難儀な体だな」

「友達が守ってくれた勲章だよ」


 今なら心の底から言える。

 私はこの身体になって、こんな体質を持てて最高にラッキーだ。

 この体質じゃなければこれから行うことは絶対に叶わなかっただろうし、琉希が助けてくれたから今私はここにいる。


「これが最後だ」


 ゆっくりと差し出された小袋は見た目こそ同じものの、サイズとしては昨日のそれと比べるとややこじんまりとしている。

 しかしやはり中に入っているのは同様のものらしく、ちゃりちゃりと硬質なものがぶつかり合う音が微かに聞こえた。


 手を伸ばす。


 私も、そして彼も無言だった。

 手と手。たった数十センチの距離がいやに長く思えて……けれど今度は震えなかった。

 躊躇いなく受け止めた私に、彼は少しだけ目を開き……小さく頷いて手を離した。


「何を見たんだ?」


 そんな彼に私は……ニッ、と笑い返した。


「き、ぼ、う」


 決して無くさないよう『アイテムボックス』へ仕舞い込み、両手を腰に当てむんと胸を張る。


「ありがとう。よく四日で頑張ってくれた」

「二度とはやりたくないな。見てくれこの隈、黒竜の鱗より黒いぞ。皆洞窟の奥で寝ている、西の巨蟹討伐をした時よりボロボロだ。君は立派な・・・上官になる資格を持っているな」


 ふ、と笑いが零れた。


「結構冗談飛ばすようになったじゃん」

「君も随分と喋るようになったな」

「私は元からめっちゃ喋るよ」

「なかなかうまい冗談だ、寝ている皆に聞かせてやりたいな」


 はっはっはと軽快な笑いを上げる男の靴をちょっと蹴り上げ、じゃあと右手を上げる。


「じゃあ行ってくるね、ジンさん・・・・、早くナナンに会ってあげてよ」

「何故ナナンだけなんだ……? ああ、それと少し待ってくれ」


 小さな金属音と共に、彼は首に下げていた剣状のネックレスを上に掲げる……二本の足・・・・ですくりと立ち上がった。


 おお、旅行先とかで売ってる金色のアレそっくりだ。

 かっこいい。


 多分そういった安っぽいのではないんだろうそれを掲げた彼はそのまま、ネックレスで妙に複雑な模様を描き少しだけ大きな声を張った。


「君に神の祝福を!」


 しゅくふくをー。


 ついでに洞窟の奥から『第一の槍』の皆が、恐らく寝ぼけまなこで上げた適当な声が飛んできた。


「教国に神は居ないんじゃないの」


 そのあまりに間の抜けた追撃にくふ、と笑って突っ込みを返す。

 前に彼が私へ教えてくれたんじゃないか。


「個々人の信仰は何人たりとて犯すことは出来ない、これも経典の一つさ」


 下手くそに頬を吊り上げてウィンクを飛ばすジンさんの顔は、ナナンに見せてやりたいほどひどいものだった。

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