第343話

 気が付くと私は何処か、知らないところにいた。


 斬られた。

 どくどくと溢れ出す血の感覚、冷たくなっていく指先の震えを他人事のように眺め、安堵した。

 ああ、今回はそんなに痛くない。


 抉られた。

 嬲られ、焼かれ、引き千切られ、どうしようもなく汚染する合成麻薬の狂おしいほどの陶酔感が精神の全てを塗り潰していく。

 でろりと解けた鉄が脳天から滑り込み、肉を、骨格を、体液を、一切を犯し蒸発させた。


 家族を撃たれた。

 弾ける頭部から垣間見えた白い脳みその柔らかさに、泣き叫ぶ兄弟の悲鳴を聞きながら、吐くほどの後悔と絶望を舐め髄液に沈んだ。


 苦しめるための拷問、指先から群がる蟻に悲鳴を上げ振り回す度、膝に食い込む鋭く尖った岩の冷たい感覚が途切れない。


 誰もいない小さな家の中、畳の上で心臓が痛くなった。

 悲鳴を上げたいのにそれすら出来ない。さっきまで手にしていたカップから溢れるコーヒーの苦い匂いに、まるで今の自分みたいだとどこか冷たい思考が嘲笑った。

 悶えることも出来なくて、どんどんと消えていく痛みが自分の寿命だと分かって……寂しい。


 何百何千匹ものウジ虫が身体を這う。

 腐った肉だけをぶつぶつぶつぶつ、腐るまでぶつぶつぶつ食む。

 死ぬまで全ては腐らない。だから彼らは傷口だけに集まって、ぶつぶつぶつぶつ食む。


 人が一番記憶するのは直前の死だ。

 だから私があたしが僕が俺があなたが君が誰が死ぬ、死ぬ、死ぬ。

 

 あとどれだけ続くのだろう。

 僕は私は俺は保っていられるのだろうか。



 ああ、また始まった。

.

.

.

「大丈夫か!?」

「だい……じょぶ……っ」


 強く肩を叩く男の叫び声に目を覚ます。


 最初に記憶している時より随分と崩れてしまった洞窟の中で、絞れるほどに濡れた服すらそのままで口を開く。


「……状況は? あれから何日経った?」

「三日だ。王国が大森林に向けて戦線を敷き終わった、決戦だ。君を迎え撃つつもりだろう」


 三日。

 ナナンやブレイブさんと出会ってから三日、私達は準備を進めた。

 確実にクレストを倒す、そしてすべてを取り戻す準備を。


 私が外を動き回ることはない。

 目の前の彼から聞いた情報からして私の行動は、この大森林を抜けた瞬間に魔力の動きでバレてしまうらしいから。

 その代わりに彼らの団・・・・が必要なものをすべて集め、私の元へと持ってきてくれた。


「これを」


 男が一つ、折り畳み財布程度の小袋を取り出す。

 地面に置かれたそれはじゃらりと、何か小さなものがいくつか入っている音を立て広がる。


 私は手を伸ばし……止まった。


 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 いやだ、触りたくない。

 もう無理だ、こんなの耐えきれるわけがない!


「……ありがとう。危なかったでしょ」

「まだ組み込むのか。君の身体が持つとは思えない」


 でも意思とは反して、なぜか震える手がそれを『アイテムボックス』へ入れた。


「多分、これでもまだ足りない・・・・・・。クレストを直接倒さないと」

「そうか……」


 やれるかじゃない。

 やるんだ。


 計画は成功する。

 少なくとも前提条件は、彼で成功させた。

 後は私が全てを受け入れられる・・・・・・・・・・かだけだ。


 握った赤いマフラーの暖かさが、鋭く染みた。


「魔天楼を持つ国家への侵入は容易だった」


 男が納得がいかないといった表情で告げる。


「多分、クレストが教国みたいに何か仕掛けてたんだと思う。私が記憶してる限りで、あの日から七回時が戻ってる。意識失ってる間も合わせて相当……」

「らしいな。我々からすれば普段と変わらないのだが……きっと、本当は違うんだろう。不思議な気分だ。常識的に考えれば凄惨であり壊滅した街の風景を見て、何故か俺は『この国は前からこうだった』と思っている。他の団員・・・・もみなそうだった」


 壊滅した街が普通の風景でないのなんて分かっている。

 けれど元の平和な街を知らない、いや、忘れてしまった彼らにとってそれこそが『普通』の風景。


 私はそれを体験したことが無いけれど、丁度今知った・・・・・・

 気持ち悪い。

 経験したはずもないのに、全て知っている。


「明日、行く。貴方達は……二人を守って」

「……俺達ではきっと、君の助けにはならないんだろうな」


 『アイテムボックス』から取り出した小袋を見せつけ、口角を吊り上げた。


「これを集めて来てくれた、それと二人を守ってくれるだけで十分」

「……笑えないなら、無理に笑わないで良い。君が無理をしているのなんて誰でも理解しているんだ」


「力がある人間がやらなきゃ、夢を持たなきゃ誰がやるんだ」

「君の信条か?」

「受け売り、本当にすごい人だった」


 すごい人だった。なんたって……

 あれ、どんな人だったっけ。


 ああ、そうだ。

 筋肉だ。頭がつるつるで、歯が白かった。


「傲慢な言葉だな」

「そう?」

「そうさ。必ずしも自分自身が弱者の代弁者になれるわけじゃない、それに意見の相違だって確実に存在するだろう」


 男はそこで一つ息を置き、肩をすくめてにやりと口角を上げた。


「だが少なくとも俺にとって、こんなに心強い言葉はない」


 少しだけ笑えた。

 再びせり上がるいくつもの記憶と吐き気に掻き消されてしまったけど。


「ごめん、休む」

「ああ……俺達も出来る限り動こう、明日の朝までにはもう少し準備できるはずだ」

「うん……ありがとう」


 洞窟の入り口、紅い髪・・・が消えていくのをぼやけていく視界。

 現実が伸びる、延びる、のびる……世界が白く染まって、いやに現実感が増していく知らない風景。


 伸ばした手が黒い。


 ああ、また始まる。

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