第342話
「ジンさん……」
「フォリア……くんか……」
彼の片手を拾い上げ、左手で軽く握りしめる。
彼は下半身を失っていた。
丁度腰から下だ。服も、鎧も、そして彼の身体すらもがまるで最初から無かったかのように、滑らかな皮膚に覆われ力なく地面へ横たわっている。
「分からないんだ……なんで、自分が死にそうなのか……でも分かる、俺は今から死ぬ……」
きっと生きるのに必要な内臓すらも、恐らくそこにはないのだろう。
「生まれつき足が無かったはずなんだが……なんでだか、妙に存在した実感がある……ああ……何言ってるか分からんよな、でも、俺にも分からないんだ……」
ならば何故今の今まで生きてこれた?
内臓すらないのなら生きることは出来ない、だが彼はその年まで生きてきた。にも拘らず今死へ向かおうとしている。
きっとジンさんは何も理解できていない、何も知る事が出来ない。
なにも感じることすら出来ず、死への道をゆっくりと、確実に歩んでいるのだ。
「ナナンは、居たか」
「錯乱してたけど、ちゃんと生きてる」
「そうか……」
次第に瞳の光が消えていく。
「何も分からない。俺は、一体何のため団にはいったんだか……何を守ろうとしていたのか、分からない。だが……」
彼が守るべきと誓ったものは全て消えてしまった。
誇りも。
全ては
「ナナンを頼む、あの子はまだ若い。きっと……叶えられる夢がいくつもあるはずなんだ……」
私はジンさんの手を離し……
.
.
.
古ぼけた木製の扉を三度叩く。
ドタバタと激しい足音が奥から近づき、然したる時間も経たずにそれが乱暴に開けられた。
蒼の瞳が私を一瞬見つめ、しかしそんなものどうでもよいとすぐ左右を何度も往復する。
「ジンは……ジンはどこ!? ねえフォリアジンは!?」
「ジンさんは……生きてるよ」
「嘘っ! ……嘘でしょ、じゃあなんでいないのよ」
「ナナン……今は会えないけど、直ぐに……」
こちらのコートを固く両手で握りしめ、目を見開き叫ぶナナン。
「直ぐっていつ!? ねえ、何でそんなこと言えるの!? 言ったからには確実にここに来るのよね!」
「それは……」
「なんなのよ……もう訳分かんないわ……なんで、なんで……」
この間の夜とは異なり誰が誰だかの認識は出来ているようだが、連続した過剰な抑圧や刺激によって精神的に参ってしまっているのだろう。
少し声を張り上げたと思えば、次には顔を抑え涙を零ししゃがみ込む彼女。
「フォリア……怪我はないかい? 少し休んで行ったら……」
「大丈夫。それに私がここにいたらナナンは落ち着かないよ」
「そんなことを気にしなくていい! ……なんでそうも急ぐんだ、休まなければ出来ることも見失ってしまうよ」
家の奥から現れた男の目には深いクマが刻まれている。
以前も多少はあったのだが、今日は一層の事深い。恐らくナナンの看護に相当手間取っているのだろう、隙間から覗く部屋は酷く乱れていた。
無理やりに押し付けたことへの申し訳なさが胸へ浮かぶ。
けれど今は彼を手伝っていられる余裕がない、やらなければならぬことが多すぎる。
「ダンジョンを見た」
「っ、そう、かい……」
彼の言葉は一瞬のどもりを見せたものの、しかし驚きの色は見えない。
知っていたのだろう。
予想はしていた。ここに数年単位で住んでいたというのなら、街へ度々出向いていたというのならダンジョンを目にしないはずもない。
「直にこの世界も壊れる……でも、もしかしたらクレストは、崩壊をわざと早めてるかも知れない」
「なっ!? それは……そんなことがありえるのか!?」
だが、今度ばかりは想定外だったらしい。
大きく目を見開き身を乗り出すブレイブさんへ、数日前の戦いについて語る。
ナナンやジンさんとの出会い、教国で起きたこと……そして彼のばら撒いた宝石について。
間一髪だった。
あのクレストがばら撒いた魔石らしきものは、程度こそ差があれモンスターのそれと同等の消滅現象を発生させている。
兵器としてアレより手軽で、圧倒的な威力を出せるものはそうそうないだろう。
だが問題点はそこじゃない。
ジンさんの下半身が消失していた症状、そして記憶の欠損、さらにナナンの発言などを鑑みると恐らく彼は、教国への攻撃にもあれを使っていた。
多分だが教国が私へ集中した隙を突き街や中枢、団の厩舎などあちこちへと配備し、一度に起動したのだろう。
多くの人が何も知らず、何も見ることもなく死んだだろう。
そして……これはつまり人為的なダンジョンの崩壊だ。
世界に罅が入れば入るほど世界そのものの崩壊は加速する。クレストは兵器として扱うと同時に、世界の崩壊を進めている。
奴が知らないはずがない。
いや、私の世界を崩壊させるため悪用していたのだから、知っていて当然。
ならあいつの目的は……
「私の予想だけどクレストは、この世界も滅ぼそうとしている。それか世界が滅びてしまってもいいと思ってる。でなきゃあんなことは出来ない」
「……理由は? 僕も何度か出会い会話を交わしたが、彼は自国の利益を何よりも重視しているように思えた。そんな人間が自分の世界を積極的に滅ぼそうなどと、そんなことがありえるのか……?」
そこが問題点だ。
私も最初の交戦時に聞いていた。彼が戦う理由はその血肉一滴すらもが自国の為だと、国の利益のために戦うのだと。
そしてその言葉に嘘は恐らくない、それを信じるだけの行為があった。
ならば何故世界の崩壊を進める?
何故あんな爆弾を散々に使える?
自国における最大の不利益とは自国の消滅ではないのか?
「……わからない」
ぞっとした。
理解不能だった。ただでさえ理解出来ない事を多く口にしていたクレストだったが、今は本当に何一つ呑みこみ切れない。
だから丸投げだ。彼の考えていることが何も私には分からない。
だが事実が指しているのだ、この行く先は私たちの世界と同じ末路だと。
「けど、クレストは異常な力を手に入れてた……多分、直ぐに私より強くなる。そうなったらもう止められない」
今もクレストの力は増している、これは間違いない。
そしてダンジョンでレベルを上げた、魔力を体に取り入れた私達は知っている。レベルが上がるほど一度に上がるレベルも大きく伸びるというのなら、クレストのように直接魔力を取り入れる場合もやはり同じことが言えるだろう、と。
「次の戦いが最後だと思う」
今仕留めるしかない。
これ以上の放置は、私の力ですら遠く及ばないほどに彼が変貌すると。
「直接王国の魔天楼に向かう。自国の利益を守るってなら、クレストは絶対そこに現れる。そこで全て終わらせる」
◇
「一週間、不気味なほどに動きが無いねクラリス君」
少女の巨大な魔力が大森林に消え、一週間が経った。
王国は大半の監視を巨大な魔力の注視へと――源龍種の出現を危惧してと銘打ってはいるが――割いているものの、未だ彼女が大森林を飛び出した兆しはない。
「恐らくフォリア君は焦っているはずだ、私の力の高まりにね。直に彼女はここへ来るだろう、次の戦いが私に勝つ唯一の機会だとね」
「ええ」
香りがよく紅い液体をくい、とカップから飲み干し、クレストは熱い吐息を零した。
「彼女を迎え撃つには大規模な戦闘になる、恐らく世界への損傷も限界を迎えるだろう」
「はい」
「各部隊へ伝達してくれ。配備された概念戎具の使用を許可、教国との境界である大森林に対し第一級戦闘配備を取れ、と。大森林より出てくる存在、その一切の撃滅を命じる」
第一級戦闘配備。
源龍種を撃ち滅ぼす為に執られる実質的な総力戦の体勢だ、間違っても少女一人に対し使われるような指揮ではない。
しかしクラリスは驚くこともなく淡々と頷き、なにやらいくつかの魔法陣を展開し連絡を飛ばした。
「確実に
「全て」
満面の笑み。
貼り付けたかのような笑みではなく、心の底からの笑みを浮かべたクレストは数度拍手をクラリスへ送り、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「素晴らしい、やはり君は優秀だな」
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