第339話

「ない……あっちも……!」


 暗い世界を跳んだ。


 月明かりが照らすのは虚無だ。

 まるで何か巨大な刃で滑らかに切り裂かれ、ぴったりと貼り付けたかのように歪な歪みのまま繋がる家々。

 そのどこにも人はいない。


 音無く、影無く、気配無し。

 来た道と間違いなく同じ木々や森を抜け、確かに私の視界の先には蒼白く輝く教国の魔天楼が見えるにも拘らず、ジンさんの竜の背に乗って眺めた風景が綺麗に消え去っている。


「まさか、ダンジョンが崩壊して……?」


 背に嫌な汗が滲んだ。


 この何かが消え去る風景に私は覚えがある。

 ああ、いったい何度見ただろうか。だが忘れるはずもない、私以外の皆が忘れようと決して。

 崩壊したダンジョンから溢れ出したモンスター達は手足の生えた爆弾で、記憶すらをも呑みこみ周囲を消し去ってしまう。


 この世界にもダンジョンが存在するのは確認した。

 ならありえなくはない。いや、私の世界で起こった事象がこちらでも起こっているのは確定だ。

 あの美しい白一色の街並みは、竜から眺めた壮観は、私がナナンを連れここに戻ってくる間の僅かな時間で、まさかほぼ全て呑みこまれてしまったのか!?


「くそっ」


 こんな最悪なタイミングでダンジョンの崩壊が起こるなんて……いや、待て。

 まさかクレストは……人為的にダンジョンの崩壊を起こすことが出来るのか!?

 何も知らない教国の人たちにモンスターをけしかけ、誰も彼をも無差別に消し去ってこの国を……!?


「ジンさん……!」


 一体何処に行ったの!?


「――!」


 私の姿を塗り潰す影。

 滴る血と共に、巨大な翼が月を覆い隠した。



 銀の懐中時計が月の明かりを返す。

 絶え間なく動き続ける秒針をじい、と見つめ、二色の虹彩は物憂げに少し狭まった。


「クラリス君、遅いね……フォリア君と出会ってしまったのだろうか」


 その時、男を襲っていた槍の暴風が、ぴたりと動きを止めた。 


「フォリア……!? 貴様、あの子を知っているのか」

「ふむ。ああ、時が戻ったからか君と彼女はさほど話をしていないのカッ!?」


 爆槍が男の左眼孔を刺し貫く。

 絶叫は無い、静寂だけが二人の間を満たしている。


「――ッ!」


 どぷり。

 涙にも似た無色透明の液体が弾けた眼球の奥底から吹き出し、ジンの頬へと飛び散った。


 確かな手ごたえ、経験から分かる致命的な一撃。

 あと数センチ、いや、爆槍を起動するだけでも、目の前の男は肉片すら残らず弾け飛ぶだろう。


.


「人が話をしているんだ、そう急かさないでくれたまえよ」


 男の瞳を狙った爆槍が、激しい火花を散らし短剣の腹を滑っていく。 


 ジンがこの男を見つけたのは完全に偶然、木々の影をゆっくりと歩きどこかへ向かおうとする彼を目にしたため。

 だがその身のこなし、そして何より黒い礼服によって目立たぬが、相棒の竜であるサラが血の匂いを嗅ぎ分けたことで交戦が始まった。


「っ! 速い……!」


 追撃を狙う男へ、牽制の薙ぎ払いを返し大きく後ろへと飛び退くジン。


 やはり只者ではない。

 槍と短剣、本来ならば相当の実力差があろうと一方的に槍によって突き殺されてしまう。

 しかし男のなんと軽快な身のこなしよ。明らかな死角を狙おうと、まるで全て見えている・・・・・・・かのように避けられてしまう。


 未だにジンは一度も男へ傷を付けることが出来ず、何度か浅い攻撃を受けてしまっていた。


「彼女は復讐者さ、この私への。我々の魔天楼によって彼女の世界は崩壊したんだ、だから憎んでいる。この世界を、そしてなにより魔天楼と私をね」


 信用し難い言葉だった。

 何故目の前の男が、あの少女の明らかに本人が語るはずもない情報を知っているのか。

 しかし何故だろう。ジンはすんなりと男の言葉を信じた。

 全て何処かで聞いたことがあるかのように、酷く心が納得をした。


「ああ、君たちは知りもしないだろうね。カナリア君が書き上げた狭間と異世界の基礎理論は我が国家の重大機密だ、君たちが知るのは狭間の存在止まりだろう」

「何故そこまで知っている! カナリアとはあの研究者カナリアか? 貴様は一体……!?」


 カナリアと言えば知らぬ者はいない、かつて生きていたエルフの研究者だ。

 その革新的な研究と発見の多くは凡人には理解しきれぬ内容であったが、現代に続く魔術のいくつかは彼女の基礎理論ありきで成り立っている。

 王国への反逆罪によって処刑されたが、未だ彼女の信奉者多い。


 だが目の前の壮年の男は一体どういうことだ。

 四十、いやもう五十年になるか。彼女の処刑は彼が生まれる遥か以前に行われたに違いない、しかしその口振りはまるで親しい相手でも語るかのようではないか。


「マチス帝国」


 ぽつりと、聞き覚えのない国名を男は呟いた。


「アルテミシア国、フォルビア及びミリー連合王国、ラデルフィア共和国、アドニス連邦、サリスファイ公国」

「……何の話だ」


 次々に上げられる国名は、どれもジンに聞き覚えのない国であった。

 ジンは『第一の槍』団長だ。周辺国家の関係性、そして基本的な歴史は凡そ学んでおり、その知識の中には当然国名の変遷等も入っている。

 だが男の挙げた国名は、その一つ足りとて・・・・・・歴史上に存在していない。


「かつてこの周辺に栄え、我々の生活様式や文化にも関係が色濃く残っている国家さ。事実大半は十数年前互いに交流関係を持っていた」

「何を言っている……何を言っているんだ貴様は……!?」

「だが今は誰も知らない。君の着る制服の由来は確かサリスファイの様式だったな、だが団長を名乗る君は知りもしない。疑問すら持たない、元々教国で生まれた服だと思い込んでいる。教国の成り立ちすらも忘れてしまっている!」


 その興奮は怒りか、嘲りか、それとも腕の動き一つすらもが演技がかっている目の前の男の、ただの大げさな表現に過ぎないのか。

 物語を騙るにはいささか感情と現実感があり過ぎる内容を騙る男は、短剣を片手に悲しげな表情を浮かべ小さく横に首を振った。


「特にアドニスの果実酒は本当に質が良かった、食前酒として愛飲していたから実に残念だよ。かの国は情報の収集に貪欲でね、魔天楼の数も多く見逃すにはあまりに大々的に行動をし過ぎていた」

見逃す・・・? 待て、ならその国々というのはまるで」


 その物言いはこの男が国家消滅の手助けを……いや、主犯であるかのようではないか。


「安心したまえ、嘘はついていないさ。気になるならフォリア君に聞いてみるといい」

「――!」


 見事。

 ジンの動きは経験から来る反射的な回避であり、目前の男からしても想定外と言えるほどの俊敏なものであった。

 力強く跳躍し、背後への離脱。



 だが、ジンが五体満足であるためには一手遅かった。



「彼女と出会わせる予定は、生憎今の所ないがね」


 ジンの上半身のみが、どざりと地面に転がった。

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良いお年を

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