第340話

「困ったな……クラリスくんは一体どこに行ってしまったんだろうねぇ」


 月明かりの下、クレストは小さくため息をついた。


 先程中枢を襲撃した時点では間違いなく彼女がいたはずなのだが、ふと気付けばクラリスは姿を晦ましていた。

 連絡は飛ばしているがどうにも反応が無い。まさか巻き込まれた・・・・・・とは思えないが、はて、捜索を出すべきだろうか。


 山道を歩きながら顎に手を当て薄く目を瞑る男へ、背後から少し窶れつつも聞きなれた声が掛かる。


「……クレスト様」

「ああ、クラリス君……!? どうしたんだいその服の汚れや傷は!」


 彼女の藍に染まったローブがひどく傷ついている。


 この世界に最早クラリスと同等の戦闘力を誇る存在は数えられるほど。

 嘗て生息していた強大な魔獣は魔天楼の力によって多くが駆逐され、人外と称された者共は抗うことの出来ない消滅によって存在すら消え失せた。


 彼女に傷を付けたのは誰だ。


 クレストの脳裏に金髪が揺らめいた。


「ありがとうございます。怪我は負わなかったのですが……」


 くしゃりと、表情が歪む。

 ほぼ同時にクレストは予感が確信へと変わったのを理解した。


「件の少女が現れました」

「フォリア君か。やはり来ていたんだね」


 ジンが姿を見せた時点で可能性自体は考慮をしていたものの、こうも行動が早いと対応もしづらいものだ。


「困ったな……まだ全てが終わった訳じゃあないんだが、少し来るのが早過ぎるね」

「教国の中枢は壊滅、また主戦力である団もその大半は事前の『クレネリアス』によって消滅しており、今後国家の体裁を保つことは不可能でしょう」

「ふむ……」

「撤退すべきか、と。彼女の迎撃にはまだクレスト様の身体が……」


 数秒の思考を挟み男が頷く。


「よし、主治医の言うことは聞くべきだ。君の言う通りにしよう。転移魔法の準備をしてくれ」


 暗闇に消えるクラリスを見送った男は、少しばかり右腕の袖を捲り上げ小さく呟く。


「試したいところだが、今はまだ戦いたくないねぇ」


 銀の腕輪。

 しかしそれよりも目を引くものは、それが装着されている腕だ。

 特に腕輪の周りは黒く変色しており、細かな黒い石にも似た何かがあちらこちらへと付着している。

 一見するとかさぶたのようにも思えるが、しかし月明かりを受け輝く様子は漆黒の、宝石か何かの原石にも見えた。


 異様だ。病変の類か、それともまた別の異常事態が起こっているのか。

 だが男はそれを何か愛おしいものであるかのように小さく撫で、そっと捲った袖を元へ戻し空を眺める。


「おや?」


 ふと見つめていた月に、黒点が降りた。

 

 それは見る間に姿を大きく膨らまし……はためき広がる黄金の髪が、いやに目に付いた。

 少女だ!

 少女が空を駆け、恐ろしいほどの勢いで一直線にこちらへと向かってきているッ!


「――ぁあああアアッ! はぁッ!」

「なっカッ!?」


 目にも止まらぬ勢いで空を滑空してきた純白のシューズが、男の顔面へと真っ直ぐに突き刺さった。

.

.

.


 視界の明滅、世界が塗り替わる。


「……戻された」


 全身が強烈な横方向へのエネルギーを持っていることに気付いたのは、ほぼ同時であった。

 たった数秒。私が奴を蹴り飛ばすため空中を舞っている、まさにその瞬間へと戻されたのだ。


 目前にて月明かりを受け閃くクレストの短剣、実に余裕をもった態度で構える彼。

 空中の私は回避など出来る訳もなく、無慈悲に切り裂かれる運命。


 なんて、舐めるなよ。


「『巨大化』、『アクセラレーション』」


 ドンッ!


 激しい土煙と共に地面へと叩き付けられたカリバー。

 地面の奥底に埋め込まれた相棒の柄を片手で軽く握ると、私の身体は柄を軸とした円運動を新たに生み出した。


 短剣の軌道から体が外れる。

 狙いは一つ。あまりに無防備で、あまりに余裕に満ちたその顔を……



「――ッシャァッ!!」


 ――蹴り飛ばすッ!


 靴底に伝わる、骨が軋み肉がぶちぶちと引きちぎられる無音の叫び。


「まだ終わらせない」


 『巨大化』を解きカリバーを引っこ抜き、再び跳躍。


 雑に吹き飛ぶ男の全身。

 土埃に隠れ見えなくなりかける奴へ間隙を入れずの追撃、地面へ這いつくばるその黒い影へ片手での素早い叩き付け。


 甲高い金属音が響いた。


「……ぇふっ……早かったじゃあ……ないか……」


 土埃と血に塗れぼさぼさの頭。

 地面からどうにか上半身を起こした男はナイフを両手で抑える様に抱え、私の一撃を震える腕で受け止めていた。


「――ドッキリは嫌い? 私の周りは好きそうな人ばっかりだったんだけどね」


 力強い羽ばたきと共に、背後から暴風が生まれる。


「この子が連れてきてくれたんだ」


 仁王立つ背後に降りる影、月を覆い隠し牙を剥く。


 人は、人と動物を分けたがる。

 知性。思考能力の違いが動物と人間との差だと、それ故に我々はより優れているのだと。

 だが人が思うより、人と動物というものに然したる差は無いのかもしれない。

 野蛮で粗暴だと言われる動物たちは案外人並の愛情を持ち、思いやりを抱え、己が守ると決めた存在にならば時に人のそれ・・すら超え命を燃やし戦うのかもしれない。


『オオオオオオオオオオオッ!』


 傷だらけの翼をしかし気高く揚々と広げ、竜が天を突くほどの咆哮を上げた。

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