第337話

「奇遇ね、人質ちゃん・・・・・


 風にはためく瑠璃のローブ、隙間から覗くのは夜の闇を溶かしたかにも思える褐色の肌。


「貴女は確か、カナリアの……!」


 クラリス。

 クレストの付き人のようなことをしていた、確か彼女はカナリアの幼馴染だったはず。


 ここで私のうっすらと考えていたことがやはり事実であったことに、苦い感情が口内を満たした。


 時が戻り、そして以前の時間軸とは全く異なる現象が立て続けに起こった。

 それはすなわち依然と全く異なる動きをした人間がいたわけで、ならば当然その存在は記憶を保持している可能性が高い。

 その上時が戻ってたった数時間程度で国に攻め込むなんて……余程の権力を持っていなければあり得ないだろう。


「クレスト……ここに来てるの」


 返答は、ない。

 ただ彼女は屋根の上に座り込み、逆光で見えぬ表情のおもてをじいとこちらへ向け、黙々と頬杖をついている。


 待ち伏せされた?

 でも周りに動く影は無い……クラリス一人だけ?


 出来ればナナンを連れてさっさとここから逃げ去りたい。

 だがクレストがいるのなら、彼がどこかから狙っている可能性があるのならそれは出来ないだろう。

 時を戻された瞬間が隙になる。厄介だ、いてもいなくても。


「――思ったより元気にしているみたいねぇ、精神の一つでも崩壊していると思ったのだけれど」

「一つしかないじゃん、そう簡単に壊せないよ」


 耳を澄ます。

 風が木の葉の囀りを運び、虫の媚びた鳴き声が途切れ途切れに


「そんな気を張っても疲れるだけだわ、もっと流されてみたらどう?」

「流されに流された結果今ここにいるんだよね」


 本格的な戦闘はナナンがいる限り無理だ……でも、攻めるか?

 何故か攻撃を仕掛けてくる気配はないけど、だからといってはいでは逃げますと安心して背中を見せられるような相手じゃない。


 隙だ。

 逃げる隙が必要だ。目をくらまし、行き先を阻み、私を追うにも時間がかかるような何かをしなくては。


「いくら警戒しようと誰もいないわよ。その子が逃げたのに気付いたのは私だけだもの」

「やっぱり貴女達が何かを……この国の人たちに何をしようとしてるの」

「人質ちゃんがこの国に近付かなければ、その子がそんな怪我を負うことも、今日・・これほどの被害者が出ることもなかったでしょうね」


 私のせい。


 どくりと心臓が跳ね上がり、頭の後ろの方が堪らなく熱くなって……違う。

 違う、そんな理由じゃないと冷静な自分が思い切り水をかけた。


「うそ、本当は全部知ってる。魔天楼があるからでしょ、どうせ私が近づかなくてもいつかここを潰すつもりだった、違う?」

「つまらないわね。そこで少しくらい狼狽えるならまだ可愛げがあったのに、案外聡いみたいだわ」


 大げさに肩をすくめたクラリスは小さく首を振り、なおも攻撃の気配すら見せずその場に座り続ける。


「人は幾ら後悔しようと自ら進んだ道を戻ることは出来ないわ。けれど過ちに気付いたその時から、背負う錘は一歩進む毎に鋭く食い込んでいく……よく耐えられるわ、目も逸らさずあなたが思うことを思うがままに見続けるなんてね」




「耐えれないよ」




 喉に引っかかった何かを呑みこむ。

 何も感じない……けど、この世界に来てから少しだけ掠れるようになった声が、一段と低く振るえた。


「何度も夢に見る。こびり付いた悲鳴を、温い血と滑る肉の触感を、サイゴに見た友達の笑顔を、何度も何度も何度も何度も思い出す。……まだ信じられないよ、本当にもうないのかって。だって消えたって証拠がない、証拠すらも・・・ないんだよ?」


 瓦礫の下、冷たくなった手を引っ張った。

 顔も見えないほどに潰されたその顔は見るも無残で、どうにか出てきた下半身はまだ筋肉が硬直しきっていないのだろう、だらりと柔らかく動いた。

 でもそれだけじゃなかった。

 何かを抱いていた。小さくて、柔らかい布に包まれていた何かは……彼の胸元で周囲の色と同じ赤黒い液体に彩られていた。


 全部全部どうにかなると思ってた。

 後ろで聞こえる悲鳴も、私を先に送り出した人たちが黒い影に群がられる姿も、全部全部取り戻せるんだって言い聞かせた。

 探索者になって前向きになれた気がした。でも学校で虐められてた時も、家でママを待っている時もずぅっとしていた、私を待っていたのは同じ現実逃避。


「意味わかんないよ……私達は何もしてないのに、こんなバカな話ある!?」


 そこにいたのが悪いのか? 生きているのが罪なのか? ただ世界が隣にあっただけで、私達の世界は魔天楼に、クレストたちに破壊されないといけなかったの? 何も知らないで生きていた方が良かったの?


 抗うことは、罪?


「あってたまるか……諦めてたまるか……! まだ終わりじゃない、終わらせたりしない。私が生きている限りなにも終わってない、絶対に終わらせない……この力がある限りまだ、私は狂えないっ!」


 もう、本当は狂ってるのかもしれない。

 恐怖に、憤怒に、孤独に、絶望に、頭がおかしくなってるのかもしれない。

 いや、きっとなっている。


 でもそんな壊れた頭でも理解できることがあった。


「間違った道を進んだなら今から方向を修正すればいい。進み続ければ戻る距離が遠くなる、気付いた今が最短距離。私は今、にいる」

「…………そう」

「私は私があってると思う事をする。横で教えてくれる人はもういないけど、今まで皆が教えてくれたことが私に教えてくれるから」


 何故か一瞬、彼女は心底驚いたように目を見開き、考え込むように息を呑みこんだ。


 今だ。


 一年程度、熟練からはほど遠い戦いの経験。

 しかしその中で確実に培われた直感ともいうべき脳内の声が、この間隙を突けと鋭く叫んだ。


「『アクセラレーション』」


 背負っていたナナンを手放す。

 未だ固く目を閉ざしたままの彼女は、まるで中空にピタリと張り付いたかのようにとどまり、目に見えぬほど僅かに、けれど確実に地面へ落下を始める。


 『アイテムボックス』から握りなれたグリップを掴み上げ、ずるりと引き抜き……全身が風に為った。


 それは普段戦いなどで気疲れする団員たちを気遣い、気張り高ぶった精神をなだめる緑で囲ったのだろうか。

 もしかしたら飛竜達の訓練のため複雑な木々を敢えてそのままにしているのかもしれないし、ただ予算が無くて放置しているだけかもしれない。


 巨木と言えるだろう。

 大の大人が綺麗に隠れてしまえるほど太く、大きな木々を突き抜ける強烈な打撃。


「はァッ!」


 五本、六本、七本……そして八本。

 厩舎を中心としてぐるりと取り囲むようにへし折られた木々は、まだ自分自身が折られたことにすら気付いていないのだろう。

 だが確実に、その鎌首はクラリスへと向きつつあった。


「よっと」


 ナナンを再び背負い直した瞬間、色を失っていた世界が再び時を思い出した。

 超巨大質量が、規格外の速度をもってクラリスの座す厩舎へと一目散に突撃する。



「――!」

「じゃあね」



 けたたましい轟音が静寂を切り裂く。

 暴力的なまでに突貫する質量が、自分自身を粉微塵にしてまでの破壊をまき散らし、硝子や金属すらをも引き千切って突き抜けた。


 どうせ死んではいない。

 カナリアはもっとすごい魔法を、何度も何度も撃てるような人間だった。

 それを耐え抜いた彼女がこの程度で死ぬはずもない。


「ちょっと揺れるよ、ナナン」


 でもこれで私を追うことは出来ない。


 だらりと垂れるナナンを軽く背負い直し、私はその場から一目散に走り出した。

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