第332話

 『箱庭』。


 便宜上の名を付けられたこの未知の存在が報告されたのは、ここ十数年ほどのごく最近だ。

 細かな装飾こそ各々異なれど一概にして扉は金属質であり、奇妙な事に潜り抜けた先には未知の空間が広がっており、既知未知問わず多様の植生、そして知られた魔獣や空想上の存在が闊歩している。

 また内部に存在する生物の膂力は場所によって差が激しく、内部の調査も一向に進まず、まためぼしい資源も少ないことから半ば放置されているものが多い。


 しかしかの少女が箱庭に逃げ込んだ。

 これは彼女に人間と同等の知性、或いは一般的な常識があることを示していた。


 当然だが『扉』とは人間の生み出したもの、空間を隔てるための機構だ。

 もし彼女が人の形と似通っただけの魔獣や源龍種の類であるとするならば、『扉』を見てもそれは唯の得体が知れぬ金属質な板であり、『開ける』という考えを持つことはあり得ない。

 勿論普段から扉の存在を目の当たりにしている愛玩動物などは、時折扉の概念を理解している節を見せるが、それもやはり人間の近くで生きてその機構を学んだ故。


「やはり、人間か?」


 可能なのか、あれほどの魔力を蓄えなお人間と称することが。


「何がよ」

「いや、唯の独り言だ。そろそろ場に着く、少し揺れるからしっかり抱き着いていろ」

「――! だ、だっだだだ抱き着く!? 抱き着くって……抱き着くってコト!?」


.

.

.


「団長!」

「総員気を抜くな、いつ飛び出してくるか分からん」


 密林の最中、異質に聳える金属質の扉へ木々の裏や枝へ止まり囲む部下に声をかけ、ジンは地面へ降り立った。


 なるほど、確かに扉の周りには恐らく少女が取り払ったのだろう、植物の残骸が巻き散らかされている。

 報告に間違いはないらしい。


 しかしもはや少女と交戦する意味はない。

 彼女が『箱庭』に逃げ込んだのも恐らく一時的、攻撃から身を潜め我々が立ち去るのを待っている可能性が高い。

 ならばこのまま様子を見て、少女が教国以外の方向へ向かうことを確認し帰還すれば今回の作戦は終了。


 竜が空に飛び立ったのを確認し、ジンとナナンは他の団員と同様木の裏へ身を潜める。

 息を深く、慎重に、音を消し吸い込み、意識を研ぎ澄まし、静寂に飲み込まれ……


 瞬間、扉が打ち震えた。


「構え」


 薄暗い森に各々の握る爆槍の鋭い煌めきが抜ける。

 魔力は最大にまで充填されている、彼女の態度が変わり暴れ出した場合に少しは時間を稼げる可能性がある。


 喉が、いやに乾いた。


「彼女が……件の『怪物』だ」

「は? 何言ってんのよ、子供じゃない」

「ああ、本当にな」


 二歩、少女が前へ歩みを進めた。

 今まで最も近い距離だった。

 表情のない、悲しいほど鋭く、だがまだ幼い顔つき。


 三歩、足元の小枝がパキリと悲鳴を絞り上げる。

 彼女は手にした金属質の棒を……手放した。


「いるんでしょ、匂いがする」


 落すと同時、棒はまるでその先から虚空へ解ける様に消える。


 唯の鳴き声を、心のどこかで恐怖を感じていた男達が何か意味のある言葉に、いや、自分たちにとって都合の良い言葉に受け取ってしまったのだろうか。


『――!?』


 視線が一人一人を貫く。

 木々の裏の存在を、空を舞う大翼たちを、一つ一つがまるで見えているかのように、全て察知しているかのように、金瞳の睥睨が男たちを舐め回す。


「話したいことがある、私に戦う気はない」


 二度目を聞き逃すことは無かった、聞き逃すことなど出来るはずもなかった。

 そう。それはどこか直訳的で、しかし明確な意思をもって発せられた共通語であった。



 扉を潜り抜けた瞬間、酷く鼻を突く甘い匂いにくらくらする。


 あの人たちの爆発する槍。あれは魔力を相当使っているみたいで、特に近くにいる程に中々の匂いを発しているから分かりやすい。

 木の裏かな。

 正直出てきた瞬間に槍を投げてくるかと少し構えていたけど、なんかちょっと雰囲気が変わったっぽい。


「いるんでしょ、匂いがする」


 私が口を開いた瞬間、木の影にいる存在たちが息を呑んだのを全身で感じた。


 通じている。

 私の意思を理解している、疎通が可能にあった。


「話したいことがある、私に戦う気はない」


 私にとって『スキル』は戦うためのものだった。

 効率的に体を動かし、強化し……だが、それだけじゃあない。

 ダンジョンシステムによって獲得できるスキルは全て、何者かの固有魔法であったり、なんらかの『元ネタ』が存在する数多の魔法を再現したもの。


 ならば存在するはずだ、確信と共に探し……存在した。


 スキル『翻訳』。

 完璧な会話は出来ないらしいが、意思の疎通が出来るのと出来ないのとでは雲泥の差だろう。


「なんだ、普通に話せるんじゃない」


 見知らぬ蒼い髪の女の子が、ふん、と鼻を鳴らし近付いてくる。

 この子は攻撃してきた人達とはまた別の何かなのだろう、一人槍ではなく金属質の杖を握りしめていた。


「子供?」

「あんたもでしょ!?」

「私は子供じゃない」


 この感覚を私は知っている。


 カナリアだ。

 どこか尊大で、妙に好奇心が強く勝手にどんどん話を進めていくタイプ。

 あとうるさい。


 でも運がいい。

 この人はあんまり状況を分かっていない分あんまり警戒していないみたいだし、好奇心も強層で話も他の人よりだいぶやりやすそうだ。


「ナナン、容易に近づくなッ!」


 髪の赤い人が叫んだ。

 もう元気にしてる、元気だな。


「名前、ナナンなの?」

「ええ、知らないの? でも勝手に呼ばないでくれる? 私これでも偉いの、第二の盾の最年少団長でしかも術院の歴代二番目の若さで卒業した天才なのよ! 最低限敬称を付けてくれるかしら?」

「そうなんだ、分かった。ナナン、よろしく」

「様は?」


 周囲をちらりと見る。


 見える限りでも十数人、ナナンがホイホイ近寄ったのを見て慌てて出てきたのだろう。

 だがこの子が私の近くにいる限りあの槍を投げてくることは恐らくないだろう、なんか地位とか偉そうだし。


 こう近くで見比べてみると一人、髪の赤い人だけ服装が豪華だ。

 細かな装飾が鎧にたくさんついているし、あの人はもしかして隊長なのか。


「髪の赤い人」

「……なんだ」

「貴方が一番偉いの?」


 数秒の沈黙。

 男は槍を足元へ静かに置き、両手を空へと上げ静かにその場へ跪き呟いた。


「……ああ、今までの君への攻撃指示はこの私が出していた。無礼を詫びよう、意思の疎通が不可能な以上あれ以外の選択肢が無かった。だが団員は私の指示に従っていたに過ぎない、もし」

「気にしてない、怪我してないし」

「そ、うか……そうか……」

「様付けて?」


 男の前まで歩み寄る。

 ついでにナナンもなんか言いながら私の横を着いてくる、うるさい。


「質問に全て答えてほしい」

「待ってくれ、あまりに唐突で……いや、はい、了解しました。許可を得た、可能な限りは答えよう」


 何か通信する手段でも持っているのだろう。

 ゆっくりと耳元を抑えた男は小さく呟き、打って変わった態度と共に二度ほど頷くと、再び手を……に突き出しこちらへ口を開いた。


 別に何かするつもりはないけれど、どうやら私を刺激しないように徹底的に従順な態度を取ってくれているみたいだ。

 まあ楽でいいけど、なんか悲しい。私何にもしてないのに。


「貴方は、クレストという人を知っている? 王と名乗っていた」

「クレスト? 王国の現国王ならばクレストだ」

「『単刀直入』に聞きたい、貴方たちはその王国と仲いいの?」


 これは質問ではない、ただの確認だ。


「『タント』……? ああ、我ら教国と親密な関係とは言えないだろう。いや、はっきり言ってしまえば我が教国の仮想敵国はかの王国だ」

「ナナン、ほんと?」

「ええ! あいつらムカつくのよ! 魔道具の開発で調子乗ってるし、どの国にも高圧的だし、なにより五十年くらい前に・・・・・・・・有名な研究者の研究書類全部燃やしたし!」

「そっか」


 教国、王国、か。


 ナナンの態度、そして私を殺そうとした割には貧弱な爆発する槍という武器。

 事前の情報と合わせてやはり彼らは王国とはまた別の国、という予想は合っていたか。

 勿論彼らがすっとぼけ、嘘を吐き、私を騙そうとしている王国の兵士という可能性もありうるが……まあ、ナナンの感じからして多分ないはず。


 多分ナナンは本音をドバドバ言っちゃうカナリアみたいなタイプだし。


「信じられないかもしれないけど私は、異世界から来た」

『――!?』


 賭けだ。

 彼らが協力的であれば話は多少早く進む。

 非協力的なら……まあ、私にはやるべきことをするだけ、たとえどんなことが起ころうと絶対に。


「ねえ、様を付けなさい! 様! ナナン様!」

「ナナン黙って、うるさい。私今真面目な話してるから」

「私はうるさくないわ! だって今まで一回もうるさいなんて言われたことないもの!」

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