第330話

 遠く続く草原、まばらに生える木々。

 静かな生命の営みが行われる場にその竜達は突如として上空に現れた。


「……そうか、何も見当たらないか」


 ぽつぽつと上がる部下からの報告を聞きながら、竜の背に跨ったジンは羽ばたきに揺られながら頷いた。


『ジン、目標は既に目視圏内に存在しているはずです。警戒を』

「ええ……とは言っても」


 転移によって直接送られたため、指示を送っているエイルの握る情報と己が目の当たりにしている風景に遅延は無い。

 だが……


 草が風にその身を揺らめかせ、萌葱の色をした兎が何やら獣に追われ逃げ惑っている。

 その距離は刻一刻と狭まっており、直に体力が尽きた兎は狩られてしまうだろう。

 捕食者と非捕食者、市街地を少しばかり抜け出してしまえばありふれた光景だ。


 そう、あまりにありふれている。

 この地に強大な魔力反応がある、だなんて信じ難いほどに。


「やっぱり何かの間違いだったんじゃあないですか?」

「だと良いがな」


 団員の一人が上げた声に含みを残した返事を口にしたジンは、手綱を軽く振るいゆっくりと前進した。


 認識阻害が掛かっているとはいえ竜は巨体だ。生み出す音は人間のそれと比べ大きい、あまり激しく動けばすぐに剥がれてしまうだろう。

 もし対象が己たちへと敵意を抱いていたのなら、姿を確認できていない現状で一方的に敵側からの襲撃を受けかねない。


 草が大きく踏み潰された形跡はない。

 地面が荒れた様子も、木がなぎ倒された形跡も。そして何より先ほどの動物たち。

 もし脅威が存在しているのなら巣や穴へと潜り込んで姿を見せないはず。


 自分が今相手にしようとしている存在は一体何なのか。

 十数年ばかしの戦闘経験が、己の知識が、何一つとして候補を上げない。

 不気味だ、恐ろしいほどに。 


「団長!」


 一人の団員が小さく鋭い声を上げる。

 瞬間、竜、そして人全てに警戒の電流が走り抜けた。


「――!」


 彼女の握りしめた槍が指し示す方向に目を向けたジンは、小さく息を呑む。


『ジン、報告を』


 耳元の機器からエイルの指示が飛ぶ。


「……いや、やはり魔獣らしきものは何一つとして」

『ジン。私は全てを報告しろ、と言っているのです』


 微かなどもりと共に吐き出されたジンの言葉を鋭く刺すエイル。

 男の額に小さな汗が浮かんだ。


「……人間が、一人。とても小さい……黄金色の髪に、恐らく女の子です」

『彼女が目標でしょう、手筈通りに爆槍を』


 絶句。


 あの小さな子供へ、爆槍を?

 一つ投げれば並みの家屋は吹き飛び、木々は微塵となり、源龍種の堅牢な鱗すら抉り抜く兵装を?


「彼女は関係ないだろう! ……ただ偶々ここにいただけだ。きっと他に魔獣がいるはず」


 それは団員ですら聞いたことのない、団長の心からの怒鳴り声であった。


『一人で普通の子供が、しかも大森林近くの草原を歩き回っていると?』

「……話せばわかるかもしれない」

『貴方の安直な判断で、その少女と同じ齢の子供が数百、数千死ぬことになるかもしれません』


 一度、男の口は小さく開けられた。

 だが彼の喉は力なく空気が擦り抜ける音を立てるばかりで、明確な意図を持った切り返しを吐き出すことは叶わなかった。


「……了解」


 遂には空気に溶けそうなか細い声を返し、ジンは耳元に掛けた機器から指を外した。



「団長、その」

「目標はかの少女だ」

「――!」


 有無を言わさぬ断固とした命令。


「総員『爆槍』構え!」


 軽口を忘れない団員ですら、その瞬間ばかりは口を噤み小さく額に皺を寄せた。

 だが、指示に抗うものは誰一人としていなかった。

 ただ、己の足に巻きつけられた魔道具から小さな槍を取り出すと、瞬間に身長ほど伸びたそれを固く握りしめた。


 目下の少女は歩いていた。

 何も知らぬまま、街中で日々見かける同年代のそれらとおなじように。



「――許せよ…………放てッ!」



 轟音、閃光。

 羽ばたく竜の翼に地面から飛び散った小石や破片が、巻き上げられた土の匂いと共に力ない音を立て打ち当たる。


 一槍は殺しを厭わない。

 竜を駆り、魔獣を狩り、賊を狩り、敵軍を狩った。

 だが彼らが無慈悲に武器を振るう理由とは、多くが守る存在の為だ。

 己が幼き日々を生き、今を生き、守らんとすべき存在が今も生きるその土地を守る為だ。


 今更人一人を殺したところで吐く者はいない。

 だが己が守らんと誓った存在に似た姿を消し去った時、果たして彼らはその胸に何も抱かずにいられるのだろうか。


「もう、帰って酒を飲んで寝てえな」


 ジンの言葉に否定を返す者は誰一人としていなかった。


『ジン!』

「ああ、エイル様。酒と睡眠薬を団員の数……」

『ええ手配しましょう! しかし全てが終わった後ですッ!』


 エイルの警告を完全に理解するより速く、彼の動体視力だけが一つの物を草原に捕らえた。


「――!」


 濛々と上がる煙の中、一陣の影が駆け抜ける。


 少女だ。

 土埃に汚れながらも、しかしあの爆槍による集中攻撃を受けたとは誠に信じ難いほどに、服も、そして彼女自身すらも傷一つないまま、信じ難いほどの速度をもって。


「無傷、だと!?」

『今魔力反応が高速で移動を開始しています! 方向は……』


 エイルが指摘した方向へ、少女も駆け抜けていく。


 その容貌、動き。

 全てが子供であるが為に、一槍の団員にはどこか現実から離れたような、少女が魔力反応源であるとは信じ切ることが出来ないままであった。


 運がよく爆槍が直撃しなかったのか?

 それとも危機一髪爆槍に気付き回避に成功したのか?


 少女の生存に気付いた一瞬、僅かに浮かんだ可能性は彼女の脚力が生み出す異常なまでの速度で全て掻き消された。

 あれは唯の子供などではない。


「追うぞッ!」


 竜の低い嘶きと共に風が彼らを包んだ。

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