第329話

 その報告が教国の中枢を駆け巡ったのは萌緑の節を超え、雑踏に紛れるだけでも汗ばむような季節が訪れた頃であった。


『大森林より強大な魔力が分離、教国へと異常な速度で直進している!』


 真っ先に報告を上げたのは大森林からほど近い観測所だ。

 だがかの観測所を皮切りに次々と上がる同様の報告から、教国兵団の本部は蜂の巣をつついたかのような大騒ぎが広がっていった。 


「魔力は巨大だがその姿は目測不可ぁ?」


 中枢に素っ頓狂な声が響く。

 それは教国の兵団において基本的に指揮の大部分を預けられた男の、しかし彼の元について二十数年は経っている者ですら聞いたことが無いほどに抜けた声であった。


「この魔力規模、源龍種に匹敵かそれ以上だぞ。計測が誤っているんじゃあないのか……? ありえんだろうこれは」

「しかし長官、複数の観測地点から同様の報告が上がっており……」

「だがなぁ……」


 困惑した声を上げつつも、長官と呼ばれた男は忙しなく両手を動かし指示を手早くまとめ……けれども最後の最後、指示を後は飛ばすだけといった段階で頬に手を添えピタリと固まった。


 姿は観測できず、しかし魔力は存在する。

 確かに大森林のごく一部では、小国が魔石の採掘などを行っているとの報告はあったが、それはあくまで浅い場所で、しかもごく少量だ。

 かつて現れる度世界が恐怖と狂喜に飲み込まれた源龍種ほどの魔力など、まさか一度に運べるわけもあるまい。


 ならばこれは一体何なのだ。

 その魔力量に比例すべき巨体は見当たらず、咆哮や唸りを上げることすらなく、ならば何らかの方法……魔法による光の屈折など……で姿を消しているのかと思えば進行するときに生まれるはずの振動すらもが検知されない。

 未知。この突如として現れた存在というものは、全くもって奇妙不可思議この上なかった。


 偵察を出すべきか。

 しかしもしこれほどの怪物が実在するのであれば、相当の実力者でなければ生存し帰還することすらままならぬだろう。

 第一の槍を出すべきか、いやしかしそれはあまりに早計過ぎるのではないか。


 よく見せる逡巡の姿勢のまま十数秒ばかり固まった男の視線の先、荘厳に飾り立てられた黒木の扉がけたたましい音と共に叩き開けられた。


「ベリ、『一槍』を調査に出しなさい」


 混乱の最中にあった兵団の中枢。

 しかし低く鋭い女性の僅か一言が彼らの背中をぴしゃりと叩き、その瞬間に騒然としていた空間は静寂を取り戻した。


「エイル様!?」


 先程まで厳めしい顔つきを浮かべていた男が、肩で風を切り入って来た蒼い髪の女を見て大きく目を開く。


 もし彼女がまだ新人の神官であったのなら、きっと数秒も経たずに縛り上げられ教堂で数日の教育・・は免れなかっただろう。

 だが誰一人として縄を持ち出すことは無かった。何故か。

 長官と呼ばれた男ですら驚きに眉を吊り上げ、振り子のように頭を繰り返し下げる彼女こそが、中枢において絶対的な権力を持つ総指揮神官に他ならないからだ。


「しかし早々に最高戦力を出すとは……」


 先程まで自身に報告を上げていた神官が震え上げり、こっそりと部屋から抜け出すのを横目に見ながら長官……いや、ベリはエイルへと食って掛かる。


 一槍、正式名称を『第一の槍』とは教国の兵団において最も優秀・・な者たちのみが入団を許可される団だ。

 相棒とも呼べる飛竜と心を通わせ自由に空を舞い、威力と共に扱い難さも比例する爆槍を自在に振るう彼らはまさに双頭撃群・・・・

 この国にとっても象徴の一つといって良い。


 しかしながら象徴というものは時に弱点になりうる。

 無双たる彼らが万が一にでも壊滅……いや、殲滅でもされてみたらどうだ。

 今後の士気は間違いなく最悪の水準にまで落ちるだろう。


「何も起こらない、存在しないのならそれで良いのです。しかし事が起きた後に悔いようと、それは失ったものを補完するにはあまりに無価値でしょう。千が一、そして万が一が起こらない様に我々がいることを常に忘れてはなりません」



『大森林より進行せし未確認存在の偵察、及び交戦』


 中空に浮かぶ伝文を眺めた男は如何とも言い表しにくい表情を浮かべ、遂には渋い顔つきへとたどり着き右手で文字を払い消す。


「姿、形、規模……一切が不明、か。無茶苦茶だな」

「今回は討伐任務ですか団長」


 団長と呼ばれた男……『第一の槍』兵団長のジンはへらへらと笑いながら聞く部下に首を振った。


「いや、これはあくまで『交戦』だ、討伐とは言われていない。と言うよりかは、中枢が討伐は不可能だと判断したのだろう」

「……何が違うんです?」

「威力偵察だ。相手の能力が未知の以上、竜の機動力と最低限度死なぬ能力が求められている」


 おい、お前ら。


 振り返り、団舎内で思い思いに過ごしている団員たちへ声をかけようとしたその時、ジンはやけに目立つ小柄な蒼髪の少女が腕を組み出入り口の扉に寄り掛かっているのを目にした。


「聞いたわジン、未知の怪物が出たらしいわね」

「ナナン……一体どうした」


 蒼髪の少女、いや、ナナンは一瞬表情を喜色へと変えるも直ぐに不機嫌そうな顔を取り戻し、つかつかと似合わぬ踵の高い靴・・・・・を鳴らしてジンへと歩み寄る。

 そして男の鍛えられた腹筋を手にした杖でチクチク突き、いやに低い声でジンへと顔をしかめた。


「早く死になさい、貴方を見かけるだけで不快だわ」

「なら何故ここに来た」

「ふっ、悪い?」

「悪い」

「なっ……!?」

「君も話は聞いているだろう、有事だ」


 絶句し固まったナナンをしり目にジンは手を二度叩くと、視線が集中したのを感じながら声を張る。


「全員聞け。半刻以内に爆槍、魔充核の準備を整え竜宿へ集合だ。それ以外の手筈は他団が行う……それとナナンは第二へ戻れ、君は幼いが団長だろう」

「……はっ!?」


 名を呼ばれたのを感じ意識を取り戻すナナン。

 すると再び彼女はジンへ近寄り顎をつんと高くしゃくりあげ腕を組むと、頭三つほど上の顔をじいと睨みつけて背伸びをした。


「私は貴方と同格よ、命令しないで息が臭いわ」

「くさ……っ!? ……俺の息は臭くない、最近は朝昼晩しっかりと歯磨きをしている」

「あら? そんなに前に言われたこと気にしてたの? ……ふっ、案外小さい男ね」


 遂に飛び出た小さいため息。

 同時にナナンの額へ男の太い人差し指が近づき、小さな衝撃が放たれる。


「痛っ! なにすんのよ!」

「さっさと戻れ、君は防衛の要だろう。お前ら、俺は少し出るからしっかり準備しておけよ」


 ため息をつき団舎の扉、その奥へと姿を消すジン。

 ナナンは彼の背中をじっと眺め彼が完全にこの場から離れたことを確認すると、くるりと後ろで固唾を呑み見守っていた団員たちへくるり、と振り返り満面の笑みを浮かべた。


「皆、私遂にジンと会話出来たわ! しかも触れ合いも!」

「凄いぞナナンちゃん! 団長を睨むだけから一歩進んだな!」

「こりゃもう団長も直ぐにナナンちゃんに惚れるぜ!」

「そうかしら? ……そうよね! そうに違いないわ!」

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