第319話

「う……」


 あさひがまぶしい。


 のろり、のろりと緩慢な動きだが腕で・・目を覆う。


 酷い頭痛だ、それに喉が渇いて小さく開くだけでぺりぺりと張り付いた口内が剥がれていく。

 目もなんだかゴロゴロとして開きにくい。


「おや……良かった、目が覚めたんだね」


 人だ。

 どうやらそれは椅子に座ったままベットに倒れ掛かり寝ていたようで、私に声をかけた後大きなあくびと共に伸びをした。


「っ!?」


 しまった、こんな近くまで寄られてっ!?


 一体どれだけこいつは私の近くにいたのだろう、そして一体どれだけ私は彼が横にいても眠りこけていたのだろう。

 完全に注意不足だ。朝になるまでのんびりと眠りこけて、運が悪ければ殺されていたかもしれない。


 今はまず距離を取る、話はすべてそこから始まる。


「『アクセラ……っ」


 あれ、何で私は立てたんだ?


 だが、ふと浮かんだ疑問の解を知るより早く天地がひっくり返る……いや、違う。

 私だ。

 私自身がぶっ倒れていた、夏の終わりに転がっているセミの様に手足を放り出して。


「いっ……!」


 まるで強烈なアッパーを食らったかのように頭が震え、ビリビリとした電撃が手足を突き抜ける。


「あああ落ち着いてくれ! 何もする気はない! 君の傷は治りきってないんだ、動いたらまた開いてしまう!」

「貴方は……」


 驚いたことにその男は黒い髪をしていた。

 黒い髪と黒い瞳、とは言っても漆黒という訳ではない。

 日本人にはありふれた、日光にかざすとほんの少しばかし茶色が入り混じっている、あの黒髪だ。

 年齢は三十から四十くらいだろうか? だが目の下にはひどいクマが浮かんでおり、ぼさぼさとした髪ややつれた表情からはそれ以上の年齢にすら感じる。


 まさか、日本人なのか?

 いやそんなことはあり得ない、間違いなくここは異世界だ。

 だってこの目で全てを見た……いや、見させられたのだから。


 彼は私の身体をひょいと、所謂お姫様抱っこと言うやつで持ち上げると、ベッドの上へそっと降ろした。


「僕は……その、ブレイブと言う。この家に一人で住んでいる、君は三日前の夜に突然飛び込んできたんだぞ」

「ブレイブ……さん」


 やはり日本人、ではないのか。

 きっと理解はしていてもどこかで爪の先程は期待していたのかもしれない、自分の中に生まれた落胆に何より自分自身が驚いた。


 まるきり信じれないことだが、私は彼の声と姿を見たその瞬間に安堵感を覚えていた。

 それは彼の立ち振る舞いや人となりが成すものなのか、それとももっと別の何かが理由なのかは分からない。

 ひょっとすれば彼のそれが私自身への期待を後押ししていて、それ故に暗鬱とした気持ちが一層の事増していたのか。


「時間が時間だ、こんな辺境で泥棒かと本当に驚いたけれど、一応ここいらで医者の真似事をしていてね。君の傷は手当てしたし、本当に君の敵ならそんなことしないだろ?」


 よく見ると壁に掛けられたカリバーと白いコートには、茶色に変わった私の血がべったりと張り付いている。

 彼の言う通り一晩程度じゃない、ある程度の時間が経っていなくてはあの様に血の色は変わらないだろう。


 三日経っている、そして彼は私の治療をしてくれた……という彼の話は事実のようだ。

 少なくとも一つ言えることは、なるほど確かに彼に私への敵意はどうやらないらしい。


「……治療、ありがとうございます。なにも渡せるものはないけど……」


 ベッドから上半身を起こし壁へと手を伸ばす。


 だがそんな優しい人の元なら、なおさらの事ここに長居は出来ない。

 カナリアの家だとばかり思っていたがどうやら私の勘違いのようだし、もし追手が来て私がいたと気付いたらこの人に迷惑が掛かってしまう。


 せめてお礼の食べ物や価値のある物でも渡せたらとは思うが、あいにく何もかもを私は失ってしまったばかりだ。

 逃げてどうするのかと言われれば何も答えられない。この先何をどうしたらいいのか、目標も何もない。

 だが逃げなくては、そのたった一つの考えだけが私の思考を埋め尽くしている。


「駄目だッ! 寝ていなさいッ!!」

「いっ!?」


 突然豹変した彼の怒鳴り声。


 それはブレイブさんにとって軽く押し倒しただけのつもりなのだろう、実際衝撃自体も大したものじゃない。

 だが手足からは力が抜け去りベッドへ倒れ込んでしまった。


「あ……すっ、すまない! 何処か傷が開いたりだとかはないかい!? 君の傷は本当に酷いものだった、実際耐えられないほどの痛みを感じるはずだ。それにまるで何かに抉り取られているみたいで、回復魔法すら全く効かない・・・・・・状態だった。本当に大変だったんだ」

「傷は……開いてない、だいじょうぶ」


 彼の言葉ではた、と思い出した。


 そうだ、腕だ。それに足も。

 あの妙によく切れるナイフで切られたであろう手足は、間違いなくピクリとも動かすことが出来ないほどの状態にされていた。

 本当に大変だったよ、だなんてまるで……そう、まるでその回復魔法すら効かない傷を彼が治したかのような言い分じゃないか。


「それは……僕の固有っ、魔法でね。だが完璧に戻っているわけじゃないんだ、だから治るまで暫くはここにいなさい。その様子じゃ行く場所もないんだろ?」


 やたらとどもり怯えたような態度で、けれどはっきりとした口調のままブレイブさんはこちらの顔を見据えてきた。


 当然か。

 私はいきなり真夜中に家へ忍び込んできた人間だ、何をしでかすか分からないのに家に住まわせるなんて変な人だ。

 でも、優しい人だ。


「私は追われてる、もし見つかったら貴方もただじゃすまない」

「君は僕の……患者だ。一度見た患者が放っておけば死ぬのを分かっていて、そのまま見捨てる医者なんているわけがない」

「でも……」

「もっ、もし逃げるようなら傷口を再び開くぞ!」


 怯えたような彼の態度とあまりに真逆で高圧的な内容に笑ってしまう。


「ふ……ふふ、そのまま見捨てる医者なんていないって言ったばっかりなのに、今度は傷口を開くなんて脅すのおかしいでしょ」


「分かった、治るまでは居させてもらう」

「そ、そうかい? 良かった……それじゃあよろしくフォリアちゃん」


 ずい、と突き出された右手。


「ん……?」


 あれ、私はいつ名乗った?


 握手をしながら首を捻る。

 先程名乗られた時に言ったんだっけ、いや、言ってないような気もする。

 あれ? じゃあ服に書いてある名前か?


「それに実は僕もここに勝手に住み着いてるんだ、流れ者でね。数年前にここに偶々来た、君と同じようにさ。だから本当に安心してくれよ、妻も……まあ今は会えないけど故郷にはいる、ロリコン・・・・じゃないし君には手を出さないよ」


 彼はそうやって左手薬指・・・・に嵌まった銀色の指輪を見せると、恥ずかしそうに小さく笑った。

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