最終章 希望の果実
第318話
「うぐっ……かなりあ……カナリア……なんで……!」
数十センチの高さから地面へ強かに打ち付けられ、夜露に濡れた草が全身を覆う。
草の隙間から垣間見えたその空は私の感情とは裏腹に、憎たらしいほど満天の星に満たされていた。
虫が儚げな鳴き声をあげ、夜の風は草を撫でて飛び去って行く。
記憶のよりちょっぴりばかり大きく見える月は柔らかな光を周囲へ振りまき、どこかから飛び立った鳥が音もなく頭上を過ぎる。
初めて見る異世界の光景は、私の知っている世界のそれと大して変わらない。
空気はほんの少し酸素の量が減ったりしてしまうだけで、私達は簡単に死んでしまうと昔何かで見たことがあった気がするが、どうやら私はそんな空気のどうこうで死ぬ様子もなかった。
『世界は魔力の記憶から構築される』
全く異なる状況、全く異なる進化を遂げるはずの二つの世界で、髪の色や耳が長い程度の特徴以外ほぼそっくりな『人類』が存在するのは、世界が狭間の記憶から構築されるから。
だから近くにある私たちの世界とこの異世界は同じような環境になるし、同じような生き物が存在していたりする。
カナリアの理論はああ、きっと合っていた。
だから私はこの世界に来てもきっと生きていける、彼女はそう踏んだ。
「にげ……ない、と……」
真横に転がっていたカリバーを口に咥え、地面をナメクジの様にはいずり回る。
クレストは頭がいい。
きっと直ぐに私がいないことに気付くし、カナリアが私をこちら側の世界へ逃がした事も理解するだろう。
追手か、それとも自分自身で動くかは分からないが、必ず私を殺すために探し始めるはず。
いや、通信技術……そうだ、彼は得意げに話していた。
私たちの世界の技術を学びこちらでも開発したというのなら、スマホなどの電話、その程度の通信速度は保証されている。
私の捜索は既に始まっている、そう考えた方が良いだろう。
「う……」
瞼を失った眼球が絶え間なく草に打ち付けられる、けれど手で目周りを守ることすらできない。
人の身体とは不便だ。どれもこれもが当たり前にあるようで、いざ無くなってみればあまりに不都合に溢れている。
口の中に入り込むじゃりじゃりとした食感は、這いつくばり移動するしかない私にはどうしようもなく飛び込んでくる土や草たちだ。
不幸中の幸いだ。きっと匂いや味を感じる体だったら、死に掛けの私には一層の事きついものだっただろうから。
「あった……道……」
道があるということは、人が通るということ。
人が通るということは当然この先に家、町、どれでも構わないが人が休める場所がある。
空き家だ。空き家をどうにか探して隠れ、そこで休む。
今の身体は治るのか、それは私には分からない。
だが……私の記憶が正しければ、私はクレストに心臓を刺された。
もしかしたら、もしかしたら休めば、どれくらいの期間がかかるかは分からないけれど、治るかもしれない。
もう一つの可能性は、誰か回復魔法が使える人を探して治してもらうことだ。
私達が使うスキルは元々カナリアの世界に存在していたものが多い、きっと回復魔法もそのうちの一つだろう。
治してもらえる人を探し出して……いや、怪しまれて通報されたら危険かな。ならどうにか暴れて脅して……いや、だめだ。
もし私を治したことが知られたら、その人はきっとクレストに何かされてしまう。
やはり、どこかに隠れ潜んで休むしかない。
「この……家は……!」
それは嘗て、自分の魔力の性質なんてものすらまともに知らず、そして日常が普通に続くんだと思っていたあの日に見たものだった。
ダンジョンの中で小さなペンダントを拾った瞬間脳裏に流れ込んできた映像。
これぞファンタジーとでもいうような耳の長い
のちにその少女こそがカナリアであると知るのだが、彼女の住んでいたのがまさにこの実に素朴で小さな木組みの家。
運がいい。
ふと浮かんだ感想だが、果たしてそうだろうか。
「そうか……隠れられる、ように……」
広い世界で転移した場所が偶々カナリア本人の家の前、なんてあまりに出来過ぎている。
恐らく彼女が気を利かせてくれたのだろう。
「開か、ない……」
どうにかにじり寄った入り口だが、頭で押しても空きそうになかった。
立つ事も、それに手が使えない以上ドアノブを開けるの難しいし、そもそもこれが押戸なのか引き戸なのかすらも分からない。
頭を叩き付けて叩き壊してしまっても問題はない……いや、もし追手が来た時に壊れた扉を見たら怪しむかもしれない、か。
「窓……ここなら……!」
幸運な事に、家の裏に回れば窓が見えた。
ガラスのような材質の透明なものが一枚嵌め込まれていて中々大きい、これなら叩き割って上手く入れるだろう。
それに裏は結構
「はぁ……はぁ……くっ」
甲高く砕け散る窓。
忍び込んだ中は想像していたものとは異なりさほど埃もなく、カナリアが連れ出された当初のままと考えると意外なほどに綺麗だった。
月明かりの微かな光が照らす中、半ば手探り……いや、腹探りとでも言えばいいのか、そんな状態ではいずり回り見つけた外から目につきにくいであろう部屋の片隅へ寝転がる。
手足の痛みは酷く、それ以上に精神がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたまま、ただ、やすめ、やすまないとだめだと独り言を漏らす。
まだ出るのか。
周囲を警戒する必要性が薄れ緊張の糸が切れたせいだろうか。
ぶるりと眼の周囲が震えあがり、突き刺すような痛みがこみ上げる。
閉じることも出来ない瞼を覆うように全身を丸め、絶え間なく吹き出る吐き気と恐怖に耐えた。
「どうしたらいいの……わかんないよ……誰か……っ」
頭痛がひどい。
暗い部屋の片隅、自分の視界も昏くなる。
暗い、くらい……虫の鳴き声もだんだん聞こえなくなってきて……
「なんだ……今の音は……!?」
「まさか……君……き……大丈……!?」
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