第312話
「奴自身が我々の前に現れない可能性は大いにあった。しかし最後の最後、他者を信じず自ずから確かめなければ満足いかぬ性格が私達に味方したと言えるだろう」
砕けた椅子、ひっくり返った机、そして異世界の物だろうか、散らばった見たことのない茶菓子らしきもの。
その一つ一つをひっくり返し、弾き、何かを探すカナリアの表情は、しかし幸運を語る口調に反し暗かった。
「クレストは狡猾であり酷く人を信用しない。いざという時の魔力供給方法や、
「魔天楼への侵入方法……それを見つければ」
「ああ。勿論力づくでの破壊も可能だが、国家単位での建造物となれば結界等は確実に設置されているだろう。それも余程堅牢であることは間違いなく、破壊には膨大な手間がかかるのは明らかだ」
ある、とは言い切れない。
だが入手すれば大きな時間の短縮になる、時間を割く価値はある。
けれど……
「……ないね」
「人工物らしきものなら全て私に見せろ。魔力に依存しているのは明らかだからな、解析可能だ」
この空間に物質は少ない。
私、カナリア、散らばった元家具だった木の破片、そして……
ちらりと視線が横へ向いた。
地面一帯へと散らばった赤いナニカ。
そこには既に存在しないはずの意識が、視線が、私の網膜へと突き刺さる。
こくりと喉が鳴った。
一番確率が高いのは、きっとここだ。
伸ばした手にまだ生温い液体が触れる。
それは偶然か。逡巡からはた、と見上げた先、カナリアの視線が交わる。
「待てフォリア、
「触るなッ!!」
憎しみの籠った甲高い女の絶叫が響く。
脳天が光に満たされたのは同時だった。
「っ!」
遅れた前髪の数本が無数の光の矢に貫かれる。
二転、カナリアの元へ。
掠った額から血が垂れる。
決して傷付くことはないと驕っていた身が削れるのは二度目だ、私の知らない何かがあることにもはや驚くことはない。
けれど閃光の中からよろけながらも現れた女の姿には、目を見開かざるを得なかった。
「あの人は!」
「クラリス……」
唸る様にカナリアが呟いた。
その貌に浮かべるのは微笑みか。いや、それにしてはあまりにも荒々しい感情を閉じ込めている。
確かに彼女はカナリアの友人、いや、
「……確実に殺すことも出来たはずなのに、相も変わらず貴女は甘いわ。これは哀れな私に対する偉大な貴女の慈悲? それとも、この程度すら出来ないだろうという侮蔑?」
しかしそのしゃがれた声は、ほんの少しばかり前に聞いた声とひどくかけ離れており耳を疑った。
さっきは普通の、少し低いくらいで女性らしい声だったのに、まるで老人や男性……いや、それよりひどいかもしれない。
唖然とする私達を差し置き、皮肉気に彼女が笑う。
私達へ語り掛けているはずなのに、クラリスの眼差しは酷く虚ろでどこか遠くを眺めていた。
クレストには明確な意思が有った。
だが今のクラリスからはっきりと読み取れるものはない。どうにも表現しきれないほど色濃く、様々な感情が混じり合って薄暗い、鬱々とした狂気に私達は一歩を踏み出すことすら忘れた。
「私は貴女に追いつけないわ。けれどあの術式は私の創り出した、私だけの物
突如天へと腕を掲げたクラリス。
袖が滑り落ち、彼女の容貌に見合わぬ老人、いや、からからに干からびた干物のような前腕が露わになる。
よく見てみれば彼女の首元までその浸食は進んでいるようで、クラリスが言葉を発す度にすれた服の裏から同様の痕がちらりと垣間見えた。
何か術を仕掛けてくるのか、警戒からこちらも武器を握りしめる。
「生きていればいい。生きて、ここに辿り着きさえすれば」
だが魔法は、飛んでこない。
戦う気は無いのか?
ならばなぜ姿を見せた?
運良く助かったと言うのなら、逃げれば良かったはずなのに。
それに彼女は一体、何を言っているのか? ここに辿り着けば?
……彼女の言葉の意味は、全く理解が出来なかった。
ただ、もう限界だった。
もう戦いたくなかった。
誰かを置いていくのも、誰かを攻撃するのも、全部嫌だ。
一歩踏み出す。
「……クラリスさん。貴女の事は知らないけど、これ以上戦っても互いに辛いだけで……!」
けれど、返答は乱雑な爆発で済まされた。
「黙れッ!
「っ、何の話をしてるの!?」
「何も聞いていないのにここに来たの? いや、敢えて貴女が何も伝えていないのかしら、これも慈悲?」
「もういい、もういいだろうクラリス!」
カナリアの遮るような踏み付けと同時、クラリスの首元を幾重にも輝く槍が囲んだ。
「クレストは死んだ! この私が、この手で叩き殺した! 旧友の好だ、命が惜しいなら去れ! だが我々に攻撃を仕掛けようとでも考えているのなら、放った瞬間に貴様を消し飛ばすと思え!」
激しく罵るカナリア。
それを見たクラリスは――けらけらと笑った。
首元に魔法を突き立てられ、命を握られているような状況で、からから、ころころ、心底楽しそうに笑った。
「しないわ」
胸元へ手を差し込み、何かを取り出す彼女。
「だって、
一目で分かった。
愉快気に舌を出し、彼女が掲げる白銀の腕輪こそが、つい先ほどまで私たちの探していたものだと。
刹那、腕輪に煌々とした輝きが灯る。
日の射さぬこの空間において、突如として生まれたその突き刺す光はあまりに異常なものだった。
そしてほぼ同時にクラリスの身体、その末端がちらちらとした儚い輝きと共に崩れ始める。
そう、それはまるでモンスターを倒したあの瞬間のように。
「肉体を魔力へ再還元しているのか!? なら今までのは時間稼ぎかっ!」
「魔力へって……そんなことしたらあの人はっ」
光の粒へと変わり始めた彼女の肉体は、まるでリボンの様に集い、腕輪へと吸収されていく。
彼女だったものを吸い込
一体それはどれくらいの時間だっただろうか。
きっと時間にしてみれば数秒だったのかもしれないが、何もかもが酷く緩慢に思えた。
全ての物は魔力から生まれた。
ならば物質を魔力へと再還元したその先は?
魔力になった人は、どうなってしまうの?
――あれを止めないと……ッ!
「フォリアッ!」
「『アクセラレーション』ッ!」
激しい明滅を繰り返す腕輪。
加速した世界ですらその絶え間ない変化は決して変わることなく、激しく視界を焼き付け前後すらまともに近くすることは不可能となった。
「私達は、決して終わらないわ」
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