第291話
「待ってくれよ……!」
先ほどカナリアへ殴り掛かろうとした彼が、目を見開き今度は私へと近づいてきた。
「あんたの話を信じるなら、確かそれを止めないといけないのかもしれねえけどさ! アンタが居なくなったらただでさえ少ないここを守る人減っちまうんじゃねえのかよ!」
「そう、だね」
やはり来たか。
事前に考えていた通りの疑問を抱く人は多かったのだろう、彼の言葉へ同意するように頷く人が幾人か見受けられた。
「そもそも話自体が信用出来ねえ! 一人で逃げようとしてるだけじゃねえのか!? なあアンタ強いんだろ!? 探索者纏めてたの見てたんだよ! 頼むから俺達を守ってくれよ!」
「違う、私は逃げるつもりなんてない」
一人一人、その目を見て言葉を口にする。
「私が戦わないと、どちらにせよ結末は見えてる。それでもここを離れるのは事実、だから皆には話しただけ」
そして皆、口を閉じた。
だが、その中から一人の少女が静かに現れる。
琉希だ。
恐らく作り出したのだろう、その手に一本の細剣を握りしめ、きつい目付きでこちらを見ている。
「琉希、もうわかってるでしょ。貴女じゃ私を止められない、私には勝てない……っ!?」
無言の一閃、風圧が髪を撫でた。
「っ!」
――速いっ!
刃が閃き顔へと伸びる。
本能にも近い反射が、その攻撃には些か過剰とも取れる程大きく背中を逸らせた。
「硬い意志をアピールしてる割にっ」
急激に広がった視界、鋭く突き刺す光に目を細める。
眩しい。
先ほどまでの多少薄暗い視界が唐突に晴れ、焚火の炎がやけに輝いて見える。
どうやら狙いは……
「そっちか」
「下は随分と土砂降りみたいですね」
切っ先へ引っかけられたお面が、焚火に照らされ白い光を反射した。
彼女の言葉に釣られ頬を撫でると、手を濡らす無色の液体。
しかし指先を軽くこすり合わせてしまえば、冬の空気だ、あっという間に水分は飛んでしまう。
頬の乾き冷えていく感覚を覚えながら、彼女へ軽く鼻を鳴らす。
「冬は乾くからね、乾燥肌対策にはちょうどいいでしょ?」
「乳液も使わないとすぐ乾いちゃいますよ、まだまだ貴女は甘いみたいですね」
もはや泣こうが喚こうが、私が戦いに向かうという未来は確定している。
私の気分一つで世界の未来が途絶えてしまうというのなら、私の感情は必要ない。
「生憎と、今はそんなものが手に入らないんだよね。だからこうやってパックの代わりに被り物してるんだ」
地を蹴り空を舞う。
この身は小さくとも速度は並大抵のものではない。私の動きに合わせ風が吹き荒れ、琉希は腕で顔を覆ってしまった。
その隙に彼女の背後へ回り込み、いなりん……お面を奪い取る。
「考えを改めるつもりはないと?」
今まで無理やり取られるという経験が無かったので知らなかったが、どうやら顔に張り付いているとはいえ、けっして外れないという訳ではなさそうだ。
私の気が緩んでいたり、お面に意識が向いていないときに相手が奪おうと思えば一応可能らしい。
次は、取られないように気を付けないと。
こんな顔見られたくなかった。
「戦いが終わるか、私以外が止められるなら喜んで考えを改めたいよ」
彼女の目が細められる。
――まだ続けるつもりか?
私と彼女が本気で戦うと周囲へすさまじい被害が出る。
受け身であった先日ですら、周囲一帯がとんでもない惨状となった、もはやなにか異常な天災が一か所に落ちたのかと思わせる程だ。
ここであれを再現するのは勘弁してほしい、明日は戦いに行かないといけないわけだし。
流石に琉希も周りに人がいる中で暴れるとは思えないんだけど……
「少し、いいかな」
だが、一触即発の雰囲気は、とある一人の人物によって止められた。
年齢は初老。黒い毛髪に白いものが混じり始め、柔らかい笑みを浮かべる落ち着いた物腰の男性だ。
「大切な話の中遮って失礼」
「え、ええ……構いません」
私も、そしておそらく彼女も見たことも話したこともない相手だが、彼の丁寧な物腰に毒気を抜かれたのか琉希が素直に頷く。
ありがとう。
その一言と共にこちらへ歩み寄って来た彼は、軽くひざを曲げ
「君は、誰か亡くしたのかい?」
突然の質問を投げかけてきた。
質問の意図が分からない。
何故そんなことを聞くのだろう。頭の片隅で疑問が浮かび上がったが、どうやら私が答えない限り話は進まないようだ。
「……以前、私の命を助けてくれた人を。戦い方以外にもいろいろ教えてくれた人も、そして職場の……いや、友達を。それから……」
一人、一人、その顔を思い浮かべる度に喉が震え出した。
顔や頭に両手のひらを押し付け、ぐちゃぐちゃに掻き回したくなる。
「そうか……それだけの人を失って、それでも戦うと?」
「今は私が一番強い、ただそれだけ」
そうか。
再びの頷きの後、静寂が下りた。
誰も、何も言わなかった。
先ほどまで私に切りかかろうとしていた琉希ですら、細剣を足元へ突き刺し黙っていた。
「君は、強いんだね」
疲れたようなため息と共に、彼の表情がすとんと消え去る。
彼が浮かべていた笑みは決して優しいものではなかった。
もはやどんな表情を浮かべていいのかすら分からず、ただ一番慣れたものを貼り付けている……それが、彼の浮かべる笑顔の正体。
「私も妻と息子が死んだよ。二人共よく笑う性格でね……今でも信じられない。私の目の前で、踵から下を遺して……っ!」
突如として胸元を抑え、その場にしゃがみ込む彼。
冬にも拘らず額からはにじみ出た汗がだらりと垂れ、激しい息遣いと共に目を見開いている。
「だっ、大丈夫っ!?」
「……あっ、ああ……すまない」
恐らく思い出してしまったのだろう。
トラウマとストレスのスイッチが押し込まれ、激しい動悸が心臓発作にも似た苦しみを彼に与えていた。
暫くその背中をさすり続けていると次第に苦しみも引いてきたのだろう、再び彼は顔に薄く無理やりな笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「君は君の使命を果たしなさい。自分の子供より小さな子の足を引っ張っていては、妻にも息子にも笑われてしまう」
そして後ろへ振り向き、先ほどカナリアを殴ろうとしていた若い男性へ語り掛ける。
「それに君も本当は分かっているんだろう? 一人で逃げるのなら、わざわざこんな事を私たちに告げる必要もない」
気まずそうに目線を逸らす彼。
「だから行ってくれ。我々に縋れるものなどもはや君しか残されていないのだから、見送りくらいは静かにやりたいものだ」
なあ?
彼がそう言って後ろの人たちへ肩をすくめると、ぽつぽつと頷き同意する人が現れた。
そして最後、若い彼も渋々と言った様子ながらこくりと頷き、決着がつく。
「ありがとう……みんな」
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