第285話
「地震が起こってから一分も経たずにダンジョンがいくつも崩壊した……」
真っ先の奇襲、それは地中からであった。
見えない場所から唐突に現れたそのモンスターは瞬く間に数十人を切り殺すと、直後に消滅した。
人々は何が起こったのかを記憶することは叶わなかった……が、突如として人の死骸がいくつも現れたことは理解できた。
そして同時に幾人もの電子機器がけたたましい警報を鳴らし、地震とはまた異なる地響きがこちらへ迫ってきているを知った。
『外を見ろ!』
誰かの悲鳴が響く。
視線を向けた彼らの目に飛び込んできたのは蠢く水平線と、暗雲が如く空を覆う土煙。
それが一体何だったのか、それを理解するのにさほど時間は必要なかった。
人々の恐慌は伝播した。
一人が叫べばその周りの人間が、繰り返される伝播は重なり増幅、冷静、正常な判断なぞという言葉はそこに存在しなかった。
『崩壊』は悪質だ。
地震や台風などの災害と異なり、異形という明確な形をもって人々へと襲い掛かる。
その上多くの人間は日常で体験することなく、伝え聞いた話だけを知識に事態へと直面してしまう。
そして目にして初めて気付くのだ、それが知識だけでどうにか出来るものではないと。
かくして最悪の状況はなった。
恐怖に飲み込まれた人々は皆避難所を離れた。
つまり、戦える存在の元を離れ、身を寄せ合っていたはずの相手を押し倒し、逃げ場などないこの街へ散り散りに走った。
最も生き延びる可能性が高いのは探索者の元に身を寄せ、なるべく一つになることでその庇護下から決して離れないことであったのに。
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「そう……だったんだ……」
腕の中で抱きしめた園崎さんはひとしきり話した後、再び滂沱の涙を流す。
瞬間、脳裏に浮かぶ苦悶の表情。
彼らは……私がここまで来るときに見た人たちは、避難所から逃げてどこかに隠れようとしていた人たちだったのだ。
「最初の奇襲以降、ここに残った人は無事のはずだわ……けれど、その最初こそが……っ」
――致命的であった。
逃げた人々を守ることは叶わない。
ただでさえ戦える人材は少なく、多少武器があれど崩壊で強大に成長したモンスターへ一般人が武器を振ったところで、かすり傷すら与えられないだろう。
そして戦闘要員も己の命を、そして残り身を寄せる人々を守ることで手一杯であった。
そして園崎さんはどうにか少しだけでもと彼らをなだめ、決して遠くに行かぬよう指示を出し続けた。
「遅れて……ごめんね……!」
回した腕の拳が震える。
――本当に、最初からここにいたとして皆を守れたのか?
四方へ散り散りになった人を、無数に押し寄せるモンスター全てから、私やカナリア程度がいたからと守りきることは出来たのか?
胸に去来する逡巡に価値はない。
コートが彼女の頬を伝う雫に濡れる感覚で唇を噛み締め、空を仰いだその時、十数の影が太陽を覆ったことに気付く。
「っ!」
不味い……!
モンスターだ。
今ダンジョンから飛び出したばかりなのか、汚れや傷一つない翼をはためかせ、一目散にこちらへ飛び込んでくる。
直後、不穏な影に気付き、命からがら生き残りの人々がどよめく。
「皆下がって! 私がっ……」
慌てて飛び出そうと足に力を入れるものの、私が動く前にモンスターの頭部が弾けとんだ。
一般人には一瞬輝いたようにしか見えなかっただろう。
光の粒だ。小さな射撃音と共に極小の弾丸達が天を駆け抜け、瞬きをする間もなく宙の怪物たちの身を食い荒らしていく。
弱点の悉くを貫かれた彼らは、一度足りとて地上を踏むことなく塵へと化した。
「うえーい! 流石姉御ォ!」
「姉御って歳じゃもうないわよ、それに日本の冬は空気が澄んでいて眩しいわ……あら、フォリアちゃん」
二人の女性が物陰から現れる。
一人は芽衣だ。
地面へ散らばった魔石をあくせくと走って回収しては、長身の彼女の元へと駆け寄りポケットへとねじ込んでいる。
そしてその彼女はデニムのロングコートを翻し、サングラスを頭の上へと押し上げた。
サングラスを外し金髪を軽く振り払うと、隠されていた黄金の瞳がとろりとほほ笑む。
彼女の手に握られた細長い銃が太陽の光を浴びてギラリと輝く。
「ママ!? それに芽衣も!」
「おかえりなさい、怪我がないみたいで良かったわ」
「フォリっちおいっすー!」
駆けよって来た芽衣を抱きしめ、奥でゆっくり歩み寄るママを見る。
コートの裏、汗ばんだシャツをパタパタと煽り、しかしいつも通りのにこやかな笑みを崩さない彼女。
銃を杖代わりに重心を寄せて周囲を軽く見まわすと、取りあえずはその場を凌げたと確認を終え安堵のため息を漏らした。
その戦いようは正に歴戦。
動揺はなく、まるで日常の料理でもこなしているかの如く淡々として堂に入っている。しかし彼女は最近まで相当衰弱しており、下手すれば一般人より体力が低い可能性すらあった。
「戦って大丈夫なの……?」
「私だって元々は探索者よ? レベルは失ったけれど……今はこの銃があるもの。弾もその場で確保できるし素晴らしい出来ね」
「そ、そうなんだ……」
「フォリっちママ
実際どうかは兎も角として、確かに怪我一つない。
芽衣が魔石を集めママが遠距離のモンスターを狩る、馬場さんは近寄ってきたものを中心として狩るという連携がとられていたようだ。
見知った人間が生きていた安堵は、しかし膨大を超えた負の感情に踏み潰される。
園崎さんも、馬場さんも、そして芽衣にママも生きていた。
一区切りついたと判断できたのだろう、物陰からは多くの人が這い出て生き残れたことを喜び、誰かを失い名を呼んで泣き、引き攣り空虚な笑い声、中には呆然と空を見る人もいた。
私の知り合いはほとんどが協会関連、それ故に多く生き残っている。
喜ばしいことなはずなのに、それ以上にここで起こった惨劇が耐え難く、それ故喜び難く、悲しみと怒りが心を渦巻く。
感情の発露、怨嗟の渦中、壊れた人形のように首を振るしか出来ない。
仮面の影、限界を超え見開いた眼の端から血が零れた。
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