第283話

「最初からそれやってくれればいいのに」

「なるべく魔力の使用を控えたいのでな」

「まあ、それもそっか……」


 あまり考えたくはないが……外はモンスターが溢れ出して地獄だ。

 一体どれだけ戦えばいいのか、戦ってどうにかなるのかすら分からない。

 だが結局の琴声直視しなくてはならず、目の前に迫る戦いのため出来る限り無駄な魔力を使いたくはないというのも理解できた。


 皆は……まだ生きているのだろうか……?


 無意識につばを飲み込む。


「行こう」

「うむ」


 方角さえ分かればもはや迷う必要もない。

 木、岩、進路にあるすべてを叩き潰し、砕き、一直線に駆け抜ける。

 カナリアの気配は背後に続いてきていた、障害物のない空を舞う彼女ならば私が本気で走っても付いてこられるようだ。


「……っと、でかっ」


 木を三本程一度にへし折ったその瞬間、そいつは現れた。


 灰色の花だ。

 ラフレシアのように花の部分だけが地面へと張り付いていて、しかし世界最大のそれすら豆粒に思える程巨大。

 また花弁らしき部分は奇妙なほどに細長く、学校などに生えているシュロの葉を思わせる見た目。

 だがその全身像はプルプルとスライムのように震えて不定形であり、それが決してただの植物ではないとこちらに知らせている。


 そして、時として生物染みた蠢きを示すかの・・モンスターは、中心に艶やかな球体上の何かを、まるで掲げるかのようにこちらへ見せつけていた。


「『鑑定』」


――――――――――――――――


種族 □□□・ミューカ□

名前

LV 210000

HP 6608355 MP 110384

物攻 1934972 魔攻 389374

耐久 3294542 俊敏 1002837

知力 342847 運 7


――――――――――――――――


「こいつで間違いなさそうだね」

「うむ」


 先ほど爆散したスライム達、ダンジョンに入った直後軽く確認した時のレベルは百を上回る程度であった。

 今までの経験ならばその程度のダンジョンが崩壊した場合、モンスターの平均レベルは上がっても一万程度。

 二十万越えが存在するのは異常だ。やはり先ほどの地震によって本来では発生しえないほど、次元へ一気に大きく罅が入ってしまったのだろう。


 だが今の私ならば――


「出来るな?」


 こいつはスライムだ。

 妙に輪郭がはっきりとせず不定形なのも、本来の身体が液体だと考えれば至極当然。

 その上真ん中にあるあの露骨な弱点は核だ……と、喜び勇んで飛び込んでしまえば、食虫植物よろしく周囲の花弁が包み込んでくるのだろう。

 本来ならばまず遠距離からの一撃を食らわせ、姿が変化したところからが本格的な戦闘の始まりだと見た。


 ――勿論、全てレベルが同程度だった場合の話だ。


「……一撃で終わらせる、『アクセラレーション』」


 元々緩慢であったモンスターの動きは、もはや止まって見えた。

 花弁を踏み付け相手の領域内に身を放り込んでみたものの、遅すぎて反応しているのかすら分からない。


 まあ、どうでもいいことだ。


 ナメクジが這うほどに遅い雨垂れを目で追い、薄く瞼を閉じる。


「邪魔」


 刹那、静寂が生まれた。


 これが自然の摂理と地へと向かっていた雨粒たちは、突如として生まれた暴風に為す術もなく吹き飛ばされる。

 カリバーによって生み出された暴力的なまでの衝撃は、核を纏う僅かな抵抗など無に等しいと、何もかもをあざ笑うかのように叩き潰す。


 スキルを解除しカナリアへ振り向いた私の背後で、膨大な質量の水が弾け飛ぶ音が雨音に混ざって消えた。


「ふぅ……」

「うるさいぞ」


 どうやら、落ち着いたつもりでも焦りは消えていなかったらしい。

 想像以上に無駄な力を込めて殴りつけた地面は荒々しく爆散し、かの花があった場所にがっぽりと空いた大穴が微かに崩れた。



「出口の場所は覚えているか?」

「大丈夫」


 何も無駄に破壊活動に勤しんできたわけではない、ちゃんと理由はある。

 直線に走った方が速いというのもあるが、それ以上にこの広大なダンジョンを目安もなしに走ってしまえば周囲は木のまばらに生えた草原だ、目安になるものなどあまりない。

 だが木をへし折り、草を踏み潰し、岩を砕けば、ちょっとばかり乱暴ではあるが来た道が分かる。


 ――こうやって来た道に印をつけるのも、かつて彼から教わった方法だ。


 そんな感傷に浸っている暇すらない。


「ならば先に行け、貴様の方が速い」

「分かった」


 カナリアの返答は聞けなかった。

 気が付けば身体は駆け出していて、息継ぎに酸素を吸い込むことすら惜しかった。


 駆けた。

 駆けた。

 ぬかるんだ地面に足元を取られ躓き、馬鹿みたいに力強く叩きつけられたスーパーボールのように転げ、白かったコートは緑と茶色で薄汚れた。

 声を出すことすら惜しかった。その一秒が惜しかった。


 一度声を上げたその間に、一体どれだけの人が襲われ死ぬのか。

 考えるだけで吐き気がした。



 お願い……どうか生きて……!

 


 滲む思いに唇を噛み締め、ただひたすらに走り続けた。


 実際の所、入り口までたどり着くのに大した時間は掛かっていないはず。

 数秒? 十数秒?

 どちらにせよ指折りで数えられる程度のわずかな時間で、だが叫び出してしまいそうなほどの永遠にも似ていた。


 濡れ、冷たい石の扉に手がかかる。


 重い。

 本当に開いていいのか? この先に広がる光景を、本当に見ていいのか?


 胸の中に押し寄せる躊躇いが一層腕を押さえつける。 

 耳を澄ませても外の音は聞こえない、雨の止んだ草原で一陣の風が突き抜ける音だけが鼓膜を打つ。


 駄目だ。

 止まるな。

 躊躇うな。

 今やるべきこと、目の前にあることへ集中しろ。


 深い呼吸に合わせ扉を弾き飛ばせば、生まれた隙から光が差し込んだ。


「――誰かいる!? 何が起こったのか話してくれ……る人……は……」


 真っ先に飛び込んできたものは、目前で無理やり千切り取られる誰かの首。

 涙に濡れ光を失った黒い瞳が恨みがまし気に私を睨みつける。


「あ……うぁ……」


 黒く染まった私のコートは、深い紅に塗りつぶされた。

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