第282話

 ボスを最速で倒し、即ここから出る。

 単純ではあるが、地形その他一切の情報がない私たちにとっては、行うは難しまさにその言葉通り。

 ダンジョンは入り口の小さな扉からすれば想像もできないほどに広大だ。基本的には地図を読んだり、情報が無ければ通った道に目安を付けたりして迷わない様にするものの、無闇に動き回ればあっという間に迷ってしまう。

 そのように広大な土地を計画もなく動き回ったところで、ボスエリアにたどり着くことは難しい。


「ならばボスの位置であるが……」

「任せて」


 しかし今までの経験からして、ボスがいる――一般的にボスエリアと呼ばれる――場所は、外見が他の場所とは異なることが多かった。

 勿論崩壊が進み切ってボスエリアからボスが飛び出してしまった場合は別だが、今ならまだ十分に間に合うはず。


 彼女へ頷き、己の身長を数十倍ほどに伸ばした高さ、そこらのビルすら軽く飛び越えられる高度へと跳躍。

 身を切るような風がコートの隙間へ滑り込み、宙でブルリと身を震わせる。

 天へと突き出す木々が我先にと足元へ溶け、視界を遮るものが何一つなくなった中空の最中、目に見えて減速し急激に全身が浮遊感に包み込まれた。


 ……ここら辺が限界かな。


「『アクセラレ……うっ」


 かの地を必ず見つけんと見開いていた右目へ、突如として冷たい一撃が降り注いだ。

 意識外からの刺激に体は勝手に反応、いっそ過剰なほど身を逸らせ慌てて右手を顔の前に突き出すが、当然空中でそんなことをしてしまえば大きくバランスを崩すこととなる。


 しまっ……!


 気が付けどもう遅い。

 コートが風に激しく煽られ、悲鳴代わりにたなびき音を立てる。

 悪足掻きに伸ばした腕は決して空に届かず虚空を掻き、脳天から真っ逆さまに地面へと叩きつけられた。


 ゴム鞠のように三度ほど弾み転がった私の元へカナリアが駆け寄る。


「おい貴様大丈夫か!?」

「だい……けほっ……じょうぶ……一体何が?」


 慌てて瞼に触れるが傷は一つもない。

 流血、そして異物が指先に擦れる感覚もない、ただ刺激から反射的にあふれた涙がしっとりと指の腹へ絡みついていた。


 なにかモンスターから攻撃された、って訳ではなさそうだ。

 当然か。あの速度で跳躍した私を狙撃するモンスターなんて、こんなところにいていい存在じゃない。

 もしそんなものが平然といたのなら、間違いなくカナリアは既に無言の肉塊になっているだろう。


 ならば何なのか。

 答えは痛む頭を抑える両手が教えてくれた。


「これは……雨?」


 手の甲に感じる冷たい感覚は小粒の水滴。


「ちょっ! いきなり強くなりすぎでしょ!?」

「まあ崩壊が起こりかけているわけだからな、目まぐるしく変わるぞ」


 しかし小雨が豪雨に変わるまで、そこから十秒と持たなかった。

 天気の移り変わりだなんて風流なものではない、これはもはや気候変動の暴力だ。


 袖やフードに付いていつも柔らかな暖かさを蓄えていたファーも、この大雨にはたまらず情けない姿へと変わる。

 恐ろしい勢いで服の隙間から染み込んでくる雨が瞬く間に体温を奪っていく。


「おい、のんびりしていたら動く体力すらなくなるぞ。もう一度だ!」

「分かってるっ!」


 今度は万全の準備だ。

 いつも通り顔の横へと付けていたお面をしっかりと被り、針のように鋭い雨の降り注ぐ天を睨みつける。


 飛翔。


 濡れた手足が、叩きつけられる風の冷たさに震える。

 加えて勢いよく雨の中に飛び込んでいるわけだから、本来受ける以上の大雨が全身へ激しく飛び込んで留まるところを知らない。


 くそ、さっきまでぽかぽかですごい温かかったじゃん!

 滅茶苦茶寒いんだけど!

 しかもその上……


「――くそ、雨のせいで何にも見えない!」


 雨が互いにぶつかり弾け、より細かな粒子となって空中を踊る。

 霧の内を乱反射した無数の光が、薄ぼんやりとした白いスクリーンの役割を果たし、奥へ行くほどに濃淡すらをも覆い隠していた。


「どうだ?」

「だめ……ボスエリアどころか真下すら見えなかった」


 ついため息が零れてしまう。

 するとカナリアは、おもむろに横に生えていた木の枝をへし折ると、それを手早く一本の棒へと変えて地面へ擦り付け始めた。


「ふむ……仕方ない、私が教えてやろう」

「知ってるの?」

「いや分からん。罅の形は千差万別、当然そこからどのようにダンジョンが広がるかも状況に依存する。ボスエリアは蓋として罅の真上に創り上げられるが、しかし事前に全てを知ることは不可能に近い。だが……」


 口以上に手を素早く動かす彼女は瞬く間に一枚の魔法陣を地面へと彫り上げた。


「まあこいつでいいだろう」


 そして、先ほど彼女の背後で弾けたスライムからドロップした魔石をひょい、と拾い上げ、魔石を両手で挟み揉みしだき始める。

 するとなんということだろう。カチコチであり下手な石ころより硬いはずの魔石が、まるで粘土のように柔らかく広がっていくではないか。

 その上黒々としているはずの色までもが、次第に灰、そして透き通った薄い蒼にへと変化を遂げていく。


 満足いく状態になったのだろう。

 カナリアは粘土状に変化した魔石を木の棒の右半分へと塗り付け、魔法陣の中心へと放り投げた。


「最も巨大な魔力塊がどこにあるのかを探ることならば容易い。まあ他にも条件があるから、全て思う通りとはいかないがな」


 弧を描き宙を舞う木の棒。

 狙ったのか、それとも導かれたのか。中心へ吸い込まれるように飛んでいった棒は地面すれすれでピタリと中空に固定されると、今度は魔法陣へと魔石の蒼が吸い込まれていき……


「おお……」


 魔法陣は蒼に、そして棒自体は深紅の輝きを放ち回転を始めた。

 さながら回転の止まりかけた独楽のように歪な運動を始めたそれであったが、次第に回転は揺れへと状態を変えていき……


「あっちだな」


 ピタリと雨の中、ここにいる私たちからは見えないどこか一点を指し示した。

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