第271話
静かな月明かりの元、ツカツカと砕けた道なき道を行く。
ひっくり返った家やコンクリートは次第に姿を失って、枯れた草が微かな風に揺られ物悲し気に葉擦れの音を立てる暗い草原が姿を現した。
思えばこの一年、私を取り巻く何もかもが変わった。
お金もなくて、家族もいなくて、家もなくて、友達もいなくて。それでも目の前の事を必死にやって、気が付けば欲しかったものが全て手に入っていた。
嫌なことはいっぱいあった。戦って、死んで、何度も死にかけて。
そして、良いこともいっぱいあった。いい人に出会えて、いい体験をして、ここまでこれたのはきっと、私の運がよかったから。
運良く良い人と出会えたからこそ、私は今を生きていられる。
「私は幸せだった、この一年」
「ならその幸せを噛み締めていればいいでしょう! どうしてその幸せから離れて、わざわざ危険な道を行こうとするんですか!」
普通の暮らしをして、普通に生きて、普通に楽しい毎日を送る。
それで済むなら……私も、それが一番だと思う。
でも、残念ながら現実は安穏と生きる道を選ばせてくれなくて、まあ、思い通りに行かないのも人生なのかな。
惜しい。
思い出を失うのが惜しい。やっと手に入れた物や関係、今まで出会った人を失うのが惜しい。惜しい、惜しい、惜しい。
あれも、これも、嫌な思い出も、いい思い出も、全てが全て今までの経験で、その一切がゴミ屑みたいに消え去るのが惜しい。
……勿論そこには、こうやって目の前に立つ彼女もいて。
「だから守る、この幸せを。誰かが繋いできた今を、私を救ってくれた幸せを守る。わざわざ離れてるんじゃない、その危険な道の先に私の幸せはあるから」
「……っ」
この道に、分岐や退路はない。
「琉希、ごめん。戦うなって言うのは守れそうにないし。琉希は戦いたくないなら戦わなくていい。でもこの戦いは避けられないから、見なかったことには出来ないから、誰かじゃなくて私がやるよ」
目の前に立つ彼女の表情が変わる。
私の意志がどうあがいても変わらないと、分かってしまったから。
思えば琉希には苦しい役目を任せてしまった。
カナリアと私の関係から始まる、異世界や魔蝕、そしてダンジョンシステムなどの複雑な問題を知り、きっと彼女なりの苦悩などもあったのだろう。
それに私とパーティを結ぶことで、彼女自身にすら魔蝕が発症しかけた。
そして、その影響から琉希の身に宿ってしまったレベル、もとい魔力は、一介の女子高生が……いや、この世界を生きる一人として扱うには、あまりに大きすぎるもの。
全部私のせいだ。
それでも私に文句を言うことはなく、唯の友達として止めてくれたことは嬉しい。
でも、ならはいそうですかとやめることはもう無理だ。私が私の考えで決めたこれを覆すことは、私ですら出来ないから。
「ええ、きっと貴女ならそう言うと思ってました。でもその選択肢、あたしには受け入れられません。だから……」
「……やっぱり、こうなるか」
そして、私が戦うと誓っている限り、琉希の願いが叶うことはない。
地面が揺れる。
宙を舞う草や飛び散る土の独特な香りと共に、地面から巨大な壁がせり上がって来た。
「っ、随分と色々出来るようになったんだ」
「あたしのステータスとスキルレベル、二つの数値によって扱える限度は変わります……レベルが上がるほどに、あたしの扱える質量は跳ね上がる」
いや……これはまさか……剣なのか。
その高さは、そこらの木を軽く超えていた。
その上、大の大人が二人手を広げても足りない幅広さは、その即興で作られた剣を壁と勘違いしてしまうほど。
さながら土で創り上げられた巨人の剣。
しかし土と侮ることなかれ、彼女のユニークスキルに操られる万物は不壊となる。
薄い紙切れは鉄をも切り裂く鋭利な刃に、そこらで売られている下敷きすら絶対の盾へ早変わりだ。
さらに恐ろしいのはそれが次々に、合計六本もが地面から生えてくると、翼でも生えているのかと思うほど自由に宙を舞い、ぴったり空に浮かぶ彼女の傍らへと待機したことだ。
なんと皮肉な事だろう。私のせいで彼女は魔蝕になりかけ、そしてそのおかげで私にすら届きうる力を有してしまった。
「貴女が諦めるまで止め続けます……もう一度だけ、どうかこんな事やめてくれませんか」
「無理」
「……そうですかっ!」
その瞬間、空間が割れた。
剣を象った暴力的なまでの質量が空を切り、その重量からすればあまりに軽い音を立ててこちらへ殺到する。
そして真っ先に飛び出して来たのは一本の刃。ただ、こちらを叩き潰さんとばかりに大振りな一撃。
その気になれば避けることは可能だった。
それは、俊敏と防御に特化した私のステータスと、そもそも彼女と私には大きなレベルの隔たりがある事実。
だが――
「くぅ……っ!」
重い……っ!
地面に足先がめり込み、それでもなお相殺しきれなかったエネルギーが衝撃波となって、周囲の枯れ草を弾き飛ばす。
想像以上の衝撃に関節がミシリと悲鳴を上げ、じりじりと目前まで迫る刃にたまらず小さな吐息を零した。
――これが琉希の思いだというのなら、
「私は……っ、逃げないっ! ふんぬぉ……っ!」
後、親指一本。
しかし、ゆっくりと迫っていた刃は、それ以上の進行を成し遂げることは叶わなかった。
力の拮抗は次第に重力を抗う方向へ、直後、形勢がひっくり返る。
「ゼアッ!」
全身の筋肉が力強く引き絞られ、カリバーが弧を描いて刃を弾き飛ばす。
鋭い息衝きと共にかち上げられた刃は、もはや琉希にすら制御は叶わない。
「くっ、流石に一本では無理ですか……!」
くるくると言うにはいささか激しすぎる回転を伴い、一直線に琉希の元へ飛んでいった刃。
しかし月を背にした彼女は、残りの五本を地面から引き抜き受け止めると、再びこちらを睨みつける。
けれど私は上がった息もそのままに、彼女へ胸を張って真っ直ぐに見つめた。
人の視線が苦手だった。
嫌われるのが嫌で、もしかしたら裏で嘲笑われているんじゃないかって、意味もない妄想に恐怖して。
誰かへ素直に何かを言うのは苦手だし、自分の考えを通すのはもっと難しい。けれど、それでは駄目だ。
「戦わないと守れない! なら私は戦う! 全部背負って守ってみせるっ!」
私はもう絶対に逃げない。
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