第267話
安心院さんと分かれ、本部の傍を離れたその後。
冷静になった頃、ふと見上げたところにいたのが自衛隊の人々だった。
そこで行われていたのが食料の配布。さらに再び呉島と出会ったのだが、普段のふざけた態度が丸きり消え、真面目な態度でモノを配っていたのがどこか面白かった。
とはいえ受け取れた食糧はおおよそ千人の一日分、はっきり言って全く足りない。
さらにそこから人数比で分け、この街にある三か所の避難所へ配分するとなれば……はっきり言って、焼き芋に蜜だ。
しかしないよりはましということで、どうにか各避難所へ配り終えた後のこと。
「それで、これが……」
「そう、なのね……」
深夜も会議をすることがあるため、避難所である協会からは僅かばかり離れた、大きな仮設屋根の下に私たちはいた。
机の上へ静かに置かれた、黒く小さな手帳。
暫く無言で眺めていた園崎さんであったが、軽くつばを飲み込むと漸く掴み上げた。
はらり、はらりと捲られていく無数ののページ、しかしそこに文字はない。
しかし彼女は目を逸らさなかった。そこにある文字を読むかのように、紙の上へ瞳を巡らせた。
「ああ……あの時書いた文字だわ……」
そして、ついに彼女の目の動きがピタリと止まった。
最後の一ページ。まっさらな横の罫線だけが印刷された中、やはりあの文字は彼女の手によって記されたのだと知る。
「おい、園崎美羽。その手帳を食って書魔の力を使え」
しかしこの雰囲気をものともせず、あまりな物言いをするエルフが一人。
園崎さんはあまりに唐突過ぎる提案に驚き、ぱっと机の上へ手帳を放ってしまった。
当然だ、出来るわけない。
「カナリア」
「早くしろ、幾ら嘆いたところで死者は戻ってこないぞ」
「カナリアッ!」
流石にこれは駄目だ。
あまりにずけずけとした物言いは、傷付いている人間にとっていっそ殺人的なほどの傷を与えるということを、カナリアは理解していない。
無理にでも黙らせようと手を伸ばすも、予想していたかのように弾かれる。
彼女は私の方へちらりと目をやると、しかし口を動かすことを止めなかった。
「貴様には話していなかった、魔力の無数にある性質の一つだ。『収束』、同じ記憶を蓄積した魔力は引かれ合い、結合する。先ほど言ったな、記憶が複雑に絡み合うほど物の消滅は抑えられる、と。逆に言えば他の記憶が絡んでいなければ、収束し、繋がって狭間の引力に根こそぎ持って行かれる」
彼女が園崎さんへ催促したのは何か理由がある、そんなことは分かっている。
いや、ここまで話されてしまえば、私にすら彼女の目的なんて容易に想像できた。
「なあ、この手帳には何が書かれていたと思う?」
「……筋肉が集めてきた情報、だよ。多分」
園崎さんは変わった力を持っている。ユニークスキルとはまた別の物で、子供の頃からある能力らしい。
本や紙などを口にすることで、そこに書かれていた内容などを完全に把握する力。彼女の生い立ちを考えれば、恐らく異世界の種族――カナリアが先ほど言っていた『書魔』とやらがそうなのだろう――特有の力だそうだ。
「もしかしたらここには何かの情報が書かれていたのかもしれないし、なにもないかもしれん。しかし見なければ、無駄かどうかすら判断することはできない。フォリアも既に気付いてるだろう」
私は……私は、この時点でカナリアの言葉に飲み込まれていた。
分かっている、それが理性的に考えれば一番正しい行動なのだと。
この緊急事態が重なった現状で、情だとか、気持ちだなんてものを考えている暇はない。そんなことをしていたら間に合わなくなってしまうかもしれない。
喉からひゅう、と小さな吐息だけが零れる。
正しさとは常に変わるもの。
そして今、本当に正しい行動とは、状況を打開するために冷静で的確な行動を選ばなくてはいけないんだって。
「そして私たちに確認する術はない、書魔である貴様を除いてな」
カナリアの、どこか睨んでいるようにも見える目つきの悪い瞳が、園崎さんの顔を捉えた。
「私がごく一瞬だけ、狭間に穴を開ける。とても小さく、ダンジョンにすらなり得ないほどの穴だ。しかし先ほど言った『収束』の性質、そして貴様の力を使えば……もしかしたら、狭間の魔力から記憶を引きずり出し、そこに書かれていた内容を明らかにすることが出来るかもしれん」
カナリアの言葉はすべて正しい。
目的を達成するために、状況を打開するために、一番正しい行動をとり続けている。
きっと私には出来ない。
「なあ、園崎美羽。貴様、剛力の仇を取りたくはないか? あいつが必死に集めた情報を知りたくはないか? あいつが情報を集めていたのは、きっと現状を打開するためだろう? 貴様がここで首を振らなければ、奴の行動は全て無駄になるぞ」
だが、これ以上園崎さんに悲しい思いはさせたくない。
「園崎さん……無理しなくていいよ。それは筋肉が残した最期の遺物だから、無理に食べなくていい。きっと食べたら園崎さんはもっと悲しくなる、もっと苦しくなる、だからカナリアの話は無視していい。その情報が無くても、私がどうにかしてみせるから」
「フォリアちゃん……」
そっと手帳を拾い上げ、彼女の手のひらへ乗せる。
自信はない。
しかしやらなくてはならない。それが、今まで生かされた私のすべきことだから。
だが園崎さんはそれをどこかへ仕舞うでもなく、何故か食い入るように見つめだす。
「私には戦う力がないわ。あの人みたいに強くないし、カナリアさんのように魔法を扱えるわけでもない」
小さく言葉を紡いでいく度、少しずつ、彼女の声が、手帳を握るその手が震え始めた。
目の端へ見る見るうちに水滴が溜まっていく。
「……でも、ねえ、役に立ちたいわ。全部が全部を理解しているわけではないけど、貴女達が私たちを守るために必死になってるのも分かるの。だから……」
「……っ!」
無言で見ていたカナリアの身体が、ぼう、と微かに発光を始める。
同時に生み出された無数の魔法陣が周囲一帯を駆け巡り、静かに風を生み出す。
そして最後、合わせて十は間違いなく超えているだろうという巨大な魔法陣達が一点へ重なり、ガラスが砕けた時のそれにも似た、不快な音が周囲へと響き渡った。
「始めろ」
頭上に深紅の輝きが生まれる。
開けられた穴は小さくとも間違いなく世界が悲鳴を上げているのだと、本能的に悟ることが出来た。
しかし園崎さんは周囲の状況へ全く意識を向けず、慎重に、確実に、何一つ情報を漏らさぬよう味わっている。
「ああ、苦いわ……凄く苦い。きっとカビね、海辺に捨て置かれていたのだから当然だわ」
ボロボロと大粒の涙を流しながら、一枚一枚千切っては口に運ぶ彼女へ、私は何も声を掛けられなかった。
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