<48> うた声みち行を照らし

『共有資産にしよう』


魔王封印ののちの捜索において捕らえられた魔族の娘は、処刑されず極秘裏に貴族たちの所有物となった。発見した騎士たちは魔王城の玉座の間に佇む娘の赤く光る瞳に魅了され、占有することに決めたのだ。

なに、他の魔族と同じく道すがら拾ったことにすればよい。


五人の若い騎士は、灰色の髪が美しい娘をグレイと名付け、王都の屋敷に囲った。

征服され、辱めを受けているというのに、まるで望んで抱かれているように、愛し合っているように振る舞う娘に、騎士たちは夢中になった。

週に一度の逢瀬が、魔族戦争の事後処理や貴族間の権力争いに明け暮れる日々の精神安定になっていく。堅苦しい政策論すら他愛ない冗句と同様ふうわり受け止める微笑が、騎士たちの舌を滑らかにし、やがて身体をというよりは話し相手を求めて会いに行くようになる。


『では、こうすればどうでしょう?』


娘の助言はよく当たった。

騎士たちよりも余程若い——魔族は十歳で成人というから、グレイも生まれてからその程度しか経ていないかもしれない——というのに、世の道理を解していた。

騎士の稚拙な考えを決して否定せず、肯定した上で少しだけ違う視点を与えてくれる、のちのち思い出せばそれを誘導というのだが、騎士たちは短期間に出世していく。

三ヶ月で子を為す魔族である娘が三人目の子を産んだ夜、五人はグレイと女の子を祝い、自らが呪われたことを知った。



・・・・・・・・・・・・



詠が聞こえる。

懐かしい読誦、幾度ともに詠んだか分からぬほどの。



——天より賜りし

美しき御魂

地の喧噪に汚されず冒されず

天に還るはこれ幸いかな

幸いなるかな——



花火の音で編まれた古神聖語の読誦がどんどぱんと空を鳴らしていた。

古神聖語は誰の真心にも等しく響く。

耳でなく身体でもなく、魂を収める器たる精神に響く。

意味を得ようとしてはならない。

ただ響きに任せ、ただあるべき姿へと。


地面に横たわり、今まさに生命の雫の最後の一滴を流そうとしている老魔族は、すでに光を感じ取れなくなった目を閉じた。

魔王様の御心に寄り添うが聖女の務め。想いを汲むなど及ばぬことであったが、天の遣いとふれあえたことに今ひとたび感謝を。

御心のままに、エタ。


魔王の聖女<叡智>であった老修道女シスター・グレイは、息を引き取った。

それは、およそ百五十年を経た呪いが発動した瞬間でもあった。



・・・・・・・・・・・・



なんだこれは。

クンツは鋭い痛みを感じて胸に手をやった。空洞が、あった。

首を折れんばかりにひん曲げて、自らの身体を覗き見る。

ちょうど今そこで事切れた魔族の年寄りと同じ位置、同じ形の穴が、体を貫いて向こう側まで見える大きさで、ぽっかり開いている。

なんだこれは。

いや、どうして俺が。

身体から力が抜け落ちて膝をつき、それでも足りずに横向きに転がった。魔族の亡骸の隣で、目の端には驚愕の表情を浮かべて見下ろすテオ・ディストロが映る。

なぜ、倒れているのが俺で、アイツは平気なんだ。



憎しみを晴らすのに格好の舞台を、主が与えてくれた。

呪いにより老魔族シスター・グレイと五大貴族の命は繋がっている。だから秘密を知る王族に従属していたし、王族は五大貴族からは決して妃を娶らなかった。誓約と盟約の中心から純粋魔族が嘲弄し、蔑視していたわけだ。


俺たち庶民ともいえない貧民を蔑んできた貴族の頭領格が、滅びの道を辿る魔族という古い種、奴隷身分の卑しい種族から見下されているとは、なんと愉快な話だ。それより増して、俺自身の憎悪の対象テオ・ディストロを罠に掛ける方法を得るとは。

そうだ、魔族の処刑は自らの死を意味する。


見物だと思った。自らの手により自らを死に至らしめる。それをすぐ側で、間近で拝める。

一生涯で一度の奴の死を、悲劇的な幕切れを、喜劇的な屍を、その死の瞬間、死体から抉り出した新鮮な目玉までをじっくりその場で観察できるとは。

想像に愉悦の笑みが漏れた。鳥肌が立ち、下腹部までが熱くなる。


テオ・ディストロ、あの浅ましい貴族、俺の妹を、あの清らかで誰からも愛される美しい少女を娼婦に貶め、病に罹らせて殺した大罪人。

王都に戻った俺が会った妹はすでに妹ではなかった。別人に変わり果てた少女ともいえない穢れた身を抱いてやることもできずにただ、銀貨一枚で後始末を頼み、逃げた。

美しくない妹など妹ではない。本当に美しい少女だったんだ。兄だから、毎日抱き締めて寝た。溢れる涙は唇で吸い取り、舌先で転がした。髪もうなじも背も胸も、何をしても許されるのは兄である俺だけだったはずだ。永遠に清らかな乙女であるよう、貴族の養子になどさせたくなかったというのに、俺の居ぬ間に男どもに汚されて殺された。


孤児院から一緒に逃げたヤーボ兄貴が教えてくれなければ悪人の名も知れないところだった。施療院の修道女は、死の床にある妹を助け出して預けたのがテオ・ディストロ司教だといった。嘘八百だ。ディストロの家名に騙されたか、整った顔立ちに騙されたか。

やっと仇を手に入れて、組み敷き犯しても晴れない恨みをようやく、その死と、妹に捧げる目玉を得て、ようやく晴らそうとした、晴れるはずだったこの。



・・・・・・・・・・・・



「あぁ、遂にこのときが来た」


ギュンター侯爵領に戻ってから、王都には二度と行くことはないと知っていた。騎士団長職を解かれるからではない。どちらかといえば、その前に呪いを発動させるのだろうと考えていた。

力を得た若者が後先考えずに暴走するなど、古今東西よくある話だ。

壮年や老年であれば——もちろん順当に見識を積んだ前提だが——降って湧いた幸運にも耐えられる、いや、過分な力を得た者に待っているのはやはり破滅だけなのかもしれない。

二百年以上前の我らの祖が神様の領分に足を踏み入れたその時から、いずれ破滅のときを迎えるのは確定していた。少しばかり先に逝くだけだ。


アルベルト・ギュンターは王都に置いてきた魔術の目を介し、花火を見ていた。魔法で作り出した緋色の閃光に、火薬の臭いを混ぜて、派手に音まで鳴らして。

魔法が使えないと悄げていた娘は誰だったっけ。可笑しくて可笑しくて声を立てて笑った。涙が出る。


「なにごと……あぁ、私、眠ってしまっていたのね」

「起こしてしまったかい」


同じベッドの上にカテナ・ギュンターがいる。

少し膨らんできたお腹が、アルベルトの喪失感を和らげてくれる。


「別に構わないのだよ。君の健康が一番大切だ」

「私ではなく、お腹の子の健康ですけど、ねー」


下腹を撫でつつ話し掛けるカテナを、この頃やっと愛おしいと思うようになった。

ただ単純に愛せば良かったんだ。魔族の血の混じる女たちを、ただ子を宿して欲しかっただけなのに痛めつけながら犯した。

編み出した呪術で、死の直前まで傷つけた娘も元通りに癒やせた。あの地下室で僕が付けた傷ならば。ひとたび魔族の血を嗅げば、憎悪が全身を貫き、殺してはならないという制約だけで暴虐を揮った。死ねと叫び、滅びろと喚き、泣き叫ぶ女を嗤った。

気が狂っているなど疾うの昔に知っている。

それを指摘した女には、心臓を抉り出して青く燃えるのを見せて遣った。


どうしてカテナは耐えられたのだろう。

どうしてカテナから彼女の声が聞こえたのだろう。



彼女。僕が殺した女性グローリア・メレスは、僕ら兄弟の幼なじみだった。

メレス伯爵家は四代前に本家から別れたギュンター系の貴族だ。遠縁にあたる彼女は、幼い頃から次期当主である兄との縁組みが決められていたのだろう、僕だけが知らなかった。

五歳のときに突然膨大な魔力が現出した僕は、防御の魔術を周囲に練り込んだ屋敷の離れで過ごしていた。兄とリアだけが僕の魔力に対応できた。子どもだったからだろうか、あるいはふたりを傷つけたくない内心が無意識に魔力を制御していたか。

ともかく、幼い僕の世界にはふたりしかいなかった。


ある程度魔法制御が上手くなると、屋敷の母屋に行けるようになった。五年ほど経っていて、僕は十歳になっていた。

四つ上の兄は十四歳、リアは十一歳で、ギュンター侯爵家当主である父は、兄とリアとの婚約を発表した。

ああ、僕はその時にやっと、リアが好きなのだと気付いた。そして、リアと兄とが思い合っているのだと気付いた。

幼くとも貴族であるふたりは、近い将来の伴侶との仲睦まじい様子を周囲に知らしめる。ギュンター一族の長と、国の重鎮たる大司教か騎士団長位を拝命する矜持と能力を、兄だけでなく妻となるリアも間違いなく磨いていた。


離れで暮らしていて蚊帳の外だったからではない。歳の差も素養も、覆せるだけの何をも僕は持たなかった。


『僕の方が年が近いんだ、僕にしなよ』


困らせると分かっていて、冗談にもならない文句を口にして、すぐに後悔して謝った。子どもでもそれは許せないと、兄が拳骨をくれて、それで場が和んだ。庇われたのが嬉しくて情けなくて、逃げ出した。


それからしばらくずっと、魔術と呪術の研究と称して離れに篭もった。リアや兄が会いに来ても挨拶だけで帰ってもらう。

忙しいんだ、言い訳して。


確かに研究は進んでいた。

あり得ないほどの量を有する魔力だけでなく、魔術や呪術に関する閃きも、魔術師一族であるギュンターの血を踏まえても異常だった。

魔族が得意とする魔法陣に関する研究は、一族の領袖であり、宰相である父侯爵ですら理解不能だった。

極小の魔法陣を刻んだ魔導具を壁に埋め込んで周囲を探る目。

触れた者の魔力を吸い取る魔導装置。

そうだ、魔力で魔法陣を描画し、贄として収拾した魔力を供給すれば、半永久的に動作する魔法陣が造れるのでは。


何も考えずに行う研究は本当に楽しかった。

回復の魔法が使えない僕でも他者を癒やせる秘薬を開発した日、リアと兄は結婚した。

リアは、グローリア・ギュンター、僕の義姉となった。



「あぁ、時間が来た」

花火の音が、閃光よりも遅れて耳に届いたその時、アルベルト・ギュンター元騎士団長は、うっぞりとした感覚に胸を押さえた。

ただ、穴が開いている。

職務上勝手に鍛えられた胸筋も、その内側に収まっているはずの臓物や骨さえも、血の一滴も垂らさず消え去っている。


これが本物の呪法か。

理不尽な死の間際とは思えないほどの晴れやかな笑みを浮かべて、アルベルトはカテナにもたれ掛かった。

誰かに寄り添いたかった訳ではなく、もはや自重を支える力さえ残らないだけだった。

カテナは頭を抱き寄せて唄い始めた。



父の祈りを得て

母の願いによりて

生まれ出し汝の眠り

誰ぞ妨げん 誰ぞ妨げん



澄んだ子守歌に目を閉じれば、リアの顔が瞼に浮かぶ。

あの日、領地の本邸での父ギュンター侯爵誕生祝いに一族が集まっていた。

一族といってもたった二十七名。百五十年近く前から続く高位貴族の一族の人数としては少なすぎると、もっと早くに気付くべきだった。

僕は数ヶ月前から没頭していた呪いの研究の成果に、愕然としていた。

呪法の研究により偶然、自らの血に呪いが掛けられていることを発見したが、ついに破滅の呪い、術者の死により滅ぼされる呪いだと知ってしまったのだ。


『僕らは、僕らには、大変な呪いがっ』

着の身着のままパーティに乱入し、半狂乱で叫ぶ僕を、落ち着けと父や兄が宥めた。


『アル、落ち着いて、アル、大丈夫だから』

リアまでもが、気狂いを取りなす憐憫の目を向けたと思った。

伯父伯母やいっそ父や兄に哀憐の情を向けられるのは我慢できる。でも、リアまで。


『……僕の方が、僕の方がっ』


力が弾けた。

完璧に制御できていると考えていた魔力が、僕を裏切り暴れ回った。兄に庇われるリアと、お腹を庇うリアの姿を認識したのを最後に、僕自身の意識も遠のいた。



二十七名。

僕が殺した一族の数。

公式には、ギュンター侯爵家に恨みを持つ者たちが雇った暗殺団に惨殺されたとされている数。

本当は、二十八人、だ。

リアのお腹には赤ちゃんがいたんだ。

滅びる運命だとしても、一縷の願いを込めて、愛する者との子を宿した。


思い返せば、僕の指摘——血に滅びの呪いが掛けられている——を聞いても、一族の誰も驚かなかった。一族が過度に人数調整されていることを考慮しても、リアも含めてみな、滅びの秘密を知っていたのだ。

僕だけに知らさなかった理由を、亡き父や兄に尋ねることはもうできないが、慮ってのことだとは分かる。その結果、最悪の事態を引き起こした訳だけれど。



僕はリアの思いを叶えたかった。

一族の血を残したかった。

それだけが、せめてもの償いだと。

だけど、血筋に掛けられた呪いは容易に覆せるものではない。誰と子を為せば、後の世に僕らの、ギュンターの血を遺せるだろうか。

十四歳で当主になった僕には、多くの女性が近づいてきた。初心な少年を文字通りの意味で抱き込めば、ギュンター侯爵家に入ることができる。天涯孤独のひ弱な少年を誑し込むなど造作ないと。

ただの女に興味は無い。死ぬ運命の子を為すつもりなどない。

釣れなく断り続ける中、ある令嬢が大胆にも夜会の際に空き室に僕を連れ込んで服を脱ぎ始め、ベッド脇に飾られた花瓶の薔薇で指から血を流して……



一度認識すれば、その血の持ち主を魔力から辿ることができた。どうしてこんな簡単な事に気付かなかったのか。

魔族に掛けられた血の呪いならば、掛けた魔族の血を引く娘ならばきっと避けられる。

しかし、魔族の血を嗅げば憎悪を抑えきれなくなる。

僕を僕らを呪い、僕の大切な者すべてを奪い去った魔族と、呪いの原因となった魔王の封印、封印の聖女。

憎しみを治癒し、哀しみを忘却させる魔族の娘を、僕は探し続けた……



いよいよとなったら。僕はカテナに頼んだ。

アル、と呼んで送り出してくれ。

けれど、カテナは歌い続ける。

そうか、これが君の復讐か。宿した子を産んでくれるのならば、ほかは別に構わない。人でなしの彼岸行きをうたで照らして見送って、君は大した女性だ。

媚びない美しさにリアを見たのかもしれない。悟ったとて、もはや無意味だけれど。


すまなかった。ありがと。

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