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 午前8時30分朝のホームルームの開始を告げるチャイムと共に麗はバタバタと上靴を鳴らし教室に駆け込んだ。室中の何名かが麗を一瞥する。


「すみません、遅れました」


「はい、次は無いようにな、それと廊下は走るなよ」


 初犯だった為か軽く注意されただけでそれ以上の追及はなかった。


「はい、すみません」


 速やかに自身に着席した途端、またも視線が麗を襲った。この視線には覚えがある。先週も先月も昨年も浴び続けて来た視線だ。とはいえ長い間浴び続けて来た視線だ、放っておいても特に問題はないだろう。


 再度予鈴が鳴り、ホームルームの終了を告げる。

 各々が散り散りになり目的地へ向かう中、川の流れをものともせず佇む岩の様に麗はラフスケッチを始めた。


「れーいーちゃん」


 海底のような濃い蒼色の瞳を大きく見開き淡翠は麗の耳元で囁く。


「また今度ね」


「えっ、まだ何も言ってないじゃん! 」


「そうだね、言ってないね。でも何となく分かるからまた今度」


「……分かった、 頑張ってね」


「えっ?……あ、ありがとう。珍しいね」


「ふふふ、ワタシは察しが良いんだよ。じゃあね」


 淡翠は不敵な笑みを浮かべながら軽く手を振り麗の元を後にした。


 これでようやく集中できると安堵しながら机に向き合い、スマートフォンに書き起こしたメモ書きを見ながらシャープペンシルを握る。だが、描き出された線は何を形作る訳でもなく、スケッチブックにはただの線の束だけが描かれていた。


「どうして……」


 顔は憂いと焦りを帯び、背中に汗が伝っていく。

 デジタルに頼ってきたが為にアナログが描けなくなってしまったのだろうか。

 そんな麗の心境など露知らず、一通の連絡が麗のスマートフォンに届いた。


                *


 放課後

 フォトンコネクト3階


「いやぁ、突然呼び出してごめんね! 」


「いえ……」


 これまでも何度か呼び出される事はあったが、今回はあまりにも唐突すぎるものだった。


「あの、一体どんな用件で……」


「この前話したストーリーの件なんだけどさ」


 まるで他人事のような語り口で話題に入る緋乃木。それとは対称的に麗は食い気味に声を上げた。


「っ! エリンは? エリンはどうなるんですか!? 」


「あー、ごめんエリンの方向性も登場もまだなんだけど、ちょっとシナリオに目通してほしいなって」


「……それだけの為に呼んだんですか? 」


 上手く描けない自分への苛立ちと緋乃木の飄々とした態度が癪に障ったのか、麗は鋭い眼差しで緋乃木を睨みつける。が、緋乃木の視線は社内用のタブレット端末に向いていた。


「そうそう、ごめんね昨日の夜中にデータ来てたみたいでさー」


「はぁ……分かりました。ただし、まだ作業が残ってるんで少し目通したら帰らせていただきます」


「オッケーオッケー、でもレイさんにとってもいい刺激になるかもよ? 」


 緋乃木に連れられオフィスへと脚を進めるさなか、休憩室の扉が開き何者かが麗に声を掛ける。


「ししょー!! 」


「わっ! 」


 思わず声をあげる麗、振り返るとそこにはルクスが無邪気に目を輝かせていた。


「ルクスさん? 」


「っ! 憶えてくれてたんですね、光栄です! 」


「あ、いや、私を尊敬してくれる人なんてそうは居ないから憶えてるよ」


「そんな事ないですよ! 師匠の”絵が”好きな人は沢山います! 」


「そう、ありがとう」


「あっ、そういえば師匠もシナリオ見に来たんですか? 」


「うん」


 しめたと言わんばかりに緋乃木は食い気味に話す。


「そう言う事ならルクスさんと一緒に目通してもらおうかな、僕はまだ仕事残ってるから! 」


 そして脱兎の如く緋乃木は走り去っていく、その一連の所作は常習犯であることを確信させるものだった。


「……じゃあ、ルクスさん一緒に行こっか」


「はい! 」


「……ねぇ、ルクスさん、緋乃木さんからイラストの発注受ける時は具体的な詳細取った方が良いよ、大雑把に捉えるとあとで何度もリテイク喰らうから」


「リテイク? 」


「やり直しさせられるって事、場合によっては最初からやり直さなきゃいけない事もあるから」


「はえ~、そうなんですね! でも、それはそれで何だか楽しそうです! 」


「……どういう事? 」


「何度もやり直すって、何だか一緒にそのキャラクターを作っていってるような感じがするんです! 独りで絵を描いてると何が正解なのか分からなくなって凄く不安になって、これで合ってるのかな、皆はどう思うのかなって……ずっと独りで絵を描いてきたから、”ここは違うよ”って、”ここはこうした方が良いよ”って言ってくれる人が居るって良いなってアタシは思います! 」


『一緒に作る』。それは麗が考えた事も無い発想だった。

 これまでにも麗は描いたイラストをSNSに載せ、いいねを貰った事は幾度となくあった。だが、その裏でアドバイスを貰った事はただの一度も無く、初めて貰った言葉は注文《リテイク》だった。


 話は麗がまだフォトンコネクトに所属して間もない頃まで遡る――


                 *


 ――『レイさんだっけ? 外見は確かにこれで良いんだけどもう少しポーズなんとかなんない? 今座ってる状態じゃん? こう、インパクトに欠けるし、これだとレアリティに見合わないからさ……あ、そうだ。せめて立たせて欲しいかな』


『ごめんなさい、その……立たせるとなると最初から描きなおす事に』


『え? 出来な……あぁ、クソっ、難しいの? デザインはそのまんまで良いんだよ、何も最初からやり直せって言ってる訳じゃないんだからさ、何とか頑張ってみてくれると助かるんだけど 』


『……はい』――



                *



「そう……頑張ってね、ルクスさん」


「はい、頑張ります! そういえば師匠、アタシまだ、緋乃木さんや事務所の皆さんにも見せてない絵があるんです……その、見て貰っても良いですか? 」


「いいよ」


「っ! ありがとうございます!! 」


 鞄の中からクリアファイルを取り出し、その中に入っていた紙を意気揚々麗に見せた。



 そこにあったのは可憐なドレスを身にまとったエリンの姿だった。

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