元美術部部長 剱持麗

 「和泉さん? 」


 不意に声が漏れ、黒髪の少女は咄嗟に振り返った。


「釼持部長……ですよね? お久しぶりです! 」


 部長。かつてそんな役職名で呼ばれていた事を麗は不意に思い出した。美術部員の前では剱持麗ではなく”部長”だったのだ。


 あまりに突然な再会に麗は接し方に迷っていた。イメージを損なわぬよう、とうに棄てた筈の演技のような装いをするか、或いは今の”剱持麗”として接するべきか。


 考えを巡らせる事に集中していると、碧唯は麗の元に駆け寄り不思議そうに麗の顔を覗く。


「部長? どうかしましたか」


「……あぁ、私か。あ、いや……我って言った方が良いのか」


「我? そういえば昔の部長はそんなキャラでしたね。もしかして、私とどうやって話せば良いか分からなくて―」


「……」


 純粋な瞳で”そんなキャラ”と言われたことに少し驚きつつも麗は無言で首を縦に振った。


「何でも良いですよ、話し方なんて。私だって少しは変わったんですから」


「言われてみれば確かに。中学の時よりも凛とした顔つきだし、眼鏡も掛けて……視力落ちたの? 」


「いえ、伊達メガネですよ。この前萌咲が買ってくれたんです」


「もえ……? あ、北邑さんか。相変わらず仲良いんだな」


「そうですね、ここで一緒にバイトするくらいには」


「相変わらず……いや、昔以上の仲の良さだな。喧嘩なんて無縁の話なんじゃないか? 」


 そう問い掛ける麗に対し碧唯は自嘲気味に笑いながら眼鏡を拭く。


「ううん、ついこの間したばっかですよ。まぁ、その件は私が悪かったんですけどね」


「何があっ―」


 声帯に急ブレーキを掛け口を閉じる。

 何でも首を突っ込む事が昔から麗の悪い癖だった。希望が絶望に変わり涙を流す少女に天才肌だの唯一無二だの自分の考えを押し付け、今もこうして彼女の過去に土足で踏み込もうとしている。


「ごめん、やっぱ何でもない。他人がずかずかと入り込んで良い話題じゃないよね」


「そんな事ないですよ。話しても良いんですが長くなっちゃいますから機会があればまた今度お話しますね。けど、もう仲直りしましたし今では大切な友達です」


「友達? 散々部室でイチャついておきながらよく言えたものだなぁ」


「イチャつ……えっ? 萌咲と私がですか? 」


「そうそう、前言撤回しておこう。和泉殿は何も変わらぬよ、はっはっはー」


 ワザとらしく笑い碧唯をおちょくる麗。そのからかいぶりはまるで何処かの皮肉屋のようだ。


「どっ……どっちなんですか!?」


「さぁね、部長じゃ分かんないな。さて、本題なんだが、ここで作画資料を扱ってるって友達から聞いたんだけどそれって本当? 」


「資料ですか、確かにありますよ。どんな感じのをお探しですか? 」


「ドレス……こういうタイプのなんだが」


 スカートのポケットからスマホを取り出し、参考画像を碧唯に見せる。


 途端、碧唯は考える素振りを見せうーんと唸った。


「これは……ファンタジー系のドレス? 」


「私も初めて描くタイプだから想像で補うのは難しくてな」


 眼鏡を外し画面を凝視したかと思うと、碧唯はそのまま店奥の暖簾の方へと脚を向ける。


「裏見て来るんでちょっと待っててください」


「助かる。にしても……このフロアはなんというか殺風景だな」


 辺りを見渡しながら呟くと、レジ奥の暖簾から声が返ってきた


「ですよね、私も萌咲も配属された時はビックリしましたよ。なーんもないフロアなんですから、あるのは作画資料と譜面が載ってる本だけ」


「譜面? 」


「はい、店長がエレキ弾くのが趣味らしくてそれで置いてるんです」


「趣味って……需要は? 」


「うーん、前まで私もそう思ってたんですが案外あるみたいですよ、この間なんかギターケース担いだ私達くらいの女の子が買っていきましたし」


「あるにはあるんだ……」


                *


「すみません、お待たせしました」


 碧唯が暖簾を潜り、なだらかな胸が隠れる程の高さまで積み重ねられた資料を抱え込む。


「重そうだね、持とうか? 」


「大丈夫ですよ、短距離なんで。よいっしょっと……」


 ドスンと大きな音を立て一冊ずつ資料の塔から下ろしていく。


「色々漁ってはみたんですけど、関連しそうな資料を手当たり次第に探してたらこんな一杯になっちゃって」


「なるほど、拝見させて貰うね」


 資料の山から一冊を手に取り、麗は嘗め回すように資料を凝視した。


「にしても店員である私が言うのもなんですが、資料なんて今時画像検索で一発じゃないですか、どうしてまた」


「本物が欲しいんだよ」


「本物? 」


「そう、確かに和泉さんの言う通り画像検索すれば資料なんて無料で山ほど見られる。けど、その中に本物の、人間が作った、撮影したものはどれだけあると思う? 」


「あっ……AI」


「そう。AIだ」


「けどAIが描いたものだって参考にはなると思うんです。SNSではAIが生成した絵に忌避感や怒りを覚えたりする人達が対立してますけど……上手く共存出来れば力になってくれると思うんです」


「和泉さんの言いたいことはよく分かる。前までの私だったら多分同じことを言ってAIを使ってた……けど、プロになった私が大問題だ」


「プロ……? 」


 戸惑う碧唯にようやく気付いてか、麗は半ば煩わしそうに答える。


「そう……中学の頃から部長やってた傍らで同人活動しててある日突然オファー貰ったんだ。そこから紆余曲折あってちょうど今の和泉さんと同じくらいの頃にフォトンコネクトにスカウトされてプロ入りした」


「フォトンコネクトって、あのlateの……」


「そう、そんな大人気ゲームのイラストレーターがAIが生成した画像を参考にしたらどう思われるか、和泉さんなら分かるだろ? 」


「そう、ですよね。ごめんなさい、浅はかな事訊いちゃって」


 申し訳なさそうに頭を下げる碧唯に麗は慌ててフォローを入れる。


「謝んなくていいって!それに―」


 途端、言葉が詰まる。

 先程のように意図的に声帯にブレーキを掛けた訳でもなければ口をつぐんだ訳でもない。

 麗はただ後輩を安心させるために、自分を勇気づけるために言葉を吐きたかったのだ。『自分はAIに負けない』と。だのにやたらと生真面目な剱持麗はそんな無責任な発言を許さなかった。


「それに、大丈夫だよ、和泉さんは何も悪い事してない」


「……そう言っていただけると嬉しいです。えっと、ごめんなさい、話が逸れちゃいましたね。何か気に入った資料はありましたか? 」


「あぁ……それならこの上二冊を買おうかな」


 積み重ねられた上二冊の資料を手に取り碧唯に渡す。

 そうして購入した資料が入った袋を手に下げ、麗は黄昏時の秋葉原を去って行った。

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