肯定なんかしない
「ほーん、つまり麗ちゃんは描けるかどうか分からないものを緋乃木さんに押し付けられちゃって退くに引けない訳だ」
「要約しなくていいから……それにまだ描くって決めた訳じゃない」
「でも描かなきゃ麗ちゃん仕事ないんでしょ? だって麗ちゃんはエリンちゃんの専属絵師なんだから」
「その時はその時で他に回されるかも知れないでしょ、それならそれで頑張るから良いよ」
虚勢を張る麗を前に淡翠は小さくため息を吐く。
「麗ちゃん、麗ちゃんはフォトンコネクトに入った時から今まで何人のキャラを手掛けて来た? 」
「……エリンだけ」
「だよね、常にセールスランキング上位のゲームアプリがイラストレーターに困ることってある? 」
「また皮肉?……分かってるよ、けど不安なんだよ、描き方なんかも分からない分野だもの」
「けど、ここで描かなかったら恐らく麗ちゃんに仕事は来ないよ? 麗ちゃんには”絵の才能”があるんだからさ、描き方さえ覚えればきっと自分のものに出来る筈だよ? 」
昔から新敷淡翠は決まって麗が否定する事を否定するような人物だった。向いてない、出来そうにない、やりたくない、仕方ない。そういった否定を武器に麗が逃げ道を作ろうとすると彼女は決まって行く手を阻む。
「いつもは理屈っぽい癖に、今のはなんだからしくないね……まぁ、やるだけやってみるけどさ」
「さっすがイラストレーター! そういえば麗ちゃんっていつから天才なの? 」
「何いつから天才って……私は幼い頃からずっと好きで絵を描き続けて、それが今に繋がってるだけ。天才なんかじゃないんだよ」
「へぇー、何を言ってるのか分かんないけど分かった」
「語って損した」
「ワタシは損してないよ、麗ちゃんの自論を聞けたからねぇ」
淡翠が注文したショートケーキが配膳ロボットに乗せられ運ばれてくる。
待っていたと言わんばかりショートケーキの乗った皿を机上に移し、上に乗った苺にフォークを突き刺す。そんな様子に違和感を覚えたのか、麗は淡翠に疑問を投げかけた。
「淡翠って苺苦手なの? 」
「なんで? 」
「いや、淡翠って好きな物は最後に取っておくタイプだと思ってたから。ほらお弁当でも最後にだし巻き卵食べてたし」
「おぉ、ちゃんと私の事見てくれてるんだね! さっすが麗ちゃん!! でも残念、半分ふせぇかい」
「茶化さないで……って、半分? 」
「苺自体は好きなんだよ、でもね、この時期の苺は嫌いなんだ」
「時期? あ、そっか。暖かくなってきたから酸っぱくなるもんね」
「そういう事、好きなモノでも嫌いになる時ってあるんだよね。ある日、突然、何の前触れもなくさ、けど、残したら残したでそれはそれで気になるって話」
そう答える彼女の
何か含みがあるんだろうか、或いは麗が都合の良いように言葉を受け取っているだけなのだろうか。
*
夕方17時。夏至が近いからか薄暗さはあるものの東京の空は未だに青を保っていた。
「大丈夫? 教えたお店まで一緒に行こうかぁ? 」
「大丈夫だよ、そんな方向音痴じゃないし……コーヒーとケーキごちそうさま。美味しかったからまた今度来てみようかな」
「はーい、また何か悩み事があったら何時でも相談してね、メールでも良いし、チャットでも良いし、通話でも良いし、学校でも良いし、休み時間でも良いし、放課後でも良いし、はたまた授業中でも良いし、或いは脳に直接語り掛けて良いからね! 」
「ありがとう。後半はいらないかな」
「まぁ、そうだよね。現に麗ちゃんが口に出さなくてもワタシは見抜いちゃったワケだし」
「……今日は助かったけど、私だって他人に話したくない事もあるんだからそこは弁えてよ? 」
「もっちろん! ワタシは察しの良い女だからねぇ、麗ちゃんのデリカシーな部分は触れないでおくよ」
目を細めニヤリと笑う淡翠の姿に信頼と不安が入り混じったため息をついた。
「ありがと。じゃあ、また学校でね」
「うん、またねぇー! 」
淡翠に手を振り坂を下り、橋の下を通り、電気街を通り、淡翠に教えてもらった店の前に着き、自動ドアを潜った―
「うっ! 」
今度は多くの人によって形成された湿った空気が麗を襲い、思わず店舗の脇に設けられた階段へ避難する。
「あぁ、最新刊今日だったんだ」
それはかつて麗が読み耽っていた何でもない日常を描いた作品だった。最新話が更新される度、昼休みや就寝前などその作品を読むこと自体が彼女の日課になっていた。しかし、いつの日か作者の体調不良が続き更新が途絶えた頃、それと同時に麗の日課は音もなく消え去り、何事もなかったかのように日常が続いた。
そんな過去を思い出し、それと結び付けるように先程淡翠に言われたことを思い返す。
―好きなモノでも嫌いになる時ってあるんだよね。ある日、突然、何の前触れもなくさ、けど、残したら残したでそれはそれで気になるって話。―
『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』とはよく言ったものだ。
手すりを掴んでゆっくりと階段を上る。二階、三階、四階と階段を昇りそろそろ足が音を上げ始めた頃、とうとう目的地の六階へと辿り着いた。
「はぁ、はぁ、暑っつ」
乱れた呼吸を整え顔を上げる―と、視線の先に見知った顔が居た。
黒髪で琥珀色の瞳。かつての後輩だった。
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