#2:ワたしヘ

師匠

 五月の下旬。都内の一角に佇むビルの25階、その隅にある待合室の中、剱持麗は大きな欠伸をしながらタブレット端末を指でなぞっていた。


 高校へ進学し、趣味で描いていたイラストをSNSに上げていたところ、実力を買われこのゲーム会社『フォトンコネクト』にスカウトされる。

 そして、この四月から学生イラストレーターとして活動して二年が経とうとしていた。


 「……遅い」


 頬杖をつき、微かに瞼を閉じたその時、振動が伝ってくるほどの大きな足音が徐々に麗の元へと近づいてくる。


「お待たせレイさん! 」


 顎鬚を生やした男は扉を勢いよく開け、レイと呼ばれる少女の名を呼んだ。


「いえいえ、大丈夫ですよ緋乃木ひのきさん。一時間も原稿のチェックが出来たんで助かりましたよ。も」


 普段から繰り出される無茶ぶりの仕返しと言わんばかりに麗は語気を強める。


「あー、ごめんごめん。今日来る新人さんが道に迷ってたみたいで……とりあえず僕のデスクまで行こう」


「新人さん?」


「そう、凄く見込みのある子でね。お世辞にもめっちゃ上手いって訳じゃないんだけど、その子の描くイラストはとにかく熱量が凄いんだ! 例えば―」


「ストップ! それはまた今度ゆっくり聞きますから。それより、原稿の方はどうですか? 」


「おっと失礼、原稿の方はいつも通り一発オッケーだよ。このままの状態で実装しようと思う。ただ……」


「ただ? 」


「今ライターさん達の間で揉めててね、エリンを三期の主人公たちの師匠的なポジにまわすっていう案が一つ。もう一つは前線から身を引いて元のお姫様として振舞って貰おうていう案がもう一つ」


「後者の場合、展開にもよると思うんですけど、エリンの出番減りませんか? 」


「まぁ……そうなるね。申し訳ないけど。それと、もし仮に、仮にだよ? エリンが後者のようになった時、鎧や剣なんかは描けなくなってドレスとかがメインになると思うんだけどその辺は大丈夫? 」


「それは……」


 緋乃木の言葉に麗は困った顔のまま愛想笑いを浮かべ、しばしの無言を貫いた。


「難しい? 」


 簡単な言葉を吐く男だ。『はい』か『いいえ』その二択に絞れる程容易なものではない。何せドレスを描くなど麗にとっては未踏の領域だからだ。そんなものが今の麗に描けるだろうか。

 現時点では何も分からないこの場で決める事など不可能に等しい。だが、ここで断ればこの会社に入って鎧を纏ったエリンしか描いてこなかった麗は能力不足とみなされ事実上のクビということになるだろう。

 安泰かと思われた人生設計に突如として大きな分岐点が現れた。


「えっと……」


 口を濁し黙秘を貫こうとしたその時、PCの排熱で満たされた重苦しい空間に一筋の爽やかな風が吹き込んだ。


「あのっ! 遅れてすみませ、ぶへぇっ!! 」


 明るい桃色の髪をした少女は勢いよく扉を開け、勢いよく声を上げたかと思うと、何に躓いたわけでもなく勢いよく転倒した。


 その一部始終を間近で見ていた麗は慌ててその少女に手を差し伸べる。


「大丈夫ですか? 」


「うぅ、すみません」


 少女が麗の手を取って立ち上がり麗の顔をジッと見つめる。


 その目はまるで成層圏のような澄んだ蒼色をしていた。


「ありがとうございます、ダイジョブです! あ、あと! 遅れてしまい大変申し訳ございません!! 」


「いや私は何も……謝るなら多分隣の人だと思うけど」


「へぁっ!? ごめんなさい! 」


 桃髪の少女はすぐさま視点を麗の隣に座っていた緋乃木に身体の向きを変え、深々と謝る。


「大丈夫だよそんな謝らないでって」


「緋乃木さん、もしかしてこの娘が件の? 」


「うん、そうだ紹介しておくよレイさん、彼女が新人イラストレーターのルクスさんで、彼女がЯ∀Y《レイ》さん。知ってると思うけど今はエリンのイラストを担当してます」


 明朗快活な少女にピッタリな名前だと感心する麗を他所に、少女は再び眩い眼差しを麗に送った。


「あ、貴女様がЯ∀Y先生ですかっ? 」


「まぁ、紹介にあった通り、Я∀Yです。はい」


 元気な姿に圧倒されてか、麗は思わず淡白な返答をする。


「お会いしたかったです! アタシ、Я∀Y先生に憧れてイラストレーターになったんです!! 」


「私に? 」


「はい、先生がデビューする前の”妄想具現録”を描いてた頃からずっと見てたんです! 」


「うそ、あれ見てたの……? 」


 それは麗が中学時代密かにネットの海に流した二次創作物だった。それをまさか今になって他人の口から聞く事になるとは思わず視線を逸らす。

 悪意が無いのは承知だが随分と酷な事をするもんだと心の中で毒づいた。


「はい! 先生が先生と呼ばれる切っ掛けになった作品ですから! それ以外にもlateのアンソロとか―」


 ルクスの溢れんばかりの情熱を緋乃木が瞬く間に遮り会議室へと誘導する。


「そこまで、ルクスさん。先生は忙しいからまた今度、契約書とか色々描いてもらうから会議室行きましょう! 」


「そうでした! すみません! 」


「じゃあレイさん、さっきの件考えておいて、こっちも進捗あれば随時連絡するから! んじゃ、お疲れ様! 」


「先生……いや、! ”師匠”また今度お話しましょう!! 」


 緋乃木に連行されながらも麗に向けて大きく手を振るルクス。それに応えるように麗は軽く手を振り返した。

                  *


 エントランスを出て、麗は晴れ渡った午後の空を一瞥し、肺に溜まっていた空気を小さく吐き出した。


 明朗な性格に桃色の髪、まるで春をそのまま擬人化したかのような少女だった。


 麗に憧れイラストレーターになり、終いには師匠と呼ばれ、麗は初めて部長と呼ばれた日を思い出し笑みをこぼす。


「悪くないな」


 だが、今はそんな事で喜んでいる場合ではない。Я∀Yとしての活動を大きく左右される重大な分岐点に立っているのだ。その事を思い出した麗の表情は瞬く間に憂いを帯びる。


「ドレス……か」


 そう呟き青に変わった横断歩道を渡ろうとした。その時だった、視界の隅から何者かが麗の肩を軽く叩く。


「やぁやぁやぁ麗ちゃん、奇遇だね」


「奇遇? 待ってたの間違いじゃなくて? 」


「失敬な、確かに”そろそろ麗ちゃんが会社から出て来る時間だなぁ”と思ってここには来たけど偶然だよ」


「素直に待ってたって言いなよ……」


「それじゃあワタシがストーカーみたいじゃん」


 輝くような銀色のハーフツイン、それとは対称的に深海の様に深く、光を宿さない紺碧の瞳をした少女は目の前に立ち麗の視界の大半を独占する。


「事実そうでしょ……って何? 近いってば」


「んー、麗ちゃん何か悩み事かなぁと思って」


「あったとしても話さないし、第一、淡翠には分かんないでしょ……絵の事なんてさ」


 淡翠を払いのけ青に変わった横断歩道に歩みを進めていく。

 その後ろ姿を見た淡翠はにやりと笑い単語を発する。


「……コーヒー一杯」


「……」


「ケーキ」


「……何の? 」


「チョコレートケーキ……520円」


「……はぁ……分かった」


           *


 打ちっぱなしのコンクリートの床に落ち着いた暗色の木材を要所にあしらった和モダンをテーマにした喫茶店、新敷淡翠行きつけの喫茶店だ。

 イラストレーターという仕事柄か麗は目を輝かせ嘗め回す様に店内を見渡していた。


「おやおや、改築してから初めてだっけ? 」


「うん、凄いね……大人びた雰囲気でクールな印象を受けながらも自然光源を取り込み、机に明るい色の樫の木を使う事によって―」


「ふふっ」


 マシンガントークをする麗の様子を見て淡翠は噴き出す様に笑う。


「何かおかしかった? 」


「いやね、この間テレビの取材が来てたんだよ」


「おぉ、やっぱそうだよね。 凄く素敵な内装だし」


 麗は嬉々としてテーブルや照明をじっくりと眺め、制服のポケットからスマートフォンを取り出し店員に撮影の許可を求める。


「そしたらさ今の麗ちゃんみたいな感じで入って早々に内装の事を褒めだしたんだよぉ。それも、麗ちゃんよりコンパクトに感想を言ってくれたんだよね」


「語彙が豊富なんだろうね。因みにどんな感想を? 」


「いやぁ、それがさワタシ記憶力が無いのか憶えてないんだよね。語彙もそうだけどきっと彼女らはワタシなんかと違って記憶力も良いんだろうね」


「記憶力? 」


「そ、入る前にジーっと何かを店の前で読んでから入ってきたんだよねぇ。ほぉんと勉強熱心だよねぇ」


 そう言いながら淡翠は目をギョロリと大きく見開き乾いた笑い声をあげた。

 その様子を見た麗は何か閃くように―


「……はぁ、また皮肉でしょ? 」


「皮肉? 何のことかなぁ、ワタシはただアナウンサーの記憶力と勤勉さを褒めただけだよ? 」


「そう言うのいいから。と言うか、分かってしまう自分が嫌だ」


「まぁまぁ、解釈は麗ちゃんに任せるとして……聞かせてよ絵の悩みってやつをさ」


 組んだ両手の上に顎乗せ、ニタニタと口角を上げる淡翠。その目は引き込まれそうな深い蒼をしていた。

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