見てくれるからモチベが上がる
帰りのホームルームが終わり、帰る支度をしようとパーカーを羽織る。襟元を正しながら前を見ると萌咲が立っていた。
その隣は昼休みと違って誰も居ないようだ。
「もう帰っちゃう? どっか寄りたいなって思ってるんだけど」
「ん」
首を縦に振る。
「じゃあ行こっか」
「うん」
何の脈絡のない会話だ。だが、それでもこの二人の会話は成立する。何せ四年間ブランクを開ける事なく一緒に連れ添ってきた仲なのだから。そんな長年の関係ならではのこのやり取りを碧唯は密かに気に入っていた。
「ふふっ」
「いきなり笑い出した、怖っ、どしたの碧唯」
「あ、いや、その…熟年主婦みたいだなって」
「はぁ……と言うと? 」
「言葉にしなくてもある程度は意思疎通が取れる」
「あたし達いつからそんな超能力授かったの? まぁ、でも否定はしないかなぁ」
「そっか」
萌咲に行き先を委ねたまましばしの沈黙が続く。
またもこの沈黙を破ったのは彼女だった。
「でも、碧唯の老後見てみたいかも」
どういう意味で受け取るべきなのだろうか、これからも一緒に居たいという意味なのか、はたまた今の発言に意図など含まれていないのか。碧唯は少し混乱しながら答える。
「私は……想像できないかな」
「まぁ、まだそんな先の事は考えなくてもいいかもね」
「うん、後悔の無いように今をもっと楽しみたい」
高校生というある程度の自由が約束された時間、この時間が過ぎたらきっと色んなものを抱えて生きていく事になって余裕もなくなっていく事だろう。萌咲とこうして夕暮れの中駄弁りながら話す機会も減っていく。
だからこそ碧唯は今という時間にただならぬこだわりを持っていた。
「だったらあたし以外にも友達作りなよ、顔も可愛いんだから後は性格さえ直せばイケるよ」
「性格って、そんな殺生な」
「そんなに難しい事かね、別に十人二十人作れって言ってる訳じゃないんだよ」
「そうなの? 」
驚いたように目を丸くする碧唯に萌咲は少し引き、呆れたように碧唯を諭しだした。
「友達の定義って人それぞれ違うと思うけど、そんなに難しく考えなくていいような気がするけどね。どうせ時間が経てばその人とは友達じゃなくなるんだから」
「っ……」
萌咲の口から冷ややかな言葉が吐かれた。声の抑揚も表情も穏やかなままではあったが、その言葉はとても鋭利で凍てついたナイフのようだった。
途端、碧唯は抑えきれなくなったのか、不安を漏らす。
「わ、私はずっと友達だよね!? 」
泣きそうな顔で逃がすまいと萌咲の前に立ち塞がる。
「碧唯、もうあたし達一緒に居て四年も経つんだよ? それにさっきも言ったじゃん、あたし以外の友達を作れって。はい、そこから導き出される答えは? はい、碧唯さん」
「……私たちはトモダチ? 」
「そんな初めて感情を憶えたロボットみたいな言い方……そう、あたし達はもう友達でしょ? 」
「うん……」
そう答える碧唯の顔は不安に満ちていた。
今朝の緋山と萌咲が談笑する姿を思い返すと、自分達の関係などすぐに越してしまうのではないか。そんな不安が頭を過ると同時に一つの考えが浮かんだ。
「あ」
「どうしたの? 」
「ごめん、なんでもない」
越されてしまうのならば、自分が更に上回って越してしまえばいい。あの時の様に萌咲が自分を認めてくれるような絵を描けばきっと―。
「分かったならとりあえず退いてもらってもよろし? 」
「えっ? あ、ごめん」
萌咲の前に立ち塞がっていた事を思い出し慌ててその場から離れる。
「はい、どうも。さて、どこ行こっかね」
「決めてなかったの? 」
碧唯が問い掛ける。
「うん、とりあえず寄り道したい気分だったから。どっかでご飯でも食べて帰ろっか」
「ん、じゃあ家に連絡入れとかないと」
*
今週も二コマしかない美術の授業がやってきた。
食後の為か、うつらうつらと睡魔に抗いながらキャンバスに向かう者、それすらも叶わず身を委ねて頭を机に落とす者、その者達に声を掛け起こしにまわる者と、一つの空間の中でも各々の行動は大きく異なっていた。
だが、その中には真剣にキャンバスに向かう者もいた。
「碧唯ー、どのくらい進んだか見ていい? 」
「いいよ、筆洗ってくるね」
萌咲が嬉々と碧唯のキャンバスを覗き込んだ。
大分油絵にも慣れてきたのか、始めたころは油の臭いに耐えられなくて鼻を摘まみながら描いていたが、今はその臭いすら心地よく感じてしまう、まるで一種の中毒のようだ。
最初は油が垂れて混乱していた萌咲も、今や授業が終わるころには身体のあちこちが油まみれになっても笑ってられるくらいだ。
碧唯が洗い場から戻ってくると萌咲が興奮したように碧唯に話しかけてきた。
「碧唯、上手いじゃん! あたしのより良いじゃん!! 」
「そう? ありがと」
「やっぱり碧唯の描き方良いね、唯一無二って感じがする」
「それ、褒めてる? 」
いつもの癖で笑いながらも少し疑って掛かってしまう。しかし、萌咲はそんな疑いすらものともせずいつものように瞳を輝かせた。
「酷いなぁ、褒めてるよ」
「そう?……ありがと、にしてもさ、何か足りないんだよね、何だろ」
雑巾で筆先を過剰なまでに拭きながら考え込む。
「え、まだ足りないの? 欲張りな碧唯ちゃんだこと」
「うん」
席に着き自分のキャンバスと睨めっこをしていると、教師が碧唯達の元を通り過ぎる。
第三者の意見が欲しいと思い、碧唯は挙手をし教師を呼び止めた。
「先生ー」
「ん、どうした和泉さん? お、上手いじゃん」
「あ、ありがとうございます。でも何か足りないような気がして、何だと思います? 」
何が足りないのかが分からず、教師に助言を求めた。すると教師は「ちょっと失礼」と言い碧唯の筆とパレットに手を伸ばす。
「和泉さん、ちょっと一部分だけ描いていい? 」
「え? はい」
筆とパレットを持つと水面を濃い青色で塗りたくり、更に白い絵の具で大胆に波を描くと得意げに教師が解説を始めた。
「こうすると……ほら、水の色に深みが出て……んで、この白が波と太陽の光を演出してくれて綺麗だから結構”万人受け”しやすいんだよ。いやぁ、にしても和泉さん大分上手くなったね! 」
そう褒めると教師は意気揚々と去っていった。その様子とは対照的に、碧唯の身体から冷や汗が湧き出で背中や頬を伝っていた。
「きれい……」
”万人受け”、その言葉が脳から離れずリピートする。
自分の好きな物を貫き通す為、誰にも真似させない為、碧唯はずっとそれを心に刻んで絵を描いてきた。部長があの時言ってくれた”有象無象”にならない為に。
だのに先生の描いた万人受けする描き方に感動を覚えてしまった。
これなら皆が自分に注目してくれる。
褒めてくれる。
自称中学生の少女が描いた絵のように、自分の知らない誰かが自分の知らない所で褒めてくれる。
萌咲より絵も上手くなって、萌咲だけでなく色んな人が自分を―そうだ、誰かに褒められたくて絵を描いた。そこに誰かの目があるから絵を描いてきた。
碧唯の脳内に過去に味わった快楽が脳内を巡る。
―碧唯ちゃん絵上手だね!
―絵褒められたんだって? すごいじゃん!
―凄いなぁ絵の才能あるかもな? お父さんもお母さんもお絵描き上手くないからうらやましいなぁ。
―格好いい。
―和泉殿は天才肌やも知れんな。
―虫なんかじゃない、私の絵は。
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