≠北邑萌咲

 ――小学校の頃、初めて出来た友達が漫画を勧めてくれた。


 そこから漫画にはまり、いつしか漫画家になりたいと思うようになってた。

 でも絵はあまり上手くなくて、『そんなんで漫画家になるなんて無理だ』ってお兄ちゃんによく笑われた。


 それが悔しくて読んでた漫画を見ながら模写ばかり繰り返した。

 だんだんそれっぽい画風になってきた時、お兄ちゃんが悔しそうに黙りこくった顔は今でも鮮明に覚えてる。

 でも、なぜかそこに達成感はなかった。ずっと同じ画風を真似てたせいだろうか、その画風でしか絵を描けなくなってた。

 絵は自分が思い描いたものを自由に出せるものなのに、あたしはただ画風を真似ただけで自分の好きなものなんか全然描いてない。そんな他人の真似事しか出来ない自分が嫌で仕方なかった。


 そんな自分から卒業したくて、中学は美術部に入ることにした。

 どんな事を教えてくれるんだろう、どんな人がいるんだろう、そわそわしながら美術室に向かうと扉の前に黒髪で金色の目をした綺麗な女の子が立っていた。セーラー服の胸ポケットには、私と同じように新入生が付ける赤いコサージュ。


「ねぇねぇ、あたしと同じ新入生? 」


 同い年の子がいる事が嬉しくて、つい声を掛けてしまった。

 和泉碧唯ちゃん、その子の表情もあたしと同じ不安と期待が混じった表情をしていた。……少し不安の方が多そうだけど。

 そしてその後、彼女の期待に溢れた笑顔は一瞬にして崩れ去った。


 紙を破る音が教室中に響き渡る。

 その音の正体は紛れもなく彼女で、その時の彼女の顔は涙で溢れかえっていた。


 彼女は泣きながら破いた紙の切れ端を集めている。


 彼女が破った紙が目に着いた。本当はここで彼女を慰めなくちゃいけないんだけど、その事よりも先に彼女が破った紙に描かれた絵が気になって仕方ない。


 彼女に頼み込むと、彼女は破れた紙を投げやり気味に渡してくれた。

 机にあったセロテープを使い、拙いながらも必死につなぎ合わせた。

 力強く太い線で描かれた絵は、線一本一本に思いが込められてるような気がした。

 あたしに足りないのはこの思いだったんだ、あたしはただ他人の絵を真似して流すように線を描いていた。”ただそれっぽく描ければいい”、そう思ってずっと絵を描いていた。だから、こんな風に自分の思うがままに絵を描く彼女がとても


「……格好いい」


 そう思えた。




                  *


 ――次の日も彼女は部室に来てくれた。


 あたしは先輩たちに捕まって長々とアニメの話に付き合わされてたけど、先輩たちの話から解放された時にはもう彼女の顔に曇りは無かった。それどころか何か決心がついたみたい。


 あたしは他人の幸せを素直に喜べるほど出来た人間じゃない。『おめでとう』や『良かったね』とは口に出して祝福こそすれど、心は無関心のままだ。ただ目の前の人が成し遂げた事に対して、何か言わなければ周囲の人物から変な眼差しで見られる、それが怖くて無難な笑顔と無難な言葉を表に出す。

 けど、彼女、碧唯に対しては違った。彼女自身が記録に残るような何かを成し遂げた訳でもない、彼女自身が成功をアピールしたわけでもない。なのに、あたしは初めて誰かを”心で”祝福する事が出来た。


 きっとそこからだ。

 あたしが彼女と一緒に居たいと思うようになったのは。


 真似ばかりしていた画風を卒業できたのは。


 自分らしさを見出す事が出来たのは。


 そんな自分が好きになったのは。


 碧唯の事が好きになったのは。


 碧唯を手放すまいと彼女が好きな北邑萌咲を演じ振舞うようになったのは。


 自分を見失うようになったのは。――


                 *

 



 寝ぼけ眼で夜更かしをした事を悔いながらダラダラと学校へ歩みを進めていく。

 後悔はすれど、反省の色は碧唯自身全くと言っていい程ない。

 その分の結果がゲーム上において反映されているのだから、決して無駄な時間ではないのだと。

 自分にとって都合の良い歪んだ解釈を念仏の様に心で唱えていると、先日も聞いた声が耳元で聞こえた。


「おっはよー碧唯」


「おはよー萌咲」


 僅かに開いている琥珀色の瞳を見た途端、呆れたように萌咲が碧唯に問い掛ける。


「またネトゲ? 」


「うん」


「んな夜更かししてまでやるもんなのかいネトゲってのはぁ、整った顔がニキビやら目の隈で台無しになっちまうぜぇ? 」


「なにその口調、だって高校生に与えられた自由な時間って言うのはごく僅かなんだよ? その時間を有効活用しなきゃ」


「だったら尚更じゃないの? せめて徹夜するのは三日に一回くらいにしなよ」


「出来たらそうするよ」


 適当な返事をしゲームアプリを起動させると、碧唯は画面の文字をまじまじと見つめる。


「そう言いつつスマホ弄りながら言う奴のセリフなんて信用できんな」


「ぐっ……いや、ちょっと待って萌咲、この”最終ログイン5時間前"というのは? 整った顔がニキビやら目の隈で台無しになっちまうぜぇ? 」


「…………」


 冷や汗を流し苦笑いをしながら萌咲は静かに後ずさる。


 この前見た一瞬の萌咲が嘘のようだ。今日も変わらず萌咲は明るくて間が抜けていて優しい、碧唯の知るいつもの北邑萌咲だ。

 ならばあの時見た北邑萌咲は偽物なのだろうか。或いは、あれこそが本物の北邑萌咲なのではないだろうか。その真相を確かめようと碧唯はスマートフォンを鞄の中に仕舞い、大きな一歩を踏み出し180度のターンを決める。


「ねぇ萌咲、私に何か隠し事してる? 」

 

 しばらく無音の空間が二人を覆う。


 その空間を最初に破ったのは萌咲だった。


「なんでそう思うの? 」


「あ、いや質問を質問で返されても」


 やっぱりダメだ、引き返そう。”何でもない勘違いだった”とだってそう言ってしまえばこの関係は崩れないのだから。


 狼狽える碧唯を他所に、今度は萌咲が大きな一歩を踏み出し、希薄で脆い関係を破っていく。


「まぁ、バレるよね」


「えっ、あっ……」


 崩れる。けれど、気付かれない程度に首を小さく縦に振る碧唯の姿は、何処か保守的ながらも決断を萌咲に任せているようだ。


「ごめんね、ちょっと色々あって腕引っ張ったんだ」


「その、それは知ってる、何かあったんだろうなっていうのは分かってた。分かってたんだけど、そうじゃなくて……何でそんな事したのかなって」


 勢いに任せ思っていた事を告げる。

 萌咲に引っ張って連れてこられた道だ、帰り道など分かる筈もない。


「えー、そこ聞いちゃうー? 」


 萌咲がおちょくったような作り笑いを浮かべると碧唯は間髪を入れずに声を上げた。


「茶化さないで! 」


「……ごめん、ホント何でもないから気にしないでよ」


 そうして萌咲はまた作り笑いを浮かべ俯いた。だが、その作り笑いは先程のものとは違い、どこか寂し気な笑みだ。


「そんな顔されて、気にすんなって言われて、はいそうですかって言う馬鹿がドコにいんの? ちゃんと話してよ」


 今更後に退けないと言うのは萌咲も分かっている筈だ。


「……恥ずかしかった」


 不意に萌咲が声を溢す。


「何? 」


「恥ずかしかったんだよ……クラスメイトに碧唯と一緒に居るのを見られるのがさ」


 萌咲の咄嗟の告白に碧唯は困惑の表情を浮かべた。


「どういう意味? 私と一緒に居るのが恥ずかしいって事? 」


「そうじゃない! 」


「じゃあどうなの? 」


 はっきりとしない萌咲の態度が碧唯の逆鱗に触れる。


「分かんない、あっ、でも、碧唯の事が嫌いになった訳じゃない、大好きだよ! でも、分かんないんだよ。何で恥ずかしいって思ったのかも、何で碧唯の腕を引っ張ったのかも、自分すらも何もかも分かんないことだらけなんだよ!

 ねぇ碧唯、あたしらしさって何? 碧唯はあたしをどんなヤツだと思ってるの? 」


 彼女は碧唯の言葉で自身を定めようと、形作ろうとしているのだろうか。

 碧唯の言葉で作った仮面を彼女は言われるがままに被り、その仮面の通りに振舞おうとでも言うのだろうか。


「そんなの他人に聞く事じゃないし、そう深く考える事じゃないと思うけど? 」


 碧唯がそう述べると、萌咲は拍子抜けしたような表情で碧唯を見つめる。


「……でも、碧唯だって自分らしさとかってあるでしょ? 」


「あるかどうかなんて、それこそ分かんないよ。人間の考えとか性格なんて時間が経つに連れて変わってくもんでしょ? 」


「……何か碧唯らしくない考えだね、すごくポジティブ」


「でしょ、私も今の萌咲の表情は萌咲らしくないと思うよ、何かすごいネガティブ」


「お互いに”らしくない”ね」


「そうだね、むしろこういう一面もあるんだよ、お互いにさ」


「一面、か」


 萌咲は分からないと言っていたが、碧唯には萌咲が恥ずかしいと言った理由が薄々ではあるが分かるような気がした。そんな事もあってか碧唯は突然推理を始める。


「それとさ、萌咲」


「ん? 」


「さっき恥ずかしくなって逃げたって言ってたけど、萌咲は自分の趣味をクラスの子に話した事ないでしょ? 」


「……」


 図星のようだ。


「そうかも知れないね多分。碧唯には悪いけど、やっぱりサブカル系ってあまりいいイメージ持たれないんだと思う、だから最初はサブカル好きなのは隠してそこそこ仲良くなって、大丈夫そうかなって思ったら打ち明けようかなって……ズルいね、あたし」


「……そっか」


 萌咲の言う事も一理あった。

 中学の頃には美術部という自分の好きなものを大っぴらに話せる環境があったが、高校に上がった途端その場は無くなり、好きな物を声に出して”好き”と言えなくなってしまったのだ。そして言えなくなってしまった結果があのような行動に繋がったのだろう。


「けど、けどさ萌咲っ、自分の好きなものに嘘ついたり隠したりするのは違うと思う」


「だよね、ごめん」


「ううん、急ご、そろそろ予鈴が鳴る」


「うん」


 そして、二人の間には二度目の曖昧な沈黙が生まれた。

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