18 - イスファハール編 国王の影

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国王救出の知らせに沸く王宮。

しかし国王の生還は、サイードの自由の終わりを意味していた。

王子として生きることを定められたサイードの人生が、マリーの人生と交わることはなく……!?

作:ケイ・ブルー(Kay Blue)

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「皆の者! アブドゥル国王が解放された!」

 ファイサルの第一声に、使用人たちがわあっと歓声をあげた。

「国王は、けがもなくご無事だ。現在、サイード王子とともに王宮へ向かっておられる。皆、万全の体制でふたりを迎えられるよう、直ちに支度を始めてくれ!」

 ふたたび歓声が応え、使用人たちはハミルの指示で一斉に作業に向かった。

 マリーは涙がとまらなかった。

 次から次へとあふれて、涙腺がどうにかなってしまったのかと思うほどだ。

 よかった、ほんとうによかった。

 国王さまもサイードも、ふたりとも無事なんだわ!


 三時間後、王宮内のヘリポート上空にプロペラの轟音が近づいてきた。

 マリーやイヴォンヌを始め、ファイサルや使用人たちが駆けつける。

 すぐにヘリコプターが降りてきて、プロペラの巻き起こす風に煽られながら、一同は息を詰めて見守った。

 やがてヘリコプターのドアが開き、サイードが姿を現した。

 マリーの心臓が大きく跳ねる。

 つづいて立派なひげをたくわえた国王が現れ、サイードの手を借りてヘリコプターを降りた。

 皆の歓声を受け、ゆっくりと手を振って応える。

 背丈はサイードより少し低いが、鋭いまなざしと浅黒い肌、深く刻まれたしわには一国の長としての威厳が漂っていた。

 いささか疲れた様子が見えたが、背筋はぴんと伸び、眼は強い光を放っている。

 ファイサルが大またで駆け寄り、両腕を広げて彼らを抱きかかえるように迎えた。

 まずは病院で体調の詳しい検査を、と言うファイサルの進言に、国王は必要ないと返し、取り急ぎ王宮付きの医師が診察をおこなうことになった。


 それから二時間。

 国王とファイサルとサイードは談話室でくつろいでいた。

 今回の事件は極秘のうちに解決することができたため、公に発表することはもちろん、王宮内外の王族にもあらたまった報告はされないらしい。

 つまり、表向きは何事もなかったかのようにふるまうということだ。

 そうは言っても、王宮内にお祝いムードが漂うのは無理からぬことだった。

 晩餐前の飲み物をカートに載せて、マリーは談話室に入っていった。

 本来なら給仕はべつの人間の仕事で、彼女はすでに祝宴の準備に取りかかっていたところだったが、サイードからマリーに運ばせるようにと指示があったのだ。

 談話室には国王とファイサルとサイードだけでなく、イヴォンヌやピエール、そしてハミルの姿もあった。

「ああ、来たね」

 入ってきたマリーを見てサイードが立ちあがり、彼女のほうに近づいた。

「ハミル、飲み物はおまえが出してくれ」

 従者に言いつけると、彼はマリーの腰に手を当てて国王のほうへといざなった。

「父上、ぼくの専属料理人をまかせているマリー‐ルイーズ・フェリエです。彼女はなんと、母上の料理人だったフランソワーズの娘だとわかったんですよ」

「ほう」

 アブドゥル国王は目を見開き、表情を明るくした。

「アレクシアの? それはなんともすばらしい偶然だ。そう言われれば、アレクシアの料理人に面差しがよく似ている。彼女もそういうまっすぐな目をしていた。アレクシアがとても世話になって――」

 うん、うんとにこやかにうなずく。

 マリーはにわかに緊張した。

「あの、お目にかかれて光栄です、アブドゥル国王さま。おけがもなく戻られて、ほんとうによかったです」

 国王はいま一度、大きくうなずいた。

「ありがとう。皆のおかげだ。わたしにはファイサルもサイードもいるし、優秀な特殊部隊もいるのでね」

 ぱちりとウインクをする。

 なかなかおちゃめなところのある人柄のようだ。

「父上」

 サイードが割って入った。

「じつは、マリーの父上であるムッシュー・フェリエもいらしてるんです」

 ピエールのほうに腕を伸ばす。

「いや、おれのことはべつに――」

 少し離れたソファに座っていたピエールは目をそらした。

 しかし一瞬ためらいを見せたのち、やおら立ち上がってマリーたちのほうに歩いてきた。

「アブドゥル国王」

 国王の前に立ったピエールは、ごくりとつばを飲み込み、なにか思いつめたような表情で国王を見つめた。

「あんた、フランとはなんの関係もなかったのか?」

 予想もしなかった発言に、一同はあっけにとられた。

「な、なにを言い出すの、お父さん?」

 最初に反応したのはマリーだった。

「急にわけのわからないこと――」

 思わず父親の腕を取る。

 ピエールは娘の手を振りほどき、意を決したようにふたたび口を開いた。

「ずっと――ずっとおかしいと思ってたんだ。フランのやつはなかなかパリに戻ってこようとしなかった。たしかにお姫さまのことは心配だったんだろう。この国での仕事も大事だったんだろう。だが、ほんとうにそれだけだったのか? ほかになにか理由があったんじゃないか? たとえば――」

「その理由が、国王さまだったって言うの? まさか――」

 マリーは信じられないという顔で言った。

 ピエールがフンと鼻を鳴らす。

「男と女のあいだにまさかはないんだ。いつなにがあったっておかしくない。ただでさえこの国王はケタ違いの金持ちで、しかもたいそうな色男だったんだからな」

「はっはっは!」

 いきなり国王の高笑いが響いた。

「おほめの言葉をありがとう」

 ゆっくりとソファから立ち上がり、ピエールと正面から対峙する。

「まあ、わたしがケタ違いの金持ちで、しかもたいそうな色男だというのは、まぎれもない事実だ」

 悪びれもせずに言って、にこりと笑う。

「だが、あなたの言うとおりだとすれば、わたしは愛する妻が絶大な信頼を寄せてそばにおいている料理人にも手を出していた、相当な好色漢ということになる。なんとも不誠実な男だな」

 そこでちらりとマリーを見やる。

「そして、ここにいる美しい料理人がわたしの娘であるという可能性も出てくるということか?」

「なっ――」真っ先に反応したのはサイードだった。

「そんなことはありえない!」

 マリーは声も顔色も失った。

 わたしが国王さまの娘?

 ありえないわ、そんなこと。

 だってわたしはどう見てもフランス人だし、もしそんなことになったら、つまりサイードとわたしは――。

「そうだ、ありえない」

 国王の声は力強く揺るぎなかった。

 否定の言葉が浸透するのを待つかのように、ひと呼吸おいてからつづける。

「たしかにあなたの妻は美しく、料理人としても非常に有能な女性だったと記憶している。しかしアレクシアの大切な友人でもあったのだ。わたしは愛する妻を悲しませるような男ではない」

 決然と言いきったあと、沈んだ面持ちになった。

「アレクシアは最後まで彼女に会いたがっていた。彼女のほうが先にこの世を去ってしまって、どれほど気落ちしていたことか……」

 サイードは母親が哀しんだことを聞いて表情をくもらせたものの、あきらかにほっとした様子で言った。

「ほんとうですね? 父上とマリーの母上のあいだにはなにもなかったのですね?」

「むろんだ」

 国王はきっぱりと言った。

「それを聞いて安心しました」

 サイードは小さくうなずき、ピエールを見た。

「あなたも納得がいっただろうか?」

 ピエールは目を伏せた。

「こればかりは信じるしかないな。このあいだフランのペンダントも出てきたことだし、おれのつまらない思い込みだったってことだろう」

 ばつが悪そうに頭をかく。

「まあ、美しい女性に対する礼儀として、美辞麗句のひとつやふたつは言ったかもしれんがね」

 また国王の瞳にちゃめっけが戻った。

「いま思い出したが、ペンダントに入った夫君の写真を突きつけられて、手ひどく切り返されたことがあったぞ」

 国王はあごに手を当て、はははと笑った。

 ピエールの頬がさっと赤くなる。

 妻への疑いはいよいよ晴れていくようだ。

 サイードはあきれ顔でため息をついた。

「父上のそういうところが誤解の元なんですよ」

 その言葉にアブドゥル国王が眉をつりあげる。

「おまえに言われたくはない。わたしの耳にも、何人もの女性とのうわさが届いておるぞ」

 そう言うと真顔になった。

「いや、ほかでもない。今回の事件であらためて、国の礎を盤石なものにしておかなければならないと考えさせられた。おまえたちも疲れているだろうから早々にやすませたかったのだが、一刻も早く話をしておこうと、こうして集まってもらったのだ」

 国王は、ファイサルとサイードのそれぞれに真剣なまなざしを向けた。

「おまえたちもそろそろ身を固める頃合いだ。ファイサルについては、わが国でも最古の血筋のひとつマンスール家の姫君との縁組をすすめていることは周知の事実。まずは順調だと聞いているが、問題はおまえだ、サイード」

 マリーの肩がびくりと揺れた。

 このままここにいてはいけないという直感に、心臓をわしづかみにされる。

「前々から言っていたが、カーミラ姫との話はどうなっている? 少し前に聞いたところでは、あちらは非常に乗り気だということだったが」

 カーミラ姫!

 厨房で耳にした名前だ。

 サイードにご執心だと言っていた姫君の……。

 ああ、やはりカーミラ姫とサイードは特別な関係にあるのだ。

 ずっとこわくて聞けなかったけれど、どう考えても、カーミラ姫は将来サイードと一緒になる人だとしか思えなかった。

 気づくと、マリーの手は小刻みに震えていた。

 早くこの部屋から出ていきたい。

 サイードの姿が見えない、ひとりになれるところに行きたい。

 彼女は身をひるがえしてカートのところに戻った。

「お茶のおかわりを持ってきます」

 カートに手をかけ、逃げるようにドアに向かった。

「マリー」

 サイードがすぐにあとを追う。

「父上、失礼します。すぐに戻りますので」

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