15 - イスファハール編 王宮の奥に眠る秘密
*******************************
イヴォンヌとともにイスファハールにやってきた父ピエール。
彼の口から、マリーの母フランソワーズの過去が語られる。
マリーと同じく料理人だったフランもまた、イスファハール王国と関わっていた!?
作:ケイ・ブルー(Kay Blue)
*******************************
イヴォンヌはゆっくりとサイードに歩み寄り、彼の両腕に手をかけて彼を見上げた。
「もう目を覚まして。物珍しくてこんな子をつまみ食いしたんでしょうけど、あなたにはあなたにふさわしい相手がいるはずよ」
濡れたように光る真っ赤な唇が、弧を描いて微笑んだ。
「どうしてきみがここにいる?」
サイードは眉根を寄せ、低い声でイヴォンヌに尋ねた。
「あなたがろくでもない女に振りまわされているようだから、なんとかしてあげたいと思っただけよ。それに、この人も娘に会いたがっていたから連れてきてあげたの」
イヴォンヌはピエールのほうに手を振った。
「おまえから電話がかかってきたあと店に行ったんだが、火事になったとかで閉まってるじゃないか。おまえの仲間がいたんで話を聞いてたら、彼女が声をかけてくれて、親切にここまで案内してくれたんだ」ピエールがマリーに言う。
「とにかく、おまえはこの男にだまされてる!」
「お父さん、なにを言ってるの? だますだなんて、そんな失礼なこと――」
マリーは即座に反論した。
「おまえの母さんは、この国に殺されたんだぞ!」
ピエールが吐き出すように叫んだ。
マリーは目を見開き、ショックですぐには口がきけなかった。
「こ、殺されたって――いったい――」
そこでマリーははっとし、父親にまくしてた。
「そうだわ、お父さん! お母さんは昔このイスファハールに来ていたの? さっき写真を見たのよ。サイードのお母さまと一緒にコックコート姿の女性が写っていたわ。あれはお母さんだと思うの。いったいどういうこと?」
「ともかく、皆さま、座ってお話しされてはいかがでしょうか」
ハミルがよく通る声でおだやかに言った。
「ただいまお茶をお持ちしますので、さあ、どうぞこちらへ」
大きなソファセットのほうに手を振り、全員をうながす。
いったん緊張がほどけ、皆はソファに移動して腰をおろした。
重い空気が流れるなか、最初に口を開いたのはサイードだった。
「ぼくも母の料理人については、なにも聞かされていなかった。この機会に話を聞きたい。彼女はほんとうにマリーの母上――あなたの奥方だったのだろうか?」
向かいに座ったピエールに話しかける。
「もしそうなら、いったいどういう経緯で彼女はわが国で仕事をしていたのだろう」
ピエールは渋い顔でしばらく黙っていたが、サイードの隣に座ったマリーにうながされて話し出した。
「フランソワーズは――おまえの母さんは――パリの一流ホテルで料理人をしていた。いまよりもっと男社会の時代だったが、持ち前の勝ち気な性格と腕前で認められて、〈ル・ロワイヤル〉の厨房に入ることができたんだ」
そこで紅茶をがぶりを飲む。
「おれがフランと出会ったとき、おれはまだ建築を勉強中の学生だった。おれたちは同い年だったが、フランのほうが先に働いてたからな。彼女は一流ホテルで仕事をするうち、貴族の娘と顔なじみになった。なんでもフランの料理を気に入ってくれて、性格はまるで正反対なのに仲良くなったんだそうだ。歳が近いせいもあったんだろう。それが、この男の母親だ」
サイードを見る。
「つきあいの長さで言えば、おれよりも長いってわけだ。やがて彼女がこの国に嫁ぐことになって、フランは一緒に来てほしいと頼まれた。そのときおれと結婚したばかりだったが、半年でいいからと頼み込まれて……。まだ十八歳の世間知らずのお嬢さんだ、不安でたまらなかったんだろう。食べ物からして異国のものなんて口に合うかわかったもんじゃない。フランは彼女の力になってやりたくて、一緒についていったのさ。料理人として、中東のスパイスを勉強したいって気持ちもあったようだ。おれもそのころ大きな仕事をまかされたばかりで必死だったし、どうしようもなかった」
ピエールは思い出を反芻しながら、とつとつと話した。
「半年間の約束だったが、貴族のお嬢さんはすぐに妊娠して、フランは彼女を放り出して帰国することができなくなった。出産後も彼女の体調は戻らず、フランはたまにパリと行き来しながら、ここでの仕事をずるずるとつづけた。そして四年が経とうというころ、フランも妊娠したんだ」
ピエールは顔を上げてマリーを見た。
「おれは、もう帰ってこいとフランに言った。もうじゅうぶんだろうと。やっとフランもその気になって、ぎりぎりまで仕事をしてパリに戻ってきた。だが、それまでの無理がたたったのか……予定日よりもだいぶ早く産気づいて……」
父親の声が詰まり、あとの言葉はつづかなかった。
マリーは知らず知らずのうちに手を握りしめていた。
そんなことがあったなんて……。
「そうか」
サイードがつぶやいた。
「それではぼくは、幼いころマリーのお母さんに会っていたんだな。そして彼女の料理を食べていた。厨房で食べさせてもらったあの楽しい思い出は……きみのお母さんとの思い出だったのか」
傍らのマリーに顔を向ける。
「きみの料理がなつかしく思えたのも当然だったのかもしれない」
ピエールがおもむろに立ちあがった。
「この国がフランを奪ったんだ。おれからも、マリーからも。もう関わり合いになるのはごめんだ。パリに帰るぞ、マリー!」
ソファをまわり込み、娘の手をつかんで立たせようとする。
「待って、お父さん!」
マリーは父親につかまれた手にぐっと力をこめた。
「お母さんのそんな話を聞いて、正直びっくりしているわ。まだ考えが追いつかないくらい。お父さんがとてもつらい思いをしたことはよくわかったし、お母さんのこともほんとうに残念だと思う。でも……」
マリーはあらためて父親の目を見つめた。
「だれかが悪かったわけじゃない。哀しい結果になってしまったけれど、この国やサイードのお母さまのせいじゃないわ。お母さんだって、自分の仕事をまっとうしようとしただけで……」
マリーの目には涙が浮かんでいた。
「なんだと? おまえはこの国の味方をするのか? なんで……」
ピエールはわなわなと震え出した。
「違うわ、味方とかそういうことじゃ――」
マリーはあわてて言った。
「フランのやつもなかなか帰ってこようとしなかった。おれは何度も帰ってこいって言ったのに……この国のどこがそんなにいいってんだ!」
「お父さん……」
悔しそうに毒づく父親に、マリーはどんな言葉をかければいいのかわからなかった。
「くそ、もうどうでもいい! とにかく一刻も早くここから帰るんだ!」
ピエールはいきなり娘の腕を荒々しく引っ張り、サイードはそれを止めようと立ちあがった。
ピエールの手首をつかんでふたりがにらみ合う。
しかしサイードは、急にピエールの顔を凝視した。
わずかに眉間にしわを寄せ、じっとピエールを見つめる。
サイードの様子が変わったことにマリーも気づき、けげんそうに彼を見やった。
「そうか……あれは……」
サイードはつぶやいてピエールの手を離した。
「ちょっと待っていてくれ」
そう言い残し、客間を出ていった。
ピエールは毒気を抜かれたようにおとなしくなった。
イヴォンヌも「なんなのよ」とぶつぶつ言っていたが、サイードはすぐに戻ってきた。
「これを見てくれ」
彼が差し出したものは、古ぼけた銀色のロケットペンダントだった。
「母の宝石箱に入っていたものだ」
ロケット部分を開けて、ピエールの前に置く。
「これは……!」
ピエールはひったくるようにして取りあげ、なかに収められた写真に見入った。
それは、ピエール自身の若いころのポートレイトだった。
「その品を見たのは、つい最近なんだが」
サイードはマリーのほうをちらりと見た。
おそらく、この国に連れてきたばかりのマリーに母親のネックレスを贈ろうとした、あのときのことを言っているのだろう。
「ほかの品とはだいぶ趣向が違っていたから目について。中を見てみたら父ではない男の写真が入っていたから、どういう品なんだろうと気になっていたんだ」
「きっとお母さんのものだったのよ」
マリーが言った。
ピエールはペンダントを手にしたまま、無言で見つめている。
「ぼくもそう思う。それで、ずいぶん前に読んだこれのことを思い出してね」
サイードは本のようなものを差し出した。
赤い革張りで金色の飾り彫りが施された、高価そうな本。
「母の日記だ。何年も前にざっと読んだだけだからほとんど忘れていたんだが、このペンダントのことかと思う部分があった」
サイードの示した箇所には、彼の母親がフランからなにかを預かったことが記されていた。
“フランがいなくなるのはさびしいけれど、代わりに彼女のいちばん大切なものを預かった。彼女がお守りにしていたもの。フランの赤ちゃんが生まれたら、また会えますように……”
フランがパリに帰ることになったとき、アレクシアを元気づけたくて、大切にしていたものを渡したのだろう。
フランのお守り――おそらくそれがこのペンダント。
彼女がピエールを大事に思っていたことは間違いない。
「おれは……バカな男だ」
ピエールはつぶやき、手にしたペンダントをぎゅっと握りしめた。
「それはあなたにお返ししよう」
サイードが言った。
ピエールはなにか言いたげに顔を上げたが、思い直したようにまたうつむいた。
なんとも言えない沈黙がおりた客間に、ファイサルが血相を変えて飛び込んできた。
「サイード! 大変だ! 父上が過激派に身柄を拘束された!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます