14 - イスファハール編 四半世紀の時を超えて
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サイードとふたりで市街地に出かけたあと、マリーはサイードの母親が使っていた部屋に案内される。
そこで思いもよらぬ発見をするマリー。
さらに意外な人物があらわれて……!?
作:ケイ・ブルー(Kay Blue)
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「わあ、すてき!」
目の前に広がる旧市街のにぎわいに、マリーは目を見張った。
高いところからの眺めはなおさらすばらしい。
なんと彼女は、いまラクダの上にいた。
イスファハールの衣装に着替え、後ろからサイードに抱き込まれる格好で……。
ラクダにふたり乗りだなんてまるで観光客気分だけれど、全身に彼の体温を感じてどきどきしてしまう。
旧市街は王宮の目と鼻の先。
国でも最大の市場があって、大勢の市民でにぎわっていた。
めずらしい野菜、果物、スパイスやハーブ、肉や魚が所せましと並べられ、マリーは目を輝かせてわくわくした。
料理にどう使うのかを店主に尋ねたり、おすすめのレシピを教えてもらったり。
話がはずんで、あっという間に時間が経った。
厳選しながらあれこれと買い込み、思った以上の大荷物となってしまって、王宮への配達を頼んだ。
そのあとは車に乗り換え、新市街にある現代的なビジネス街や砂漠地帯の油田に案内された。
果てしなく広がる砂漠に石油採掘の設備が建ち並ぶ。
そこから勢いよく噴き出す炎と煙を眺めていると、この国を支える大地の巨大なエネルギーが肌で感じられた。
イスファハールは小さな国だが、歴史は古く、昔から非常に豊かで治安のいいところらしい。
ところが近年、武装した過激派グループの動きが活発になり、国境付近の安全がおびやかされることもあるのだとサイードは言った。
そのために国王のアブドゥル・アル・ジャハーンは、いま近隣諸国との対策会議に出席し、国を留守にしているとのことだった。
「父上にも、帰ってきたらぜひきみの料理を食べてもらいたいね」
サイードはやさしげな表情を浮かべて笑った。
マリーの心臓がどきんと跳ね、なんだか胸が締めつけられるような心地がした。
そんな顔をして、そんなことを言わないで……。
「そうね、ぜひ」
それだけ言うと、マリーは王宮の方向に顔を向けた。
「さあ、そろそろ戻らなくちゃ。きっともう王宮に食材が届いているわ。こんなにいろいろと案内してくれてありがとう。とても楽しくて、あっという間に時間が経ってしまったわ」
「王宮に戻ったら、もうひとつ、きみに見せたいものがある」
サイードはどこか真剣な顔で言った。
車がふたたび王宮の門をくぐり、ふたりはハミルに迎えられて自室に戻った。
いったん部屋に入ろうとしたマリーだったが、サイードに呼び止められた。
「さっき、もうひとつきみに見せたいものがあると言っただろう? こっちに来てくれ」
彼は部屋の前を通り過ぎて奥へ向かった。
彼についていくと、中庭や渡り廊下をいくつも抜けて違う棟までやってきた。
ほんとうに王宮は広く、造りも複雑で迷路のようだ。
アラベスク模様の飾り彫りが美しい両開きのドアの前まで来ると、サイードはポケットから鍵を取り出して解錠し、ゆっくりとドアを押し開けた。
絢爛豪華な部屋だった。金色と真紅を基調に統一され、家具も調度品もすばらしく手の込んだものばかり。
鏡ひとつ取っても、一点ものの美術品のようだ。
わずかに埃っぽいにおいがして、ふだんは使われていないのだろうということがわかる。
「ここは……?」
マリーは遠慮がちに、彼のあとから部屋の奥へと進んだ。
「母アレクシアの部屋だ」
サイードが静かな声で答えた。
黄金色に輝く鏡台に向かい、隣の飾り棚にいくつも並んだ写真立てのひとつを手に取る。
「いや、部屋だったというのが正しいな。亡くなってもう二十五年になるが、いまでもこうして生きていたころのままに部屋が保たれているんだ。父の命令でね」
「お父さまは、お母さまをとても愛していらしたのね」
「さあ、どうだろうか……わずか十八だった母をフランスで見初めて、金の力で連れてきたようなものだ。母の家は貴族と言っても、没落して困窮していたそうだからね」
マリーは飾り棚に並んだ写真に目を移した。
まず目についたのは、国王とともに写っている大きな婚礼写真。
アラブの民族衣装をまとったサイードの母親は、まさしくお姫さまと呼ぶにふさわしい、可憐で美しい人だった。
まばゆいばかりの金髪に青い瞳。
陶器のように白い肌。
ほんのりと色づいた小さな唇。
小柄でほっそりとして、ガラス細工のように儚げだった。
立派なひげをたくわえて堂々とした体躯のサイードの父親の隣で、彼女はひときわ小さく見えた。
「お人形のように美しい方ね」
マリーは、ほうっとため息をついた。
「国王さまに見初められたというのもうなずけるわ」
「母はもともと病弱で、十八で嫁いで翌年ぼくを産んだあとは寝たり起きたりの状態だったらしい。食堂で食事をともにしたという記憶もほとんどない。ときどきこの部屋でベッドにいる母が本を読んでくれたり、おしゃべりしてくれた記憶が少しあるくらいで……」
サイードは、部屋のなかほどにある天蓋付きの美しいベッドに目をやった。
マリーもそちらに目を向け、美しい母親のそばで小さな男の子が瞳を輝かせてお話に聞き入っている光景を想像した。
そしてふたたび、たくさん並んだ写真立てを見る。
民族衣装だけでなく、西洋のドレス姿で微笑むアレクシア。
まだ赤ん坊のサイードを抱いている写真には、思わず笑みがこぼれた。
ひとつひとつ写真を見ていくうち、ふと、ある一枚に視線が吸い寄せられた。
アレクシアが白い服の女性とふたりで写っている。
「これは……コックコート?」
興味が湧いて、マリーは写真立てを手に取った。
「ああ、そう言えば、母はフランスから料理人を連れてきていたと聞いたことがある。たぶんその料理人と――」
サイードが振り返る。
「これは……まさか、お母さん?」
マリーが驚きの声をあげ、写真立てに目を近づけた。
「なんだって?」
サイードも身をかがめて写真を見た。
小さい写真で判然としないが、白人女性だ。
髪の色は淡い茶色だろうか……コック帽にたくしこんでいるのでよくわからない。
瞳の色となると、さすがにはっきりしなかった。
「わたしは写真でしか母を知らないし、コックコート姿の母の写真はほとんど見たことがないけれど、母にとてもよく似ているわ」
信じられないというようにマリーは言って顔を上げた。
「でも母がイスファハール王国に? しかも、あなたのお母さまと一緒に? そんなことがあるかしら?」
「たしかに驚きだ。だれか古株の人間に話を――そうだ、ハミルに――」
サイードがドアに向かいかけたとき、バタバタとせわしない足音がして、女性の召使いがやってきた。
彼女はなにかをサイードに向かってまくしたて、サイードの目が大きく見開かれた。
「どうしたの?」
思わずマリーは訊いていた。
振り向いた彼の顔には、驚きと困惑が浮かんでいた。
「きみのお父さんが来ているそうだ」
ふたりが急いで客間に向かうと、ほんとうにマリーの父親がそこにいた。
ソファにも座らず、ハミルに食ってかかっている。
「お父さん!」
マリーは部屋に入るなり、父親に駆け寄って腕に手をかけた。
「マリー! おまえはこんなところまで来てなにをやってるんだ。さあ、帰るぞ!」
父親がマリーの腕をつかみ、そのまま引っ張っていこうとする。
「待て」
サイードはマリーごとピエールを両腕で抱えるように押し戻した。
「なんだ、この野郎!」
ピエールがサイードにつかみかかり、マリーはとっさにふたりのあいだに入った。
「お父さん、落ち着いて! わたしは仕事でここに来ているの。この王宮で料理をつくらせてもらっているのよ」
「わざわざこんなところに来る必要はない! つべこべ言わずに帰るんだ!」
乱暴にマリーの肩をつかんで引っ張る。
「やめろ」
サイードがマリーとピエールのあいだに割り込み、マリーの視界は大きな背中でいっぱいになった。
「あなたこそやめて。そんな女のために必死になって、あなたらしくないわ」
少し離れたところから声がした。
マリーとサイードが振り向くと、部屋の入口に背を向けてソファに座っていた人物が立ち上がった。
「あなたは……」
マリーはそう言ったきり、言葉をなくした。
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