06 - パリ編 シャルロット仕立てのムース・オ・ショコラ

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マリーのビストロにやってきたサイードたち。

彼がモテモテなところを見せつけられて、マリーは複雑な気分……。そのせいでトラブルへと発展してしまったものの、またサイードは店に来て……?

作:ケイ・ブルー(Kay Blue)

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「ねえ、早くテーブルを用意してくれない?」

 イヴォンヌがマリーに向かってつっけんどんに言った。

 今日も体にぴったりと張りついた、ホルターネックの白いワンピースという露出度の高い格好だ。

「すみません、今日はとても混みあっていて。申し訳ありませんが、席が空くまでお待ちください」

 マリーは丁重に話をした。

 予約制の店ではないので、特別扱いはできないのだ。

「サイードを外で待たせる気? わたしたち、こんな扱いされたことないわよ」

 べつの派手な女性も口を出す。

 こちらもチューブトップとミニスカートに毛皮のボレロという、目立つ服装だ。

 さらにもうひとり、やはりモデルみたいなセクシー美女が腕を組んで立っている。

「やめろ」

 サイードが口を開いた。

「きみたちは勝手についてきたんだろう。気に入らないのなら帰れ」

 くるりと背を向け、外の行列に向かって出ていく。

 ドミニクとクレメンタインも肩をすくめてまわれ右をした。

 美女たちは唇をとがらせながらも彼らのあとについて出ていき、外の列に並んだ。

 四十分ほどしてようやく席についた彼らは、店でも高価な部類に入る料理やワインを注文していった。

 イスファハールはイスラム教国ではあるが、それほど厳格に飲酒が禁止されているわけではなく、つきあい程度にたしなむのはまったく問題ないようだ。

 最初の前菜の盛り合わせは、マリー自身が運んだ。

 皿を置くときにサイードと目が合ったが、とくに言葉を交わすことはなかった。

 いっぽうドミニクは片手をあげて、「来ちゃったよ~」とちゃめっけたっぷりにマリーに挨拶した。

 クレメンタインも笑みをよこす。

 マリーは笑みを返し、「どうぞ、召しあがれボナペティ」と声をかけてさがった。

 厨房に戻る途中、常連客の青年がナイフをうっかり落としてしまったところに遭遇した。

 すかさず拾って、新しいものと取り替える。

「いつもありがとうございます」

 マリーはにこやかに声をかけた。

 シャイな印象の彼とおしゃべりしたことはないのだが、青年はちょっと照れくさそうに会釈して、ふたたび食事を始めた。

 そんなやりとりを、サイードが鋭いまなざしで見ていることにも気づかずに……。

「ねえ、このブイヤベース、ムール貝が貧相じゃない?」

「なんだかコクがないわ。安っぽい味」

 サイードのテーブルについた女たちは、わざとらしくため息をついたり皿をつついたり、文句ばかり大声でまくしたてた。

 そのわりに料理の皿は空いていき、デザートまで注文を入れているのだが……。

 ちょうど客に料理を運んでいてフロアにいたマリーは、はからずもその言葉を聞いてしまった。

 料理はいつも自信を持って出しているつもりだが、口に合わないと言われるとやはり気になるし、悲しくなる。

「やだ、油っぽい! こんなの食べたら太っちゃうわ」

 ソファ席でサイードの隣に陣取っていたイヴォンヌが、フォークを置いて彼にしなだれかかった。

「イヴォンヌ、ずるい! あなたってば、いつもそうやってサイードに甘えて」

 にぎやかな店内でも、きゃあきゃあと騒ぐ女たちの声はひときわうるさく響いた。

 もともとよくしゃべるドミニクも、ワインが入ってよけいに口がまわっている。

 近くの席についた客は、ちらちらと彼らのほうを見ているようだ。

 おしゃべり好きなフランス人でも許容範囲というものはある。

 ずっと気になっていたマリーだったが、イヴォンヌがサイードに抱きついたのを見て、なにかがぷつりと切れた。

「申し訳ありませんが、もう少しだけ声を小さくしていただけませんか。ほかにもお客さまがいらっしゃるので」

 彼らのテーブルに近づき、できるだけおだやかな声を出して頼んだ。

「なんですって? 客に向かって文句言うわけ?」

 イヴォンヌが眉をつりあげて席を立つ。

「いえ、そういうわけじゃ……ただ、少しだけ声を抑えていただけたら……」

「話にならないわ。失礼な店ね。料理がまずいうえに、接客もなっちゃいないのね!」

 イヴォンヌはますますヒステリックに叫び出した。

 店内の話し声がやみ、客の視線がそこに集中する。

「よせ」

 よく通る低い声が響いた。

 サイードが席を立ち、マリーに面と向かった。

「すまなかった。ほかの客にも、店にも、迷惑をかけてしまったな。今夜はこれで帰ろう。ごちそうさま。料理はうまかったよ」

 さっと札を何枚か出してテーブルに置き、彼はそのままドアに向かった。

 残った五人はぽかんとしていたが、一瞬のち、われに返ってあとにつづいた。

 彼らがいなくなると、静かになっていた店内がまたにぎやかさを取り戻した。

 マリーはひとつ息をつき、店内の客に軽く頭をさげて厨房に戻った。

 少し後味は悪いけれど、やはり彼女たちは騒ぎすぎだった。

 注意してよかったのだ。

 それでも実際に注意するきっかけとなった出来事を思い出すと、うっすらと後ろめたい気持ちになった。

 サイードがすぐに場を収めてくれてよかった。

 彼があんなふうに行動してくれなければ、騒ぎが大きくなっていたかもしれない。

 厨房に戻ったマリーは、だいじょうぶよと言うようにアンリとジャンにうなずき、また作業を始めようとした。


「ねえ、ちょっと!」

 厨房の勝手口で大きな声が響いた。

 店の裏通りに面したドアが勝手口になっているのだが、そこにイヴォンヌが立っていた。

 マリーは勝手口まで行き、通りに出てイヴォンヌと向き合った。「なんでしょうか」

「あなた、サイードのパーティで料理をまかされたからって、いい気にならないでよね」

 イヴォンヌはマリーをにらみつけ、さらに一歩近づいた。

「テレビに出たかなにか知らないけど、あなたみたいにチビで貧相な女、サイードが相手にするわけないでしょ? これ以上、彼につきまとわないで」

 それだけ言うと、イヴォンヌはきびすを返して帰っていった。

 マリーはぼう然としていた。

 いったいなにが起こったのだろう?

 どうしてあんなひどいことを言われるの?

 頭が混乱してなにも言い返せなかったが、よく考えることもできないうちにアンリとジャンに呼び戻され、とにかく体を動かして料理をしつづけるしかなかった。


 初めてサイードがマリーの店に来た日の三日後、彼は閉店まぎわの夜十一時ごろにふたたびふらりとあらわれた。

 今度はひとりで。

 食事をするには遅い時間だったからか、ワインとチーズを注文し、店の奥にあるカウンター席の端に座った。

〈レトワール〉は食事中心の店なので、テレビ出演の効果でいっとき大混雑してはいたが、閉店近くになるとさすがに行列はできていない。

 それでも手頃な値段でおいしいワインとつまみが食べられるから、小腹を空かせた独身者や学生がちょっと寄って帰ったりするのだ。

「こんばんは」

 マリーは注文のチーズのほかにシャルロット仕立てのムース・オ・ショコラのプレートも持って、少し緊張ぎみにサイードに声をかけた。

「このあいだは失礼なことになってしまって、すみませんでした」

「いや、あれはこちらに非があった。気にしないでくれ」

 そう言いながらサイードは、目の前に置かれたスイーツを見て上目遣いにマリーの表情をうかがった。

「これは……?」

「先日のおわびです。ご注文のワインにも合うと思いますし、よければ召し上がってください」

 ニコッと微笑む。

 サイードはわずかに目をそらし、少し照れくさそうにつぶやいた。「バレてたか」

「料理人としては腕の振るいがいがあって、うれしいわ」

 マリーはうふふと笑った。

 マリーの笑顔に後押しされ、サイードは遠慮なくショコラムースに手をつけた。

「うん、うまい。ただ甘いだけじゃなく味に深みがある。自然に体に入っていって、いくらでも食べられそうだ」

「ありがとうございます」

 マリーは胸のつかえが取れたような気がした。

 サイードに気分を害しているようなところは少しも感じられない。

 また店に来てくれたということは、ほんとうに先日のことは気にしていないのだろう。

 この前はスーツだったけれど、今日の彼はラフなジーンズとシャツという格好だった。

 もちろん、そのへんの店で売っている品とは段違いの高級品だということはひと目でわかる。

 ただでさえスタイルのいいサイードが品のいい姿で座っていると、街のビストロのカウンターがそこだけ一流ホテルのラウンジになったかのようだ。

「この店は何時に閉める?」

 唐突に、サイードは尋ねた。

「十一時半だから、あと三十分ほどです。まだいらして間もないのに、ゆっくりできなくてごめんなさい」

「いや、いい」

 サイードは端のカウンター席から店全体に目をやった。

「落ち着くな、ここは。ホテルのラウンジより、よほど居心地がいい」

 やわらかな雰囲気をまとってくつろいだ様子のサイードを見て、マリーも肩の力が抜け、なんだか胸があたたかくなった。

 先日のキスのことや、きらびやかな美女たちのことも頭をよぎったけれど、いまはどうでもいいような気がした。

 閉店時間になってサイードは席を立ち、ほかの客も帰っていった。

 フロア係のミシェルなど頬を赤らめ、「あの人、かっこいいですよね!」と浮かれていた。

 厨房の後片づけと清掃、明日の簡単な仕込みも終えてマリーが店を出たのは、それから一時間もあとのことだった。

 歩道を歩きだそうとして顔をあげたとき、あの忘れもしないスーパーカーと、助手席側にもたれて腕を組んでいる男性が目に入った。

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