05 - パリ編 初夏の柑橘とホワイトバルサミコのジュレ

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サイードとの縁が元で、マリーはテレビに出ることに。

テレビ局でマリーが大変身を遂げたとき、なぜかサイードがあらわれる。

そしてテレビ出演後、マリーのビストロは大変なことになって……?

作:ケイ・ブルー(Kay Blue)

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「やあ、よく来てくれたね!」

 ドミニクがフランステレビジョンのスタジオでマリーを出迎えた。

 サイードのパーティで約束したとおり、昼の情報番組でマリーの店とマリーを紹介し、さらにスタジオのキッチンで簡単な料理を披露することになっている。

 マリーは初めて入るテレビ局のスタジオを見まわしながら、奥へと進んだ。

 ライトの当たっているセットはテレビ画面で見た覚えがあったが、反対側の観覧席や見たこともない機材や舞台裏まで見るのは初めてで新鮮だった。

 せっかくテレビに映るんだから目いっぱいおしゃれしておいでとドミニクに言われ、自分としてはいちばんのお気に入りである薄紫色のワンピースを着てきたのだけれど……。

「すてきな服だね、きみの瞳の色とよく合ってる」

 ドミニクはほめ言葉を並べながら、マリーをある女性のところへ連れていった。

 ヘアメークとスタイリストのシモーヌだと紹介された。

 シモーヌは頭のてっぺんからつま先までマリーをしげしげと観察したあと、「テレビ用にもうちょっと飾りましょ」と言って、控え室にマリーを連れていった。

 いつもよりはメークをしてきたつもりだったのだが、もう一枚お面をかぶるのかと思うくらい、あれこれ塗りたくられた。

 さすがにプロの技。

 目が一・五倍くらい大きくはっきりし、肌もつるりとして見え、唇はぷるぷるのつやつやだ。

 髪もおろして整えただけだったのが、手早くカーラーを巻かれ、ブローされ、ワックスやヘアスプレーを駆使して、ななめに大きく流れのついた女優ばりの女らしいヘアスタイルになった。

「あら、すてき」

 シモーヌが両眉をくいっとあげて目を見張った。

「あなたは素材がいいんだから、手をかければすごくきれいになるわよ。時間があったら服も選んであげたいところだけど、まあ今日のところはいいでしょ。でも靴は貸してあげる。すてきな靴があるのよ。それにネックレスも」

 そう言って渡されたのは、いつものマリーなら履こうなんて考えもしない、十センチ以上のピンヒールのヌーディーなサンダルだった。

 それでも品物が良いせいか、思ったより履き心地は悪くなく、見た目はとんでもなくおしゃれな足元になった。

 しかも背が高くなったためか、ちょっと世界が違って見える。

 貸してくれたネックレスは、小さなアメジストが縦に五つ並んだブルガリの品で、まるでワンピースにあつらえたかのようになじんだ。

 なんとか転ばずにスタジオに戻ると、ドミニクが短く口笛を吹いた。

「こりゃ驚いた。どこのスーパーモデルかと思ったよ。料理の実演のときには着替えてもらわなきゃならないのが残念だな」

 マリーの出番は、番組が始まって三十分ほどのところから始まるコーナーだという。

 まずはスタジオでマリー本人が紹介され、次いで店の取材VTRが流される。

 先日のパーティの映像もあるようで、あの日の料理についても司会者たちから話を訊かれるらしい。

 その後、ほかのちょっとしたコーナーをはさむあいだに着替え、すでに下準備してある料理の実演をするという段取りだった。

 出番までは、とりあえず番組を脇から見つつ待機する。

 やがて観覧席が埋まり、司会者もスタジオ入りしてマリーと挨拶を交わし、セットに入って席についた。

 いよいよ番組が始まると、マリーは機材の影で目立たないようにひかえた。

 と、横にだれかが立つ気配がして、彼女は何気なく顔をあげた。

「サイ――!」

 思わぬ人物を見てびっくりした。

 サイードがこんなところにいるなんて。

 声をあげそうになったが、唇に指を当てる彼を見てあわてて口をつぐんだ。

「どうしてここに?」

 マリーはひそひそと尋ねた。

「きみがテレビに出るとドミニクから聞いた。先日のパーティがきっかけのようだから、ぼくにも責任があると思って見にきたんだ」

 サイードは身をかがめ、マリーの耳元でささやいた。

 彼の吐息が耳にかかり、マリーは体が熱くなった。

 低い声の振動が耳から体の奥にまで響いてくるようで、うなじがぞくりと粟立つ。

 ほんとうは、このあいだのキスの意味を訊きたかった。

 急に父親があらわれてうやむやになってしまったけれど、彼はどうしてキスなんかしたのだろう。

 でも、そんなことをここで口にすることはできないし、彼はなにもなかったかのような顔で平然としているように見える。

「とんでもなくきれいだ」

 サイードの声が甘い響きを帯びた。

 マリーの心臓が跳ねて足元がふらつき、すかさずサイードが彼女の腰を抱えた。

 マリーの右半身に彼の体がぴったり寄り添って、熱が沁み入ってくる。

 番組の進行を見ていなければならないのに、彼の体温や引き締まった体にばかり意識がいく。

 離れなきゃと思えば思うほど、このあいだのキスのことが頭に浮かんで……。

 マリーは彼にもたれたまま、どうにも動けなかった。

 しかし出番十分前になると、スタッフがマリーを呼びにきた。

 彼女はあわててサイードから離れ、通路を通ってセットのなかへと入っていった。


「美しすぎる料理人、マリー‐ルイーズ・フェリエさんです!」

 華々しく紹介され、マリーたちの店の取材映像や先日のパーティの模様が流された。

 いくつか質問を受けて、なんとか笑顔で答える。

 セットのライトはまぶしいし、舌はもつれそうになるし、自分がなにを話したかもよくわからなかった。

 CMと短い別コーナーが入るあいだに大急ぎでコックコートに着替えに行き、セットに戻ってくると、簡易キッチンが用意されていた。

 観客に説明しながらテレビカメラの前で料理するのは冷や汗ものだったが、家庭でも挑戦できる初夏の前菜をなんとか仕上げてみせた。

 目にもあざやかな夏の柑橘とホワイトバルサミコのジュレは、魚介にも野菜にも合うすぐれもの。

 司会者やコメンテーターが舌鼓を打ち、大きな拍手をもってマリーの出番は終わった。

 大勢の人たちの視線を浴びて緊張したが、大きな失敗もなくてほっとした。

 ふたたびコックコートからワンピースに着替えて戻ると、サイードがまだそこにいるのが見えた。

 しかしちょうど番組の収録が終わり、ドミニクが興奮ぎみにマリーに近づいてきた。

「すばらしかったよ、マリー! テレビ映りも最高だった!」

 ドミニクは上機嫌で、なれなれしく彼女の肩を抱いた。

「どうだい、このあと食事でも? ぼくも今日はこれで収録が終わりでね、お礼がてら、おいしいものをごちそうするよ」

「いえ、そんな……」

 ドミニクの勢いに、マリーは腰が引けた。

 そんなふたりを見ているサイードの顔つきはけわしく、いらだちがはっきりとあらわれている。

 賞賛の言葉を並べたててマリーを食事に誘うドミニクに、彼はすばやく近づいた。

「彼女はこれからぼくと食事に行く約束だ。また今度にしてくれたまえ」

 威圧感たっぷりのサイードにドミニクの勢いは瞬く間に消え、少しばつが悪そうに番組スタッフのほうへ戻っていった。

「ありがとう」

 マリーはほっとして礼を言った。

「この業界にはああいう軽いやつが多いんだ。気をつけたほうがいい。はっきり断らないとつけこまれるぞ」

 サイードは不機嫌そうな顔でぶっきらぼうに言った。

 その言葉と言い方に、マリーはかちんときた。

 あなただって、あんなふうに突然わたしにキスしたじゃない……。

 そばにはいつも美女がいて……四人もの妻を持てることになってるし……。

「あなただって同じようなものでしょう?」

 考えるよりも前にそんな言葉が飛び出していた。

「なんだって? どういう意味だ」

 サイードの眉間のしわが深くなった。

 ハイヒールを脱いで小柄に戻ったマリーを、上から見おろすようににらむ。

「どうもこうもないわ。あなたもおつきあいで忙しいでしょうから、わたしのことは心配しなくてもいいってこと。自分のことは自分でできるわ」

 マリーは突き放すように言い、波立つ心を押さえつけて背を向けると、足早にスタジオを出た。

 サイードが追ってくることはなかった。

 なんだか彼に振り回されたようで腹が立つ。

 いや、ほんとうに腹だたしいのは自分自身だった。

 彼の言動に、自分で勝手に振り回されているだけ。

 夜遅くに送ってくれたのは、仕事をうまくやり遂げた相手への気遣い。

 服や化粧をほめるのは男性ならだれでもやること。

 あのキスは……?

 あんなキス、彼にとってはなんでもないことなんだわ。

 覚えている気配すらないんだから。


 テレビ出演の翌日。

 朝から仕込みをしていたマリーたちは、外が騒がしいことに気がついた。

「すごいことになってるぞ!」

 様子を見にいったジャンがあわてて厨房に戻ってきた。

「店の前に行列ができてる」

 マリーとアンリも急いで状況を見にいくと、午前十一時の開店までまだ一時間もあるというのに数十人の列ができていた。

 テレビの反響というのはすごいものだ。

 開店と同時に席が埋まり、目がまわるほどの忙しさになった。

 ランチメニューに続々と注文が入り、追加で仕込みをしていかないと早々に売り切れてしまいそうだ。

 たいてい昼ごろにやってくる常連客は、店の混雑ぶりに目を丸くしていた。

「ごめんなさいね、ヴェルニさん、お待たせしちゃって」

 フロアのスタッフに混じって、マリーはできるだけ常連客に声をかけた。

 ホール係はふたりいるが、今日のように大混雑のときには料理人もホールに出て臨機応変に対応しなければ間に合わない。

「いいよ、いいよ。この店、うまいもんな。昨日のテレビはびっくりしたけど、マリーの腕のよさを世間に知ってもらえて、おれも鼻が高いさ」

 ムッシュー・ヴェルニは開店当時からの常連客で、ご近所の気のいいおやじさんだ。

 ランチタイムが終了すると、いったん店を閉めて、また夕方のディナータイムに店を開ける。

 いつにも増して、あっという間に感じられたランチタイムだった。

 マリーはもちろん、アンリとジャンも、ホール係のふたりもくたくただったが、充実感はあった。

 初めて来てくれた客も口々に「おいしかった」と喜んでくれたからだ。

「さあ、わたしたちも早くお昼を食べて、ディナータイムに備えましょう」

 まかない当番のマリーは、残った材料で五人分のクスクスとスープを手早くこしらえた。


 そして夕方六時。

 ディナータイムの開店時には、またもや行列ができていた。

 昼よりもさらに長い。

 しかも夜はランチよりメニューの種類が増えるので、もっとたいへんだ。

 客は少しずつ回転していったが、行列はとぎれない。

 夜の八時過ぎ、急に店の入り口付近がざわついた。

 ホール係のミシェルに呼ばれて厨房から出ていったマリーは、どきりと胸をはねさせた。

 迫力のある美女三人組とドミニク、クレメンタイン、そして彼らよりも頭ひとつ飛び出したサイードの姿がそこにあった。

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