04 - パリ編 ブガッティと送りオオカミ
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サイードのパーティが無事に終わった。
彼の隣にはいつも美女がいるけれど、今夜はなぜかマリーが彼の愛車の助手席に座ることに。
スーパーカーのなかで、彼との距離がいっきに縮まる……!?
作:ケイ・ブルー(Kay Blue)
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彼女はたしか、オテル・ド・クリヨンでサイードの隣に座っていた女性だ。
売出し中の新進女優だそうで、今夜もたわわな胸や美脚を惜しみなく披露するセクシーなシルバーのドレス姿で目立っていた。
「あら、あなた、まだいたの?」
あごをつんとあげて、イヴォンヌが言った。
「はい、後片付けをしていて……着替えたら、サイード王子にご挨拶して帰ります」
この人はどうしてここに残っているんだろう。
マリーは手早くバッグから服を出して着替えはじめた。
なぜかイヴォンヌにじっと見られているようで気まずい。
できるだけ早く着替えをすませると、コック帽から出した髪もろくに整えず、そそくさとパウダールームを出た。
なぜかイヴォンヌもすぐあとから出てきた。
サイードはまだタキシードのままだったが、ボウタイをはずして襟元を軽くくつろげていた。
マリーに気づき、彼女のほうに近づいてくる。
「殿――いえ、サイード、今日はありがとうございました。すばらしい経験になりました」
マリーはあわてて挨拶した。
「もう昨日だ。午前一時をまわっている。送っていこう」
「えっ?」
マリーは目を丸くした。
「サイード!」
声を張りあげたのはイヴォンヌだ。
「わたし、気分が悪くなってやすんでいたの。クレメンタインやドミニクに置いていかれちゃったわ。送ってもらえないかしら? このあとふたりで飲み直しましょうよ」
一瞬、体の動きを止めてイヴォンヌを見たサイードは、顔色ひとつ変えずにハキムを呼んだ。
「彼女に車を呼んでやってくれ」
それだけ言うと、マリーの腰に手を当てて玄関へとうながした。
「ちょっと待って!」
信じられないといった顔のイヴォンヌが、背後でハキムにソファへと案内されていくのがマリーの目の端に映った。
戸惑いながらも外に出たマリーは、そこにあるものを見てまたしても目を丸くした。
とんでもない車だった。
どこの映画から抜けだしてきたのかと思うような、黒光りして車高の低い二人乗りのスーパーカー。
ブガッティの限定車だったが、そんなことはマリーにはわからないし、もちろんそんな車を間近に見たことも、乗ったこともない。
「きみの家はどこだ?」
助手席のドアに手をかけたところでサイードが尋ねた。
「五区のカルチエ・ラタンにある集合住宅です。うちのビストロからも歩いて二十分くらいの……でも、まさかあなたに送ってもらうなんて。ひとりで帰れるからだいじょうぶよ」
「こんな夜中まで働かせておいて、女性をひとりで帰らせるような男だと思うのか?」
サイードは眉をひそめ、あごをあげるように頭をかたむけて、斜め上からマリーを見おろした。
「でも、さっきは――」
あのシルバーのドレスの美女のことを言いかけたが、どう言えばいいのかわからなくなって声がしぼんだ。
彼女は“ふたりで飲み直しましょう”と言っていた。
オテル・ド・クリヨンでもサイードの隣に座っていたし、ふたりはとても親しい間柄のように思える。
今夜は仕事相手のわたしがいたから、彼女と一緒にいられなかったんじゃ……?
「パリはなにかと物騒だ。黙って送られておきたまえ」
「でも――」
なおも反論しようとしたマリーだったが、そのときサイードが助手席のドアをさっと開け、乗るようにと威圧感のある視線を向けた。
「ありがとう……ございます」
ちょっと強引な気もしたけれど、マリーは反論するのをやめて助手席に乗り込んだ。
実際、送ってくれるのは助かるし、サイードから感じられる空気が物言いほどには高圧的でなかったこともあって、ありがたく送ってもらうことにした。
車はすべるように走りだした。
日曜のパリの夜は平日より人通りが少なく、しかも深夜とあって、大通り以外は閑散としている。
コンコルド広場やルーブル美術館を通り過ぎ、セーヌ川を渡って、学生の街カルチエ・ラタンに入った。
見慣れたパリの景色がなぜかとても優雅に見える。
サイードの運転は発進も停止も流れるようになめらかで、マリーの道案内がたどたどしいというハンデをものともせず、あっという間に自宅前についた。
単身者向けのスタジオタイプの部屋ばかりが入った、小さな集合住宅。
学生の入居者も多いが、それでも家賃はそう安くはない。
パリは物価が高く、自分たちの店をつぶさずにやっていくのがやっとのマリーには、小さな部屋を借りるので精いっぱいだった。
もう少し家賃が安めの地区もあるけれど、店に近いほうがなにかと便利だし、最低限の安全面も考えればそれなりの部屋に住まなければならない。
ともかく自分の力で生活していくことができているのだから、彼女はじゅうぶん満足していた。
サイードが車のエンジンを切り、シートベルトをはずしてマリーのほうに顔を向けた。
「夜遅くまでご苦労だった。どの客もきみの料理をほめていて、パーティは大成功だったよ。ありがとう、よくやってくれた」
車のなか、至近距離で面と向かってそんなことを言われ、マリーは心臓が口から飛びだしそうな心地になった。
「ありがとうございます。アンリとジャンもがんばってくれたし、ムッシュー・クレメンタインも、スタッフの方々も……みなさんのおかげよ」
そう言って彼の顔を見返す。
ふとサイードの手が伸びて、マリーの髪をひと房すくった。
「まるで絹のような手ざわりだな」
心臓が止まるかと思った。
髪の毛にまで神経があるのかしら……。
そこでマリーは、はっとした。
さっき、自分は急いで着替え、髪の毛をととのえもせずに出てきた。
もしかしたら、頭がぼさぼさ……あわてて髪に手をやり、なでつけようとする。
「気にすることはない。朝早くから一日じゅう、休むひまもなく働いていたんだ。こんなふうに乱れているのも趣がある……」
マリーの髪の毛をすくっていた彼の手が、すっと彼女のうなじにまわった。
(えっ……?)
気がついたときには、彼の顔がすぐ目の前に迫っていた。
とっさにマリーは目を閉じた。
唇が重なり、その感触と熱を自覚したとたん、背筋がぞくりと震えた。
もう片方の彼の手はマリーのひざに置かれ、そこからもじわりと熱が伝わる。
うなじの手に力がこもり、さらに引き寄せられて唇が強く重なった。
キスされてる……。
そう思うと、心臓がとんでもなく激しく打ちはじめた。
顔をそむけるとか、体をよじるとか、そういうことはなにも思いつかなかった。
このあいだの軽くふれるだけのキスとはまったく違う。
サイードが唇の角度を変えると唇がこすれあい、おなかの奥がずくりとうずいた。
いっそう深く重ね合わされて頭がくらくらし、思わずすがるように彼の肩をつかんでしまった。
バン!
助手席側の窓をいきなりたたかれ、サイードもマリーも弾かれたように離れた。
とっさに窓を振り返ったマリーは、そこにいた人物を見て驚いた。
「お父さん!」
「なんだって?」
サイードは瞬時に状況を理解し、すばやく運転席から降りて助手席側にまわった。
マリーの父親と対峙する。
マリーもすぐに車を降りようとしたが、初めての車で勝手がわからず、手間取っているうちにサイードが外から開けてくれた。
転がるように車を降りたマリーは、サイードの隣に立った。
「あの、お父さん……違うの、これは……」
「おまえ、なんだ、この男は? いまなにをしてた? こんな車の中で……いいご身分だな!」
マリーの父ピエールは、ろれつのまわらないしわがれ声ですごみ、娘に一歩近づいた。
サイードはすぐさまふたりのあいだに割り込み、マリーを自分の背中で守るように立った。
「これは失礼した。はじめまして、ぼくはサイード・アル・ジャハーン。イスファハール王国の第二王子だ」
「なんだと?」
ピエールは息をのんで目をむいた。
一瞬、酔いも覚めたかのような顔つきになる。
「イスファハール王国? 第二王子? いったいなんの冗談だ、ふざけるな。そんなやつがおれの娘になんの用だ!」
父親がいきなりサイードに殴りかかりそうになり、マリーはあわてた。
父親に飛びついて必死で押さえ、サイードを振り返る。
「ごめんなさい、サイード。送ってもらってありがとうございました。もう大丈夫ですから帰ってください」
「そういうわけにはいかない。こんな状況で――」
サイードがそう言うあいだにも、マリーは小柄な体のどこにそんな力があったのかと思うような勢いで、父親をぐいぐいと集合住宅の出入口のほうへ押しやっていった。
父親は足元がふらついている。
顔が赤いところを見ても、かなり飲んでいるのだろう。
「お父さん、こんな時間に外でさわぐのはやめて。部屋に入ってちょうだい」
マリーはできるだけ声をひそめて話しかけている。
「ばか言うな。おまえの部屋にいて、なにがおもしろい。これから飲むんだ。ちょっと金を都合してくれ」
今度は、娘におもねるような声を出す。
「だめよ。もうじゅうぶん酔っ払ってるじゃないの」
ふたりはしばらくやりあっていたが、最後はマリーがしかたなさそうにバッグからいくらか金を出して父親に渡した。
父親はサイードのほうに「もう娘に近づくな!」とどなってから、ふらふらと夜の闇にまぎれていった。
マリーはまだサイードがいるのを見て、彼のほうに戻ってきた。「とんでもないところを見せてしまって、ごめんなさい。父がとんだ失礼を……けがはありませんか?」
「いや、問題ない。きみこそだいじょうぶか? 父親と言っても少し乱暴にすぎるようだが」
「すみません。父は母が亡くなってからお酒を飲むようになって……」
マリーの言葉がしぼんでいく。
「娘に飲み代をせびりにくるわけか」
サイードが代わりに言った。
「父も悪い人じゃないの。ただ、一緒に暮らした時間が短かったせいか、わたしたちはあまりうまくいってなくて……ごめんなさい、そんなことあなたには関係ないのに。いやな思いをさせてしまってすみませんでした。送ってくれてありがとう、おやすみなさい」
マリーはいたたまれない気持ちで礼を言い、逃げるように建物に入っていった。
サイードはそれを見届けてから車に乗り込むと、自宅に向けてふたたび夜のパリに車を走らせた。
パーティのホストとして数百人のゲストの相手をし、何時間も立ちっぱなしだったというのに、たいして疲れも感じていない。
疲れどころか、不思議な高揚感に満ちている。
さっきのキス……。
彼女に礼を言うだけのつもりだったのに、顔を見たらキスせずにはいられなくなった。
そう、彼のアパルトマンで打ち合わせをしたあの日と同じ。
よく知りもしない相手なのに、考えるよりも先に体が動いてしまった。
あのときは別れ際だったからあれだけですんだが――今日は、いったんふれたら、火をつけられたのかと思うくらい体が熱くなった。
もしあそこで彼女の父親があらわれなかったら、いったいどうなっていたのだろう。
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