第三十八話 〜命がけの卑怯〜

「むっ……」


 獅子はすかさず振り返った。

 その瞳に一筋の流星が光る。

 再度どよめきたつ場内。


「余計な演出しやがって! おかげで随分迷っちまったじゃねえか!」


 最後の最後で、ついにその者は現れた。


「来たにゃああああ!」

「ぶほほおおー!?」


 すっかり萎れていたマスターとミーヤが、その場で飛び跳ねた。

 入場口から足早に歩いてくるその男は、トレードマークのウェスタンハットを引っつかむと、フリスピーのように投げ捨てる。


「やっぱ、テメーを殴っておかなきゃ気がすまないぜ!」


 さらにジャケットとシャツを脱ぎ捨てて、戦闘態勢となる。

 その獣闘士の名はロン。

 金の山羊を手に入れながら、みすみす獅子に取られたことで知られる者である。


「ようやくお出ましか、オオカミ君」


 と言って、ニヤリと口角を上げる獅子。

 やっぱりくだらねえこと考えていやがった――。

 ロンはきっぱりと否定する。


「言っとくが、俺は山羊を取り戻しに来たんじゃねえぞ!」

「む?」


 するとジョーは、その首を傾げた。

 恐らくは、予想していた言動と違ったのだろう。


 だがロンは気にせず、やろうと思っていたことを実行する。

 大階段の上方、透明カプセルの中ですました顔をしている女に人差し指を向ける。


 すると一瞬だけ女は首を傾げた。

 その瞬間を見計らって――。


『くそったれ!』


 こともあろうか、カプラに向かって中指を立てたのだった。


――ドオオオオオッ!!?


 ひっくり返したように騒然となる会場。

 そのままロンは全力のしかめっ面を浮かべ、音が鳴るほどの勢いで天高く突き上げた。


 相手の全てを否定する、危険極まりないジェスチャー。

 こともあろうか、それを女に対して突きつけたのだ。


「な、何考えてんだロンー!?」


 マスターの絶叫が聞こえてきた。

 しかし覚悟は出来ていた。


 俺はこれから、卑怯の限りを尽くして獅子の顔面を殴りに行く。

 どう考えたって悪役だ。


 ならばいっそ、徹底的にやってやる――。


 俺は、女を救いに来たヒーローになんかじゃない。

 そんな気はさらさらないし、むしろ俺はあいつが嫌いだ!


 だから俺は――!


――おいおいおいおいおい!

――なんだなんだ、あの大バカ野郎は!


「今の俺は、サヴァナで一番のゲスだあああ!」


 卑猥な拳をゆっくりと下ろし、胸を反らして場内全体を仰ぎ見る。

 そして胸の内で唱えた。


 さあ降ってこい、ブーイングの嵐!


――やる気満々じゃねえか、このオオカミ野郎!

――いいぜ気に入ったああああ!!


「はあっ!?」


――スーケーベ!

――スーケーベ!


 だが、湧き起こったのは壮絶な『スケベ』コール。

 まぎれもない声援であった。


 獅子を倒して山羊を抱け。

 どこまでも野蛮な獣達の声援で、会場の雰囲気はいよいよクライマックスである。


「あ、あわわわ……」


 予想外の好反応にロンは慌てふためくが、もはやどうにもならない。


「く、くくくっ……」


 あの獅子までもが、口元を押さえて笑っている。


「想像以上だ……、想像以上だよオオカミ君。わたしは今、とても愉快だ!」

「う、うおおお……! その面で笑ってんじゃねえええー!」


 その獅子の笑顔もまた壮絶だった。

 恐ろしくつりあがった口角、ギラリと光る人外の双眸。

 それはなんとも魔物じみた、まさに『悪役』の顔である。


「では始めようか、オオカミ君!」

「ぐおおお……! 結局そういう役回りかあああああ!?」


 供に地を蹴る二つの肉体。


「もっとわたしを楽しませたまえ!」

「ちくしょうがー!」


 両者、互いに全力で駆け寄ってフィールド中央で交差。


「はっ!」


 突き出される大砲のような右ストレート。

 ロンはオオカミ形態に瞬間獣化してそれをかわしつつ、ジョーの後方に出る。

 そして振り向き際に獣化解除、土をすくって投げつける。


「……ふふん!」


 しかしそれを読んでいたジョーは、一瞬にして体三つ分の距離をサイドステップ。

 ロンに向かって回し蹴りを振るう。


「シィッ!」


 全力のバックステップ。

 ロンの胸元ギリギリを掠めていくジョーのつま先。

 その勢いのまま転身すると、ロンは全力でその場から逃げ出した。


「勝てるわけねえだろ!」


 魂の奥底まで見透かされている気分だった。

 しかも、それでいて遊ばれている。


「だったら……」


 ロンはフィールド外周の壁に沿って走り始めた。


「……こっちも遊んでやる!」


 一周約150mのフィールド周縁を、7割ほどの走力で駆け回る。

 瞬く間に一周して、二週目に入った。

 ジョーはフィールド中央に立ってその動きを眼で追っている。


「追いかけてこいよ!」

「お望みとあらば」


 ジョーは人間の姿のままでダッシュ。

 楕円を描いて走るロンの軌道に、最短経路の弧を重ね合わせるようにして迫る。


 ロンの横腹めがけて放たれるとび蹴り。

 比較的慎重に繰り出されたその足を、飛び上がって回避――。


――ズガアアアア!


 直後、壁が砕け散った。


「げえええっ!?」


 一撃で全てが終わる――。


 あれで人間形態なのだ。

 獅子形態になったら一体どうなるのか。

 せっかく作ったコロシアムが、丸ごと破壊されてしまうのではないか?


 ロンは全身の毛を逆立てながら、ひたすら逃げ回った。

 ジョーとて、わざわざ施設を破壊したくないだろう。

 だからこうして壁を背負っていれば、ジョーは全力の攻撃はしてこれないはず――。


 それがロンの考えた、一つ目の卑怯戦術ヒールだったのだが、間を置かず追撃してきたジョーは、先ほどの弧状の軌道にアレンジを加えてきた。

 ロンの体に追いつく直前に一端離れ、その進路を塞ぐようにして鋭く切り込む。


「うおおっ!?」


 土を抉るようなアッパー。

 しかしロンはあえて踏み込む。


「くらえやあ!」


 インパクトの瞬間に獣人形態に移行、アッパーをガードしつつ、上からの振り下ろしで相手の頭部を狙う。

 だが。


「ぐはあっ!?」


 ガードそのものが無意味だった。

 ダンプに跳ねられたような衝撃がロンの体を襲った。

 そのアッパーの威力で、ロンは5m以上も突き上げられたのだ。


「くそお!」


 空中でくるりと姿勢を正して、足から地面に着地する。

 間髪入れずに飛んでくる蹴りを回避しきれず、肩に食らって錐揉み状に吹き飛んでいく。


「うおあああああ!?」


 フィールドを幾度か弾んで、反対側の壁に激突する。


「むぐぐぐっ……!」


 何とか起き上がって顔を上げる。

 視線を上げた先に、悠々と歩いてくるジョーの姿。

 やはりこのままではどうにもならない。


 もっと混沌が必要だ――。

 そう判断したロンは、次のカードを切った。


「獣闘の名物ってなんだっけなぁ! 獅子長さんよ!」


 獣人形態となったロンは、一足で飛び上がって一階席前の壁の上に乗った。

 そしてそこからジョーにする挑発行為、尻を向けて尻尾を振った。

 その二つ目の卑怯戦術――。


「場外乱闘かね?」


 ジョーはにやりと笑って跳躍。

 20m近い距離を一歩で飛び込み、ロンの居る場所にミサイル弾のようなとび蹴りを見舞った。


――ドガガガガ!!


 かわしたその後に穿たれるクレーター。

 近くにいた観客が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 空き缶、座布団、弁当箱にトウモロコシ――。

 飛ぶように後ろに下がりつつ、ロンは手当たり次第に引っ掴んで相手に投げつけた。

 だが、その全てを軽々と打ち落としながら、獅子の皮を被った戦闘マシーンが疾風の如く追い迫る。


 客席はコンクリートを段重ねにしたすり鉢構造。

 二つの体は、さながらオーバルコースを駆け抜けるレーシングカー。

 圧倒的な馬力をもつジョーが、難なくロンに肉迫していく。


「……これで!」


 交差の瞬間、ロンは奥の手を繰り出した。

 オオカミ面の口の部分に仕込んでおいた"それ”を口に含んで噛む。


――ブッ!


 そして相手の顔に吹きかける、

 毒霧――三つ目の卑怯戦術ヒール


「うっ!?」


 流石の獅子も空気まではかわせない。

 直撃は避けるが細かい粒子が眼に入ってしまう。


「くうううっ……!」


 突如、眼を押さえて苦しみ出す。

 ロンがプッと吐いて捨てたのは、何かの野菜片――。


「タマネギだ!」


 ここぞとばかりに畳みかける。

 ジョーの視界は失われている――だが。


「噴ッ!」


 的確に照準されたジャブが、ロンの頭をのけぞらせた。


「ぶはっ!?」


 眼が見えなくても関係ないのか――!?


 いやまぐれに違いない。

 ロンは右へ左へフェイントをかけつつ、拳を打ち込み、蹴りを見舞う。


 即座に叩き込まれた10連撃、しかしジョーはそれを全てガード、もしくは回避した。


「んにゃろおー!!」


 相手に向かってサイドチェンジをするようにして斜めに飛び上がる。

 そこでロンはオオカミ形態に瞬間獣化。 

 さらに空中で体を回転させて、牙でも爪でもなく、その尻尾の先でジョーの顔を叩いた。


「ギャヒィイン!?」


 がしかし、毛の先もかすらなかった。

 逆にレバーに打ち込まれる強烈なフック。

 余りの苦痛に獣化が解除され、わき腹を抱えて客席の上を転げ回るロンの眼に、滝のような涙を流して眼をつぶっている獅子の姿が見えた。


 ありえねえ――。

 言葉を失う。

 目にワイパーでもついているのか!


 あっという間にたまねぎ成分を洗い流すと、ジョーは両目をカッと見開いた。


「毒霧……場外乱闘……ふふ、なんと懐かしい」

「――ぐっ!?」


 ロンの背筋に怖気が走った。

 この男は、ありとあらゆる卑怯技ヒールを経験し、そして対策済みなのだ。


 だが、まだだ――!

 ロンは瞬時に客席を見渡し、そして。


「ロンー!」

「立つんだにゃー!」


 遠巻きに声援を送ってきているマスターとミーヤを発見した。


 これは使える。

 わき腹の痛みを堪えつつジャンプ。

 一足で二人の側まで飛んだロンは、その背後にまわって肩を抱いた。


「ぶえっ!?」

「はにゃ!?」


 オオカミの口に悪魔のような笑み。


「悪いが壁になってくれ」


 四つめの卑怯戦術ヒール――観客を人質に取る。


「君には……」


 流石に不愉快な表情を浮かべる獅子。


「誇りというものがないのかね?」

「そんな反則じみた獣面被ってる奴に言われたかねーよ!」


 何の迷いもなく、その言葉が口に出た。

 周囲を取り巻く者達も、口々に同意の声を上げる。


――そうだそうだ! 要は勝てばいいんだ!

――あんちゃん良くやってるぜー!


 次々と上がるロンへの声援。

 実際、あの獅子を目の前にして、立っていられるだけでも相当なことなのだ。

 しかもロンはすでに、これまでのどの挑戦者よりも長くジョーと仕合っている。


「ひにゃにゃ……!」

「ぶ、ぶふぶぶ……」


 目の前まで来たジョーを前に、マスターとミーヤがだらだらと冷や汗を流し始めた。

 逃げようにもロンの腕によってしっかりと連結されてしまっている。


「さあ、殴ってこいよ……。どっちかを壁にしながら、俺はあんたをぶん殴る!」

「…………」


 ジョーはしばし冷めた鉄のような瞳でロンを見下ろしていた。

 だがやがて、瞬きをした瞬間にその姿を消した。


「なっ!?」


 反射的に首を振る。

 どこだ――?

 気付けば背後に巨大な拳――。


「ぐあっ!?」

「に”ゃー!?」

「ブヒイィ!?」


 ロンの背中に打ち込まれた鉄拳。

 背骨がみしみしと悲鳴を上げる。

 三人分の質量が一瞬にして加速され、ロン達はボーリングのピンのように吹き飛ばされた。


 ジョーはただ横に一歩踏み出して上体を前に倒し、ロンの背中めがけて巻き上げるようにフックを打っただけだった。

 ただし、その一連の動作に0.1秒とかからなかったが……。


「んなあっ……!?」


 高く空中に放り上げられ、くるくると回転しつつ、ロンはジョーの姿を睨んだ。

 無理な体勢からフックを打ったことで床に転がってしまっているが、なんという運動神経。

 そして。


 なんて無茶苦茶な野郎だ――!


 またもや5m近くも放り上げられたロンの前に、ちょうど二階席の先端が見えた。

 手を伸ばしてみたら届いてしまった。

 これはラッキーと思って飛びつき、落下防止パネルをよじ登って二階席に出る。


――ドヨドヨドヨ……。


 そこにいるのは全て外の世界の人間。

 いけすかない香水の匂いが、ロンの気持ちを逆撫でる。


 こいつらを酷い目に合わせたら、ライオン野郎はどんな顔をするか――?


 再びロンの卑劣心に火がついた。


「ウオオオオオオーーン!」


 雄叫びを上げる。

 そして群がる観衆の中に飛び込んで、手当たり次第に押し倒していく。


――うわあああああ!

――ぎええええええ!?


 まさに阿鼻叫喚。

 突如乱入したモンスターのために、サヴァナ耐性に乏しい二階席はパニックに陥った。


 そのままロンは、人の波をかきわけつつ、スチール製の大階段がある方向へと走る。


 透明なカプセルに入れられた山羊――。

 カプラの元を目指して。

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