第三十七話 〜獅子奮迅〜

 最初の相手は、サヴァナ最強のネズミだった。


「キシャアアアー!」


 余りの素早さのために、その姿が4つに分裂して見えることから、カルテット・ミックと呼ばれているその戦士を。


「ふんっ!」

「キイイィ!?」


 ジョーは開始した瞬間に叩き潰した。


 それを皮切りにして、次から次へと挑戦者達が屠られていった。

 まずはコヨーテやジャッカルといった軽量級が、その身軽さを生かして速度のある攻撃をしかけてきた。

 倒すことは出来なくとも、その顔に一撫で触れて、金の山羊を掠め取ろうという魂胆だ。


 しかしジョーは、その小型獣の速度を遥かに上回る機動を見せた。


「ギャイイイン!?」


 小柄な獣闘士が2階席まで吹き飛んでいく。

 瞬く間に屍の山が築かれていく中、過去のジョーを良く知る者達が、口をそろえて呟いた。


――まだ前足しか使っていない。


 その後も、眼にも留まらぬ速度で首を突き出してきたコブラを二本の指で捕らえ、アルマジロの甲羅を手刀でかち割り、極彩色の羽を広げて幻惑してくるクジャクに対しては眼を閉じたまま戦った。


 ジョーが始めて後足を使ったのは、会場警備をしていたジャガーが乱入してきた時だった。

 獅子にも勝る踏み込みで飛び掛ってきた相手に対し、前蹴りによる牽制を行ったのだ。

 それを機にリーチを生かした猛反撃に転じると、ジャガーはあえなく降参し――。


「まいったボス……解雇しないでくれ」


 と言って、頭を下げてきた。


 そしてついに、重量級が登場した。

 身長5m、股下2m30cmの長さを持つ超長身の半獣人。

 キリンのジョーンズである。


 外の世界ではライオンを蹴り殺すこともあるキリン。

 手を伸ばせば2階席にも届く巨人を前に、流石のジョーも有効策を思いつけない。


「……むうう!」


 特注サイズのデニムに包まれた細長い脚が、ひっきりなしに振り回される。

 獅子は、蹴り上げと蹴り下ろしの連続攻撃を、転がるようにして回避する。


 これはもしや――?

 会場にそんな期待感が生まれ始めたその瞬間。


「ふん!」


 ジョーは若干甘く振り下ろされた踵落としを交差した両腕で受け止めた。

 そのまま軸足にタックルをしかけ、押し倒したところで長すぎる脚を両脇に抱える。

 そしてなんと、身の丈5mの巨人にジャイアントスイングをかけたのだ――!


――オオオオオオオオオ!?


 広いフィールドいっぱいに、キリンの巨体が振り回される。

 そして、回転力が最大値に達したところで投擲。

 大木のようなその体は、頭から観客席に突き刺さった。


「あにゃー!?」

「ぶひいいいっ!?」


 それは丁度ミーヤ達の目の前だった。

 白目を剥き、長い舌を口から垂らすキリン男。


「これ、なんとか愛護団体に文句言われるにゃー!」

「一応みんな人間だけど……」


 あまりの獅子の強さに、いよいよ会場の空気が静まってきた。

 一体誰に、この怪物を殴れるというのか。


「……これはダメねぇ」


 VIP席のヤマネコ婦人が、扇子をあおぎながら呟く。


「ムガー! なにやってんだよ!」


 獅子長のことが気に食わないオスカーは、部下のウシ男に八つ当たりする。

 もはや仕事はそっちのけだ。


「さあ! あと何人残っているのかな!」


 手についた土を払いながら獅子が咆える。

 ヒョウ面の係員がパネルを更新した。

 先ほどまで100人以上残っていた挑戦者が、一気に減って30人程になっていた。


「おやおや! 残念なことだ!」


 呆れたように肩をすくめるジョー。

 挑発するようにして観客席を指差す。


「飛び入りでもかまわないぞ! 誰かわたしに挑む者はいないか!」


 強そうな観客を見繕っては手招きをする。

 一般席の一角に勝手に特等席を作って寛いでいるゾウ館の主を指差して言う。


「わたしは是非とも貴殿と戦ってみたいのだが?」


――オオオオオオオオ!?


 直々の指名にどよめく会場。

 しかし煌びやかな衣装に身を包んだゾウは、ただ大らかな笑顔でもって答えるのみだ。


 取り付く島もないその様子に、ジョーはやれやれと首を振った。

 やがて失笑に変わるどよめき。


 だが次の瞬間。

 客席から、一羽の鳥が矢のような勢いで飛び出してきたのだ。


――あれは!?

――ハヤブサのスパイクだ!


 サヴァナ最速の戦士の登場に、再び会場が活気付く。

 鳥人は、ひらりと場内に舞いあがるとそこから急降下。

 その速度を利用して、つむじ風のような鋭さでジョーの周囲を旋回した。


 流石のジョーも、あまりのスピードについていけない。

 翼の先が体をかすめ、ナイフのように全身を切り裂く。


――シャアアアアアアアアアアアアア!


 あの獅子長が苦悶の表情を浮かべている――!

 ざまあみろと咆える声。


 そしてにわかに巻き起こるスパイクコール。

 寡黙なハヤブサは、そのまま天高く舞い上がった。


 三階席を超え、コロシアムの屋根に達し、中央に大きくあいた吹き抜けからさらに飛ぶ。

 暮れかけた空に赤々と燃える不死鳥に飲み込まれ、その姿が一切見えなくなる。


「むっ……」


 ジョーはその空を注視した。

 次に来る攻撃は一撃必死。

 金の山羊どころか、己の命まで奪われかねない一撃である。

 両腕を広げ、腰を落とし、全方向からの攻撃に備える。


 瞬間、空に一閃の軌跡が描かれた。

 戦闘機と化した鳥人が、時速390kmの急降下。

 夥しいショックウェーブを伴った弾丸が、ジョーの顔面めがけて飛び込んできた。


――ウオオッ!?


 爆裂する噴煙。

 見間違いようもない直撃。

 周囲に飛び散るハヤブサの羽――。


 ついにやった。

 誰もがそう思った直後――。


「ガルウウウウ……」


 なんと、ゾウほどの大きさのある獅子がそこに鎮座していたのだ。

 その異常な存在感のために、広大なフィールドが今や箱庭のように見える。


 全身の毛を黄金色に輝かせる獅子。

 その鋭い牙に咥えられているのは、一羽の鳥人……。


――ヒイイイイイイイイイイイィッ!

――ギャアアアアアアアアアアア!?


 歓声は一瞬にして悲鳴に変わった。


 なんと獅子は。

 最高速のその攻撃を、口だけで受け止めたのである。



    * * *



 透明なカプセルの中、カプラは高い位置から戦場を見下ろしていた。

 獅子のみならず、誰もが戦いに夢中だった。


 獅子長が自らの地位に退屈していたことは、カプラでも知っている。

 余りにも強すぎる男は、もう久しく戦っていない。

 そして今でも、全力は出せていないのだろう。


 さらには獅子長という立場にあるジョーは、公の場で人を殺めることが出来ない。

 顔を殴られてはいけないだけでなく、その立場もまた、ジョーにとってのハンデとなっているのだ。


 そのように自ら進んで足枷をつけ、次々と戦いを挑んでくる相手と戯れる男の姿は、まるで子供のように無邪気だった。

 ただ仕合いたい、熱くなりたい。

 見ているカプラの方まで、うっかり顔が綻んでくるほどに。


 しかし、一人の観客として獅子の戦いに興じつつも、彼が危機に瀕する度に自覚させられるのは己の立場だった。

 無数に振りかざされる爪が、ほんの一度でも掠るだけで、カプラはその者の所有物になってしまう。

 獅子によって飢えた獣達の贄とされながら、その獅子の手によって守られているという奇妙な状況に変わりはなく、どのような展開となっても、この透明な檻からはけして開放されない。


 今はただ、終わりを待つだけの身。

 だがそれでも、山羊は何かを待つように――そして拒むように。

 その表情を、僅かに曇らせるのだった。



   * * * 



 獅子長戦が開始されてから一時間半が経過しようとしていた。

 火花のような速度で走り回るマングースの猛攻、カンガルーの高速パンチをかいくぐり、ジョーは最終挑戦者であるヒグマのバンデムと戦っていた。


「グオオオオオ!」


 戦闘力指数500を誇る、サヴァナ世界のビッグ5。

 後ろ足で立ち上がり、両手を高く掲げてジョーを威嚇する。


 身の丈は4mに近く、体重は600kgを超える。

 その拳は水牛の角をへし折り、その牙は大亀の甲羅をも噛み砕く。


 だが、その眼前に獣人形態を取っているジョーは、それよりさらに大きいのだった。


「グ、グオオオオオー!?」


 溶岩のように赤い瞳。

 威圧的なオーラを放つたてがみ。

 常識外の筋肉を積載した五体は金色の毛に包まれて、もはやどこにも付け入る隙が見当たらない。


 ズン――!


 ただ一歩踏み出しただけで、建物全体がギシギシと揺れた。

 全身の毛をハリネズミのように逆立て、ジョーの全身から放たれる破滅的な波動に抗うヒグマ。


 だが場内は既に悟っていた。

 まるで話にならなかったと。


 獣人形態となったジョーを見た全ての者が思った。

 これでもまだ彼の20%ほどでしかない。

 まさしくこれが『戦闘力指数1000』の意味なのだと。


――GYAAAAAAAAAAAAAASS!!


 ついに、覇気を全開にした獅子。

 それだけで観衆の半分が膝を折り、そのうち2割が気を失った。

 ついに心が折れたヒグマのバンデムは、その場でゴム鞠のように丸くなった。


「GRRRRRR……」


 するとジョーは、その黒い毛の塊を前足でコロコロと転がした。

 そして爪で引っ掛けて持ち上げて、お手玉のようにポンッと宙に放つ。


「GRAAAAAAA!!」


 続いて、バレーボールのアタックの要領で下へと叩き落とす。

 黒いゴム鞠はボムンッと思いがけない弾力を発揮して地を跳ね、そのまま一階席に飛び込んでいった。


――DOGOOOOOOOOON!


 慌てて観客達がよけたところに突っ込んで激突、そこに大きなクレーターを作った。


――ドヨドヨドヨ……。


 客席からは動揺の声が上がっていた。

 時々「ハウッ!」と痙攣したような叫び声が響く。


 何をどう収拾すれば良いかわからない状況である。

 とにかくこれで、ライオンマッチに臨んだ全ての挑戦者が敗残を喫したことになる。


 やがてシュウシュウと、風船の気が抜けるようにして、獣人化したジョーが人の姿に戻っていった。

 そこでようやく、不毛な戦いが終わったのだという実感が訪れた。


 二階席の最前列で、トウモロコシを齧るエスカーが。


「あんにゃろうはクビだな……最後までヘタレやがって」


 VIP席でマッサージ師に肩を揉んでもらっているヤマネコが。


「まったく、つまりませんこと」


 そして一階席のマスターとミーヤが。


「何で来ないんだよロン~~!」

「流石に幻滅したのにゃ……」


 ため息に満たされる場内。

 圧倒的な実力を見せ付けられたことで、みなすっかり骨を抜かれてしまっている。


 戦いを終えたジョーは大階段の方を振り返った。

 その直上に位置する透明な檻。

 金の山羊たるカプラだけが、始まりの時と変わらぬ精彩を保っている。


「……終わったぞ」


 ジョーは片手を高くかざし、もう片方の手で胸元を抑えた。


「我が、金の山羊よ」


 そして静かにカプラの元へと向かっていく。

 その表情には、祭りが終わってしまったことに対する、一抹の寂しさが浮かんでいる。


 どこまでも一方的な戦いであった。

 これほど誇れない勝利もないだろう。

 あとは金の山羊を連れ帰って、機械的に事を済ませるのみ。

 なんと、つまらないことか。


 今一度、この胸を熱くたぎらせてくれる戦士は現れないものか。

 そんな奇跡を願うような気持ちで、ジョーは限りなくゆっくりとフィールドを歩いた。


 いまだどよめきが収まらない場内。

 誰しもが、ただ呆然と獅子の歩行を目で追う。


 カプラもまた、全てを諦観したような眼差しをフィールドに向けている。

 人ならざる品位を保ちながら、獅子の訪れをただ待つ。


 やがて獅子は、大階段に足をかけた。

 そして、次のイベントに向けた期待感が、にわかに漂い始めた。


 その時――。


「――待ちやがれ! このライオン野郎!」


 ついに、その男はやってきた。

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