第三十六話 〜あの日の光〜

「クルァァアアア!」


 マスクレス最終組。

 チーターvsヒクイドリの一戦が決着する。


 勝者のヒクイドリが、翼を広げて荒ぶりながら口からボウッと炎を吐く。

 全身の毛をチリチリにした敗者のチーターが、『反則だろ……』とぼやきながらすごすご退場していく。


 マスクレスは獣面を賭けない戦いなので、観客のテンションは低くなる。

 その後に続くマスクマッチ――獣面を賭けた戦い。

 デスマッチ――命を賭けた戦い。

 それらに向けた、いわば前哨戦だ。


 そして今日は、そのマスクマッチの前に、特別イベント『ライオンマッチ』が行われる。

 勝てばもちろん獅子長の座を奪える。

 さらに今回は、特別な景品として『金の山羊』が用意されている。


 手に入れる方法は至って簡単。

 獅子の顔を、ただ一発ぶん殴ればいい。


――ドオオオオオオ……。


 にわかに場内がざわめき立つ。

 2階席の一端、獣闘士入場口の上に畳み込まれているスチール製の大階段が、耳障りなモーター音とともにフィールドへと下ろされてきた。


 それに合わせて鳴り響く大音量のBGM。

 高らかに謳い上げられる入場コール。

 ズウンッと土ぼこりを舞わせて、大階段の先がフィールドに着陸した。


 いよいよ獅子長キング・ジョーの名が発せられ、場内は8万人の大歓声によって震撼する。


――ウオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!


 階段の上の大扉が開かれる。

 夥しい光の向こうに立つ、雄雄しき人影。

 獅子のたてがみと真紅のマントを風に靡かせ、しなやかに鍛え上げられた上半身を誇らしげに曝して、サヴァナシティのキングが今、悠々と階段を下っていく。


 後ろに控える付き人はトラ。

 ジョーは全ての歓声と怒号に手を振って答える。

 その肉体には、十分なウォーミングアップがなされた証の汗が、ダイヤのように輝いている。


 かつて天才獣闘士と呼ばれたジョー・ザ・ターキーが今、獅子の獣面を被って再臨する。

 フィールドの土を踏んだジョーは、マントを脱ぐとトラに渡した。

 そしてマイクを片手に中央へと歩み出る。


「私が3万8641代目獅子長、キング・ジョーである!」


――ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!


 桁違いの熱気が渦巻く場内。

 空間が歪むほどの雄叫びが轟く。


「今ここに『ライオンマッチ』の開催を宣言する!」


 会場のボルテージが最高潮に達した。

 その頃合を見計らって、ジョーは大階段のさらに上、三階部分に設置された暗幕に向かって手の平をかざした。


「それではお見せしよう!」


 8万人の視線が集中するその先に、全てのスポットライトが当てられる。

 場内に現れた二つ目の太陽。

 その輝きの中から、サヴァナの象徴たる存在が現れようとしてる。


「サヴァナ世界の神秘にして、誰もが追い求める奇跡! 金の山羊の姿を!」



   * * *



 暗幕の後部。

 ロボットアームに吊るされた卵型の透明なカプセル。

 その中に置かれた椅子に、純白のドレスに身を包んだカプラが座っていた。


 これからいよいよ闘技場の供物にされようとしている彼女は、どことなく決意を感じさせる表情だった。

 両膝を美しく揃え、手の平を腿の上に軽く重ね、凛とした姿勢で前を向いている。

 暗幕の向こうからは、既に地鳴りのような歓声が聞こえている。


「……そう硬くなられますな」


 不意に投げかけられる声。

 カプラは少しだけ、そちらに眼を向ける。


 ロボットアームの操作盤。

 その前に立っているのは、亀の甲羅を頭にのせた老人だった。


「これは、獅子が貴方のために用意した舞台」


 と言って亀は、孫娘でも見るような笑みを浮かべる。


「貴方の内に秘められたもの……今なら全て伝わりましょう」


 老人は言い終えると、視線を戻して操作盤のレバーに手を添えた。

 カプラもまた、その暗い瞳を前へと戻す。


「ふむ……」


 老人は、カプラの身の上について思いを馳せた。

 先代の獅子長にも使えていた彼は、当然カプラのことを知っている。

 その来歴について、詳細な調査も行ったこともあるのだ。


 その時入手した情報によれば、カプラはサヴァナに生まれ、3歳の時に外に売られた。

 そして、老いた資産家の手によって、徹底した調教を施されたようである。

 老資産家はすでに性的には不能であったが、支配欲の権化であり、それまで数多くの奴隷を――それも子供ばかりを――壊してきた。

 つまりは、サヴァナ闇社会の常連であったのだ。


 幼少時より継続的なストレスを受け続けたカプラは、そのような環境にある者がみなそうであるように、慢性的な鬱状態にあった。

 老人の死後は、彼とともに生きたまま埋葬されることになっていた。

 その運命を、彼女自身がどう受け止めたかは定かではないが、案外その時を待ち望んでいたのかもしれない。


 カプラは12歳の時に老人は死んだ。

 しかし幸か不幸か、少女は埋葬されることはなかった。

 老人の子息が、彼女の身柄を引き取ったのである。


 40を過ぎたばかりの、精力に満ち溢れた男であったことから、その後の状況については想像に容易いだろう。

 男は飽きるまで少女を弄んだ後に、処女膜を修復してサヴァナへと売り戻した。


 こうしてカプラはサヴァナへと戻ってきた。

 そして、同じような経緯でサヴァナへと運ばれた者がみなそうなるように、天に輝く不死鳥の姿を目にした瞬間に発狂した。

 継続的な苦痛によって損なわれ、麻痺していた脳機能が、その活性を取り戻したのだ。


 寝台に縛り付けられ、猿轡を噛まされ。

 管のみで栄養を与えられながら、ひたすら呻き続ける。

 この世の地獄――。


 そんな、当時のサヴァナではよく見られた光景の中で、少女は回復までの時を過ごした。

 廃人にならずに済むかどうかは、本人がこれまで受けてきたダメージと、生来の回復力にかかっていた。

 実際、まともな精神を取り戻せるのは1割に満たないのだが、それでもカプラは、獅子の贄として見いだされた際には、年相応の少女に戻っていた。


 それは奇跡――と呼ぶべきものなのだろうか?

 瞳の奥に残った影もまた、見る者の庇護欲をそそる程度であった。

 身体の状態も良く、亀の翁も、その素性を調べてみるまでは処女奴隷であることを疑わなかった。


 少女はすぐに、老いた獅子のお気に入りとなった。

 あらゆる享楽を飽き果てるほど手にした人物を虜にするとは、ただ事ではない。

 それが調査を始めたきっかけだったのだが、判明した時にはもう遅かった。


 カプラが、意図的にジョーを手助けしたのは明らかである。

 その精神の奥底には、やはりサヴァナに生きる者達への復讐心があったのだろう。

 老獅子がジョーの手によって処刑された時、生きたままライオンに腹を食い破られるその光景を見て、少女はこの世のものとは思えぬ笑みを浮かべたのだ。


 その後もサヴァナの各地を転々とし、有力者を籠絡しては破滅へと追い込んでいった。

 そして今こうして山羊となり、自らが獅子の贄となった。

 ならば、よほどの恨みを抱えているだろうと、亀は思っていたのだが。 


「宇宙の形とは――」


――ガチャリ。


 押し出されるレバー。

 目の前の暗幕が開き、夥しい光が二人の目を焼く。

 ロボットアームが唸りをあげ、その骨格を軋ませながら、金の山羊を乗せたカプセルを押し出してく。


 地の底から吹き出してくるような熱量。

 まるで会場中の熱気が、白熱する竜の姿となって、どこまでも突き抜けていくようだ。


「我々が思っているよりも、複雑なのかもしれませぬな……」


 そう呟き、遠ざかっていく姿を見つめる亀。

 老いた彼の目には、それがまるで、何かを守ろうとしているようにしか見えないのだった。


 

   * * *



 ジョーは大階段の方を向き、両手を広げて、舞い降りてくるカプラを迎え入れた。


「おお……」


 それは想像していた以上の光量を伴っていた。

 比喩的にではなく、実際に眼を細めなければ見ていられない。

 カプラの肌そのものが光を放っていた。

 頬には金色の毛がゆれて、二つの瞳には不死の輝きが宿っている。


 8万の喝采、150万の注目、そして70億の関心を得てなお、その風格に一切の乱れは無かった。

 誰もがカプラの純粋な美しさに心を奪われていた。


 彼女が金の山羊であること。

 抱けば願いが叶うこと。

 それらは、二の次になっていた。


「なんと素晴らしい……」


 ジョーはそこに、比類なきものを見た。

 それは、獅子の胸を唯一燃え上がらせてくれている野心を、何よりも強く鼓舞しているようだった。


 この演出をして良かった。

 心の底からそう思う。

 これでこの先100年間、サヴァナの民が闘争心を失うことはないだろう――!


「さあ始めよう!」


 勇ましくそう告げて、獅子は金色に光る山羊をその背に負った。

 入場口に向けて拳を突き出しつつ、親指をグッと上に立てる。

 そして一気に己に引き寄せた。


「死にたい奴からかかってこい!」


――殺レエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!


 瞬間、会場が爆発するような歓声に包まれる――。

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