第三十五話 〜へたれ狼〜

 そして翌日――。


 ついにセントラルコロシアムと、それに付随する商業施設『サヴァナモール』の全面オープンの日が訪れた。

 VIPは前日のうちにチェックイン済み。

 ゲート前広場は、一時入国の手続きを済ませた一般客でごった返している。


 午前9時。

 アナウンスとともに花火が打ち上げられた。

 全ゲートが開放されると、来訪者達がなだれ込むようにしてモール内に入っていった。


 同午前10時より、コロシアム入場口が開放されて『早い者勝ち』の入場が開始される。

 2階席3階席ともに高額であるにも関わらず、開始30分で入席率は120%を超えた。

 落下防止用のプラスチック壁から、いまにも人が溢れ出しそうである。


 時を同じくして、コロシアムの外部出入り口も開放され、サヴァナ住民が入場を始めた。

 結構な入場料が取られるため、当然その殆どが獣面持ちである。

 それ以外の者達は、コロシアム外壁に設置されたオーロラビジョンの前で、大人しく膝を抱えた。


 一階席入場者の中にはミーヤとマスターの姿もあった。

 二人とも、上手く前方の席を確保できたようだ。


 VIP席にはヤマネコ婦人の姿も見える。

 さらには、エスカー率いる牛館の面々が、1、2、3階全ての客席で、焼きトウモロコシの立ち売りを始めた。


 午前12時。

 獅子長の開催宣言とともに、再び盛大な花火が打ちあがった。

 サヴァナシティの歴史をモチーフにした演舞が行われ、その後にファーストプログラムの『バトルロワイヤル』が始まった。


 戦闘力指数50以下の獣闘士100名による乱戦。

 フィールドを所狭しと駆け回る人と獣、半獣の闘士達の姿を見て、2階と3階にいる客はここぞとばかりに声をあげる。


――いいぞ! やれええ!

――ぶちかませええ!


 対して一階席の住民達は、まるで見慣れた光景だと言った様子。

 手弁当をぱくつきながら、この先に控えているライオンマッチのことなどを話している。


 続いて、無断入国者の公開処刑が開始されると、会場の雰囲気が一変した。

 手斧を持った処刑執行人は、15名のネズミ獣闘士。

 すべてサヴァナの罪人であり、タワーやその周辺施設で悪行を働いた者達だ。


 そのネズミ達が始末しなければならないのは、今回58名の無断入国者。

 武器を持っているとは言え、数的不利の状況である。

 つまりは、処刑執行する方も命がけなのだ。


 開始と同時に、8人の面無しが首を切り落とされた。

 1階席の者達は眉をしかめる程度だが、上階席の者達は顔をそむけて嗚咽した。

 その後、決死の反抗を試みてきた10数名の面無しによって、ネズミ面が3名ほど屠られ、パワーバランスは完全に拮抗。

 最終的に面無し2名が生き残った。


 フィールドは、早くも血にまみれた。


「……酷いものを見たにゃ!」


 ネコのミーヤが背中の毛を逆立てていた。

 両手で目を覆っているが、指の隙間からちゃっかり見ている。

 今は肉塊と化した屍を、係員達が片付けているところだ。


「こんなの喜んで見る人の気が知れないよ……ブヒィ」


 マスターもげんなり青い顔。

 しかし観客の中には、これくらいの刺激がないと興奮できない者も少なくないのだった。


「もう2時過ぎか……」


 マスターはちらりと時計を確認する。


「マスクレスの試合は8組だったよね。一試合10分として、一時間半くらい?」

「ライオンマッチは4時ごろになるのにゃー」


 そして二人はフィールドの隅、獣闘士入場口に目を向ける。


「来るかな……ロン」

「やることは全部やったにゃ。あとはあのヘタレ狼の気分しだいにゃ」


 腕を組んでムフンッと鼻息を荒げるミーヤ。

 今のところ、ロンはコロシアムに来ていない。


 観客としても、挑戦者としても。



   * * *



 ロンは自室で一人、悶々としていた。

 ソファーの上で寝転がったり起き上がったりしている。


 枕代わりにしているソファーの肘掛に、誰かがカプラの服を縫い付けていった。

 酷い嫌がらせだ。

 そちらを頭にして寝れば、当然、布にしみついた花のような匂いに悩まされることになる。

 かと言って、そちらに足を向けて寝ることもまた気が引ける。


 結局、服が縫い付けられた方に頭を向けて寝るが、カカポの香りが獣面の中まで漂ってくる。

 定期的に、たまらない気分になって起き上がる。

 その繰り返し。


「……くそっ!」


 寝て過ごすことを諦めたロンは、立ち上がって部屋の中をぐるぐる回った。

 歩きながら、ここ一週間のことを思い起こす。


 ライオンマッチにカプラが景品として出されることを知ったあの日、ロンは一日中サヴァナを走り回った。

 獅子長の野郎はぶん殴りたい。

 だが、カプラを助けには行きたくない。


 もうあの女と自分の間には、一切の関係性がない――。

 そう言い聞かせて走り続けたが、一向に気分は晴れなかった。

 むしろ、獅子長の挑発的な言動が次々と脳裏に浮かび、ぶん殴ってやりたくて仕方がなくなった。


 そして結局、汗だくになるまで走ってしまった。


 次の日からはさらに散々だった。

 農園に仕事に行くと、ウシ男達がロンに飛び掛ってきたのだ。


――フモッホオオオー!

――練習相手になってやるよ!


 ニヤニヤと愉快そうな笑顔を浮かべるウシの群れに追い回された。

 打ちのめされ、踏みつけられ、ロンは昨日以上にへとへとになって店に戻った。


 さらに次の日は、一日中、猫館のネコ達に付きまとわれた。

 徹底的な生活の妨害をされて、ロンは朝から晩までネコ達を追い払うことになった。


 そして翌日、ついにイノシシのマスターが勝負を挑んできた。


『理由は無い、とにかく僕と戦うんだ!』


 そう言われてロンは、しぶしぶ手合わせをした。

 だが落ちぶれてもイノシシ、獣化したマスターはなかなかに手ごわかった。

 パンチの威力は十分で、驚くほどのタフネスがあり、フットワークも軽かった。


 油断していたロンは、マスターが得意とする突進攻撃によって、三度ほど宙に放り上げられた。

 そうしてへとへとになるまで戦い続け、日が暮れたころにマスターが降参した。


『いいダイエットになったよ……ブヒィ』


 そう言い残して自室に戻ったマスターは、その後、全身筋肉痛で三日寝込んだ。


 次の日のことは思い出したくもない。

 突然やってきたエスカーに『良い特訓相手を紹介してやる』と言われて、サイの館に連行されたのだ。


 サイの獣面の持ち主は、相当に歳をとっていた。

 戦闘力指数700を誇るサイだが、今回のライオンマッチに参加する気はないようだ。

 しかし挑戦者を応援したい気持ちは強いらしく、手当たりしだいに稽古をつけているという話だった。


『俺は出ねえぞ!』

『まあまあ、滅多に無い機会だ。存分に可愛がってもらうがいい……くくく』


 そしてロンは、強大なサイのパワーにいたぶられ、大怪我を負うことになった。


 瞬く間に一週間が過ぎていった。

 気付けばロンの肉体は、二周り以上も筋肉が盛り上がり、かつて無いほどに仕上がっていた。


 ヤマネコ婦人が毎日肉を差し入れてくれたおかげだろう。

 血管の隅々にまでエネルギーが行き渡っていた。

 恐ろしく体が軽く、その肉体の動きに反射神経が追いつかないほどだ。


 彼に戦って欲しいと願う者達が、寄って集ってロンを鍛えた。

 後は本人の気持ち次第だった。


 ソファーに縫い付けられたカプラの服に悩まされること一晩。

 ロンは窓の鉄格子をグッと掴むと、そこから首を突き出して空を見上げた。


 街は静まり返っていた。

 みなコロシアムに行っているか、テレビのある場所に集まっているのだ。


 午後の空に燃える不死鳥。

 どこからともなく言葉が降ってくる。


――さあ戦え。


 今こそ力を尽くし、男らしく戦う時だ……。


「……ざっけんな!」


 思いっきり鉄格子を叩くと、あっさり壊れて吹き飛んでいった。

 そして、通りをはさんだ向かいの建物に突き刺さる。


「……ウォォオオ!」


 有り余るエネルギー。

 ロンは忌々しげに拳を握った。


 俺は、あいつを取り戻したくなんかない。

 断じてない。


 俺はあいつを忘れるために獅子長を殴りたかった。

 それだけなのだ。


 だが、今あのライオン野郎を殴れば、俺はもっとあいつのことを忘れられなくなる。

 そうに違いない、間違いない!


 そういう状況にされてしまった。

 ああイライラする!


 あのライオン野郎め――!


「……むぐおおおお!?」


 ロンは荒々しく獣面を脱ぐと、壁に向かって投げつけた。

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