第三十二話 〜乙女〜

「ヌッ!?」


 エスカーが締めていたエランドの首が一気に小さくなった。

 その緩みを利用して、ロンはすかさず頭を引っこ抜く。


「てえぃ!」


 そしてその場に飛び上がると、再度掴みかかってきたオスカーの顔を蹴り、その反動で玉座の方に飛んだ。


 一歩間違えれば、獣人化したエスカーの握力を生身の頭部に食らう危険な策だ。

 だが器用にもそれをやってのけたロンは、すぐに玉座の横に転がり込む。

 そして、そこに落ちていた焼きトウモロコシを掴み上げた。


「どうどう……!」

「ウモッ!?」


 エスカーに向かって突きつけつつ、荒ぶる雌牛をなだめる。

 もう片方の手は高く上げて、降参のサイン。


「どうどうどう……」

「ウモモモ……」


 どことなく間抜けな光景。

 しばしロンを睨みつけていた女ミノタウロスは、やがてシュウシュウと気が抜けたようにしぼんでいった。


「……まったく」


 そして女の姿に戻る。

 首の骨をグキリとならして、肩をぐるぐる回す。

 正気に戻ったエスカーは、気だるそうに玉座へと足を進めた。


「やるよそれ、埃がべっとりついちまった」


 言われてロンは、手にしていたトウモロコシに目を向ける。

 確かに少し汚れているが。


「ふーふーすれば食えるぜ?」

「あのなぁ……これでもあたしは、ここの女王様なの!」


 と言って、何事もなかったように玉座に座るエスカー。

 その表情は、どこか愉快そうである。


「それで、気は済んだのか? 大方、私の地位を利用して獅子長と接触する気だったのだろう。だがそんなことをしても金の山羊は取り戻せん。エランドでは獅子を倒すのは無理だ、せめてサイかゾウになれ」


 サイの戦闘力指数は700。

 ゾウは650。

 最も獅子の座に近い獣面といえるが、流石にそこまでの度胸――いや無謀を犯す気は、ロンには無かった。


「姉さんに勝てないようじゃ話にならないだろう」

「当然だ。被ったばかりの獣面で、いきなり格上に挑むなこのバカモノが……」


 それを言われてしまったら、ぐうの音も出ない。

 普段のロンならば、絶対にやらなかったことだ。


 だが別に、勝てなくても良いのだ。

 目的は獅子長を倒すことでもなければ、カプラを取り戻すことでもない。


「なあ姉さん、獅子長をぶん殴りたいって思ったことはないか?」


 玉座の前に立ちながら、ロンはそのように問いかける。


「はあ? そいつはしょっちゅう思っていることさ」

「俺はただ、一発あいつをぶん殴れればそれでいいんだ」

「ほほう? あの女はどうでもいいと」

「ああ、どうでもいい、心底どうでもいい」


 むしろ、スッキリ忘れるためにぶん殴るのだ。


「だが、どうにも気持ちが治まらねえんだ。俺がついでに、姉さんの分まで殴ってくるから……」


 と言って、トウモロコシで玉座を指す。


「一日だけその席を俺に貸してくれ!」

「断る!」


 ぴしりとそう言われて、ロンは肩をすくめた。


「そんなに安い席じゃないんだよ! むしろお前が、『絶対にあの女を取り戻したい』とか言うのなら、まだ考えなくもないんだが……」

「はあっ?」


 なんだよそれ……。

 ロンは一瞬、エスカーが何を言っているのかわからない。


「ふふふ、ロンよ……これでも私は乙女なのだ。そういう話に、胸をときめかせないわけでもない」

「…………」


 ヤマネコみたいなことを言う……。

 ロンは思わずげんなりした。

 トウモロコシに視線を落とし、フウと息をふきかける。


「やるならあの女も奪い返してこい。それくらいやってくれないと、私はスッキリせん。それにな……何も牛館の主にならなくとも、獅子長と一戦交える機会はあるやもしれんのだ」

「……なんだって?」


 だが思わぬその意見に、ロンは顔を上げた。


「ふふふ……どうやらお前には、テレビを見る習慣がないようだな。あれは良いものだぞ? 聞きもしないことを勝手にペラペラと喋ってくれる。それで知ったのだが、まもなくセントラルコロシアムが完成するらしい。それでその時に、キングが催し物を開くようなのだ」

「催し物……」

「ああ。まだ金の山羊が使われていないということは、真っ先にコロシアムを『館化』する気なのだろう。そして、それにタイミングを合わせたかのようなイベント……」


 エスカーはぺろりと唇を舐める。


「これは何かあるぞ。ロン、もう少し様子を見てみるんだな」


 ロンは改めて、カプラを連れ去って行った時の獅子長の微笑を思い出す。

 今にして思えばあれは、何かを企んでいる顔だったのかもしれない。


「うむむ……」


 手にしたトウモロコシをじっと見つめる。

 そうしてしばらく、獅子長の腹を探ってみたが、ロンの頭ではさっぱり見当もつかないのだった。

 仕方なく、焼きもろこしの綺麗なところを一口齧る。


「ぐおっ!? うめえっ!」


 そしてビビる。


「だろう? 一本500サヴァナだ」

「ふーん、高えな……って、ふざけんな!」



    * * * 



 それからすぐに牛館を後にしたロンは。


「一日働いてこれ一本ってことじゃねえか……ありえねえよ」


 ブツブツ文句を言いながら、猫館に向けて足を進めていた。


「美味いけど……」


 エランドの口をこじ開け、縦に焼きトウモロコシを突っ込んで無理やり齧る。

 食べにくい。

 オオカミ面も大概食べにくいが、エランド面はさらにひどかった。


――ギャハハハ!


 すれ違う者が、そんなロンの姿を見て笑う。

 そんなに変だろうか?

 ルーリックはわりと格好よく被りこなしていたが、人を選ぶ獣面なのかもしれない。


 ひとまずこれを被っていれば、金の山羊のことで難癖をつけられることはない。

 だが、二度とこの獣面を被る日は来ないだろうとロンは思った。


 まもなく猫館の正門まで来る。

 館を囲む高い塀の上で、数匹の猫が日に当たっている。

 もうすっかり顔馴染で、ロンが館の敷居を跨いでもそ知らぬ顔をしているのだが、今日だけは違っていた。


――プフーッ!


 どの猫も、ロンのシカ顔を見るや否や、猫顔のまま吹き出してくるのだ。

 塀の上で身をよじって笑い転げ、そのまま塀の下に落ちていく。


「笑うな!」


 笑うにしても、せめて人の顔で笑ってくれ。

 小さな手で地面をペンペン叩いてヒィヒィ言っている猫たち見て顔をしかめながら、ロンは別館へと向かった。


 そしてオオカミ面に着替える。

 やはり、こっちの方が落ち着く。


 別館を出ると、今度は本館へと向かった。

 迷惑ついでにテレビを見せてもらおうと思ったのだ。

 テレビは外の世界では当たり前のように使われている装置だが、サヴァナではようやく普及し始めたところだ。


 玄関を入った所で煙草の臭いがした。

 マスターが来ている。

 その臭いを辿っていくと、その先にある応接室から話し声が聞こえてきた。


「あ、ロン、丁度良いところにきた!」

「んあ?」


 扉を開けると、そこにはマスターとミーヤ、そしてヤマネコ婦人がいた。

 三人とも、妙に興奮している。

 壁掛けの薄型テレビもONになっていて、サヴァナで最も人気のあるチャンネルである『ストリートファイトTV』が映し出されている。


「なにやってんだ、おっさん」

「いやぁ、店のことで相談しようと思って来たんだけど、それどころじゃなくなって……」

「ライオン様の記者会見がもうすぐ始まるんだにゃ!」

「重大発表があるんですって。ロンも座って見ていきなさい」

「むむ……」


 婦人に勧められ、ロンはそそくさと席につく。

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