第三十一話 〜成すべきこと〜
部屋の中央で激突する2つの巨体。
「ムオオオオオオオオオ!!」
「ウルアアアアアアアア!!
エスカーは獣人化し、ロンの角をその巨大な腕で掴む。
――ああ、馬鹿さ。
全身全霊で相手の腹部を押しながらも、ロンはどこか冷静に考えていた。
オオカミだった頃とは比べ物にならないパワーと重量。
力ではまったく勝てる気がしなかったあのエスカーとも、今なら互角に渡り合える。
――もうずっとな。
四つの蹄で石床を蹴り、そのまま部屋の端までエスカーを押す。
エスカーの姿は、既に一切の女らしさを失っている。
大木のような手足、岩のような腹筋。
胸についている2つの塊は、もはや脂肪なのか筋肉なのか、それを判別することさえ難しい。
真っ赤に血走った瞳。
大蛇のようにとぐろを巻く黒髪。
オオカミだったころのロンなら、すでに尻尾を股に挟んで震え上がっている。
――ドォンッ!
「モオオウ!?」
だが、今は優位に立っていた。
凄まじい衝撃とともに、エスカーの背が壁に打ち付けられる。
銅鑼のように振動する壁面。
しかし彼女はまだ獣人形態のままでいる。
何故だ――?
ロンは背筋がビリビリするのを感じた。
完全な獣とならなければ、今の俺は押し戻せないぞ――。
そんな確信は間違いなくあるが、それでも怖気を拭い去ることができない。
「コノ……オロカモノガアアアー!!」
館全体を震え上がらせる巨人の咆哮。
エスカーはロンの角を握り直すと、今度は下から持ち上げるように力を込めてきた。
「ウオオッ!?」
すると途端に、前足にかかっていた荷重が抜けた。
下を取られた方が不利になることはルーリックとの戦いでわかっていた。
だから努めて重心を落としつつ角を突き込んだのだが――。
「ンウウオオオオオオ!!」
壁際で動きが止まった所で、獣人形態の器用さによって下手を取られてしまった。
「――グウ!?」
桁外れの膂力。
頭から肩にかけてが浮き上がっていき、全ての体重が後ろ足に集中する。
そしてある時点をもって、石床との間のグリップ力が抜けた。
「ウオアアアアア!!」
エスカーが吠える。
ズンッと地面に衝撃が走り、巨大な質量を伴った一歩が踏み出される。
「――ヌウウウ!」
ロンの堅い蹄が、ずるずると石の上で滑った。
ここが土の上であれば幾分マシだったかもしれない。
だがこの場における地の利は、ロンにとって不利に働いている――。
「ちいっ!」
仕方なくロンは、獣人形態に退行した。
エランドの脚部が、人型へと戻っていく。
やがて足の裏で床材を捕らえ、グリップ力が回復する。
同じく復活した巨人の手で、自分の頭の上の角を掴んでいるエスカーの腕を握った。
上背、腕力、脚力、体重、技術――。
だが、その多くにおいてエスカーが一枚上手だった。
「ムダダアアアー!!」
ロンと手四つの体勢になったオスカーは、その腕を上からぎりぎりと絞りあげながら押し込んできた。
巨大な圧力に、背骨がギシギシと軋む。
すさまじい重圧が全身の骨を突き抜け、今にも館の床が陥没しそうになる。
――ドオオオオオオン!!
二人の周囲に発生した超重力空間は、やがて壮絶な地響きとなって館全体を揺るがしていく。
「女ニ狂ウトハナ!」
野獣の声で雌牛が言った。
「ラシクナイゾ、ロン!」
「ウルセエ!」
そこで鋭く床を蹴って、ロンはエスカーの側面に回り込んだ。
追いかけてきたところをさらに回り込む。
唯一勝っている瞬発力を最大限に生かす――!
「ガアアー!!」
振り下ろされてきたハンマーブローを腕で受け止めつつ、さらに床を蹴って回り込む。
限りなく姿勢を低くして、エスカーの下半身にタックルをかます。
そしてフォールドへと持ち込むべく、渾身の力で持ち上げるが、エスカーは物理法則を捻じ曲げるような踏ん張りでそれに耐えてきた。
――ズガア!!
再度、ロンの背中に打ち込まれるハンマーブロー。
がっちりと組んだ両拳を、天高く持ち上げては全力で振り下ろす。
「――グウウウウ!?」
血反吐を吐いてしがみつく。
そして頭の中が真っ白になるほど力を込めて、ついにロンは、オスカーの全身を持ち上げる――!
「無駄ダト言ウノガ! ワカランノカアアアァァー!」
するとエスカーは、浮いた両足をロンの胴体に絡ませた。
巨人が巨人を持ち上げる格好。
ロンは右へ左へとたたらを踏んだ後、結局は中途半端な横倒しになった。
「モア!」
「ガハッ!?」
即座に上から首をつかまれ、両手でギュウギュウと締め上げられる。
呼吸と血流の一切が止まり、ロンは両目と舌をむき出しにする。
「グエエエ……!?」
薄れ行く意識。
これまでの生涯で最高のバカをやっていると自覚する。
何故こんなことをしているのか、未だに良く分からない。
エランドの獣面を被って猫館を出た時には、こんな戦いを挑むとは考えていなかった。
だが道行く途中で、カプラに関する色んなことが思い起こされてしまった。
無性に心中がかき乱され、そして気づけば、建造中のゴルゴンタワーの近くに立っていた。
そして、初めてカプラと出会った時のことを思ってしまった。
あの月の夜空に舞うカカポの姿を思い浮かべてしまった。
あの時確かに、カプラは生きようとしていた。
生きたいと願い、飛べない翼を懸命に羽ばたかせて、己の運命に全力で抗おうとしていた。
ズキン――。
今までにないほど不快な痛みが、その胸に走った。
そこでようやくロンは、己の運命について自覚する。
俺はもう二度と、あの姿を忘れることが出来ない。
ことある度に思い出して、このジクジクとした痛みを抱えて生き続けることになるんだ――と。
このままではいけないと思った。
この痛みから開放されるために、成さねばならないことがあると思った。
そして道すがらに考えた。
それは一体、何なのかと。
「……ヌグウウウー!」
「フモモモモオオオ……!」
いっそ、このまま絞め落とされてしまえば良いのだろうか。
死にさえすれば、この痛みもまた消えるだろう。
だが、それは求めている答えではない。
それは逃げではなく、単なる諦め。
生き延びることを唯一の勝利と考えるロンにとって、到底受け入れがたい選択肢なのだ。
俺は、俺のために戦わなければならない。
生きるために、勝つために。
何とかしてこの気分をスッキリとさせなければ、生きても死んでも後悔する。
俺は何より俺自身のために、この気分をスッキリさせなければならないのだ――。
それにはどうすれは良い?
答えは単純明快。
今、最高にムカつく野郎をぶん殴る。
それが一番手っ取り早い。
問題はその相手――!
「……グウウ!」
確かにエスカー姉さんは最高にムカつく相手の一人だ。
しかし、それでもまだ足りない。
この末恐ろしい形相の牛女を殴ったところで、この気持ちは全く晴れはしない。
ならば誰だ。
一体俺は、どんな奴を殴ればいい――!
「フオ――!」
瞬間、ロンの脳裏に稲妻のように駆け巡るその姿。
去り際に、気障ったらしい微笑を残していったあの野郎。
ライオンの顔をしたあの野郎――。
あいつだ!
「――ウオオオオオオ!!」
そしてついにロンは辿り着いた。
あいつを殴れば、さぞかしスッキリする!
もちろんあちらに、殴られる理由なんて無いだろう。
はっきり言ってとばっちりだ。
だが俺の方には間違いなくある。
このクソみたいに惨めな気分は、あのライオン野郎を殴ることでしか晴らされないのだ。
恨むなら、あの女を恨め――!
「グオオオオオオー!!」
まだ、ここで倒れるわけにはいかない。
ロンは、生存本能を全開にする。
そして――。
「……フンッ!」
人の姿に戻った。
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