第三十話  〜交渉〜

 牛館――。

 それは館というよりも、城砦に近い。


 総石造りで、張り巡らされた塀の上には尖った鉄杭が無数に打ち込まれている。

 さらに、敷地内のいたるところに有刺鉄線のバリケードが築かれている。

 それらは全て、畑で収穫した農作物を略奪者から守るためのものだ。


 唯一の入り口である正門には、常に二人の牛男が立っていて、近づいてくる者達に睨みを利かせている。

 その門から入ってすぐの所にある石の御殿がエスカーの居室だった。


 どこか中世の城を思わせる構造。

 長い通路に敷かれた赤絨毯。

 玉座のようなその椅子に腰を下ろして、館主の女は焼きトウモロコシを齧っていた。


「うーん……美味い」


 もぐもぐと黄金色の実をかみ締めてうなる。


「実に美味い」


 最近では外の世界の商品も手に入れやすくなった。

 バター、そしてショーユという東国の調味料を塗って炭火で焼いてみたら、これが震えるほどに美味なのだ。


 エスカーはその新商品の試食をしながら、頭の中でそろばんを弾いていた。

 スラム潰しで人口は減ったが、観光収入の増大によって都市の経済は成長軌道に乗りつつある。

 タワー上層に住み始めた富裕層の存在もそれに拍車をかけている。

 だが以前として食料不足が続いている――。


「……ぬふっ」


 雌牛の瞳に、金色の小判がキラリと光った。

 今までは一本100サヴァナ程度で売ってたがいっそ300……いや、500サヴァナはいけるだろうか。

 最近めっきり顔を出さなくなったオオカミ君の、一日の給料と同じ――。


 そんなことを考えてほくそえんでいた時のことだった。


「よお姉さん」


 突然エスカーの居室に、シカ面の男が現れたのだ。


「……んむむ?」


 即座に顔をしかめる。

 外の見張りがすんなり通したということは、馴染みの人物であるはずだ。

 しかしそのシカのような獣面に、エスカーはまるで覚えがない。


「俺だよ、俺」


 と言って男は、長い角の間に挟まっている可哀相な帽子を指差す。


「ぶふーっ!」


 それで正体を知ったエスカーは、たまらずトウモロコシを吹き出した。

 牛館を訪れた男はロンだった。

 エランドの獣面を被ってはいるが。


「あはははっ! おいロン! 何だその頭は!」


 すっかりツボに入ってしまった。

 オオカミがしばらく見ない間にシカになった。

 これは一体どんな冗談だ。


「いつからシカになってしまったのだ! せめてその帽子を何とかしろ!」

「シカじゃねえよ、エランドだ」


 と言ってロンは、帽子をとって角の先に引っ掛ける。

 またもやエスカーは吹きだした。


「あはははっ! ひぃ! 全然似合っとらんぞ! うはははっ!」


 腹を抱え、自分の太ももをバシバシ叩く。


「笑いすぎだぜ。これでも死ぬ気で手に入れたんだ」

「そうかそうか……! ぐふふっ、あははは!」


 気が付けば、ロンはすぐ目の前まで来ている。


「……そいつはご苦労だったな。それで何の用だ? サボりのことなら謝っても許さんぞ」

「いや、そいつはもう諦めてる。というか、もうあの仕事は辞めにしよう思ってるんだ」

「んん? なんだと?」


 笑い転げていたエスカーは、そこで少しばかり気を引き締めた。

 実際のところロンは貴重な人材だ。

 畑番の仕事をしたがるオオカミなどそうは居ない。


 だから正直、辞められると困ってしまう。

 どうにかして思いとどまらせる必要があった。

 まずは腕力に物を言わせて、その後に少しばかりの譲歩を示してやって――。

 そんなことを瞬時に考えるが。


「その代わり、あんた達の仲間に加えて欲しいんだ。こいつは一応、ウシの仲間だからな」


 と言ってロンは、被っているエランド面を指差してきたのだ。


「ほほう……?」


 これはまた意表を突かれたなとエスカーは思う。

 続いてロンの腹の底を疑った。

 絶対に何かある。


「何でまた、そんなことを考えた?」


 続いて思い起こされたのが、以前ロンと一緒にいた女のことだ。

 エスカーもまた、カプラが金の山羊であったという話を耳にしている。

 何か関係があるに違いない。


「今の店から出て行くことになりそうなんだ。嫌がらせが酷くてな。それで姉さんの力を借りたいと思った。俺が手下になる代わりに、店を開けそうな建物を紹介してもらいたい」


 そういう類の話か――。


 イノシシのことまで考えているとは、やけに真面目な用件だと感心する。

 そしてすぐに、その真面目さがさらに疑わしいと感じられてきた。

 ロンという男は、そこまで素直ではない。


「イノシシは何と言っているのだ?」


 当然出てくるその疑問。


「いや、おっさんには話してねえ」


 だがロンはすぐにそう返してきた。

 ますます怪しい。


「お前の独断というわけか。でも何故だ? エランドほどの獣面があれば、ビルの一件や二件、どうとでもなるだろう。上手くやれば館持ちだって目指せるぞ」

「あんまり血生臭いことはしたくないんだ」


 そう言ってロンは肩をすくめてきた。

 それは、いかにも分の悪い賭けに臨んでる者の仕草だった。


「争いごとは嫌いなんでね」


 そこでエスカーは、かまをかけてみることにした。


「よしわかった」

「おっ? マジで?」


 と言って少し間を置く。

 そしてロンの瞳の奥に、ある種の覚悟が生じたことを確認する。


「何だ、随分と簡単なんだな。じゃあ早速他の連中に報告して――」

「ただしひと月待ってくれ」


 そこでエスカーは言葉を遮った。


「今は畑の見張りが不足している。サボりの件はチャラにしてやるから、あとひと月は今まで通り仕事をしてくれ」

「…………」


 みるみるロンの表情が硬くなっていった。

 そしてある時点をもってピシリと音を立て、決定的な亀裂となってその顔に表れる。

 エスカーはニヤリと笑った。


「姉さんも人が悪いぜ……」

「これでも牛館ここの主なのだ。そう不用意なことは出来ん。何をたくらんでいる?」


 そこでついにロンが眼をそらした。

 さらには、角の上の帽子に手を添える。


「お前を仲間と認めることを、みなの前で言わせた後、お前は私に何をする気だった?」


 牛館にはある強固な掟がある。

 それは『牛館の主には構成員の中でもっとも強い者が就く』というものだ。

 そして主への挑戦権は、牛館の一員と認められた者にのみ与えられる。


 ロンが狙っているのはその館主の座。

 そしてその座を狙う理由も、既にエスカーは見抜いていた。


「――もちろん」


 ロンは角の上の帽子をつまんで投げ捨てた。


「姉さんに戦いを挑んだのさ!」


 直後、その姿が一瞬にして膨れ上がる。

 エスカーはトウモロコシを捨てて立ち上がる。


「この……馬鹿イヌがあああ!!」


 やがて巨大な肉塊同士の衝突音が、石の城砦を揺るがす――。

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