第二十六話 〜猫の看病〜
大きなベッドの上、体を起こした姿勢でロンは複雑な表情をしていた。
「うむむ……」
ここは猫館の一室。
クリーム色を基調とした清潔感のある部屋の中、ネコの担架で運び込まれたロンは、ヤマネコ婦人とミーヤに介抱されている。
「ミーヤ、ちょっとガーゼを押さえてて」
「了解ですにゃ」
ミーヤは白のミニスカ看護服、ヤマネコ婦人は深いスリットの入ったショッキングピンクの看護服を着て、それぞれネコの獣面の上にナースキャップを乗せていた。
そしてロンの体のあちこちに出来た傷を洗浄し、薬を塗ってガーゼを当てているのだ。
地面に打ちつけたことでボキボキになっている背骨やあばら骨には、これでもかというほど湿布が貼られている。
「ちゃんとした医者を呼んでくれ……」
「そんなのサヴァナにいるわけないにゃ」
「大丈夫よロン。私、美容形成の知識は豊富だから」
ロンは、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。
「ならせめて、まともな格好をしろ……!」
「これ以上まともな格好があるかにゃ!」
「これでも一番露出の少ない看護服なのだけど?」
もう何を言っても無駄だ。
そう悟ったロンは、黙ってされるがままになった。
ありったけの包帯を巻かれ、折れてもいない右腕を三角巾で吊るされ、実際にひびが入っている左前腕骨に限ってはそのまま放置された。
「これで大丈夫ね」
「お大事にゃ!」
すっかりと湿布臭い包帯お化けになったロン。
そのベッドの脇に、猫面の看護師達が椅子を持ってきて座る。
ヤマネコ婦人が、さも満足げな表情でロンに告げた。
「まずはおめでとうと言っておきましょうか。よくルーリックに勝てたわね」
「……ほぼ死にかけたぜ」
そっちからけしかけておいて何を言うのか。
「ミーヤとの共闘も素晴らしかったわ。生き延びるために力をあわせて頑張る男と女……ああ、なんというエロス! なんというエクスタシー!」
婦人は、そう言って両肩をぶるぶると震わせる。
「あんたの趣味に付き合ってたら、命がいくつあっても足りねえよ!」
「うふふふ。でもねロン、あなたもかなり無用心なのよ。私のミーヤをふっておいて、あんな危ない女と関わるなんて。ルーリックにあなたのことを教えたのは、私なりの警告でもあったの。あれくらい痛い目にあわないと、あなたは反省しないでしょう?」
「……余計なお世話だ。死んだら元も子もねえ」
「その時はその時で、あなたのために泣き叫ぶミーヤの姿が見られたわ」
ロンは背筋がざわめき立つのを感じた。
チラリとみたミーヤもまた、獣面の毛をざわざわと逆立てて戦慄している。
「金の山羊なんか匿ってどうするつもりだったのかしら?」
「……!?」
ロンは慌てて上体を起こそうとしたが、肋骨に激痛が走って出来なかった。
「ルーリックの店から消えた時期、あの変な獣面。だいたい予想はついていたわよ」
「ぐぐっ……。匿うって決めたのはマスターだ」
「でも、あなたも男なんだから、少しくらいは下心があったんでしょ?」
「ねえよ!」
「あらまあ、一体どんな聖人君主よ……。美女を抱ける上に願い事まで叶うって言うのに」
「どっちもまるで興味ねえな」
「変な男。じゃあなんで、二度もあの女を助けたの? デートにまで付き合っちゃって」
「うむむ……」
言われてみれば確かに、きちんとした理由は無かった。
ただ、何となくその場の流れで助けたり付き合ったりしてしまった。
「なるほどね……ウフフフ」
と言って婦人は、一人でなにやら納得する。
「サヴァナには、ああいう獣もいるのね……」
そして、何かを思うようにして遠くを見つめるのだった。
「どういうことだよ」
「ロン、少しショッキングなことなのだけど、聞いて欲しいの。あのカプラという女は、これまで色んな名前を使って男達を篭絡し、そして破滅させてきた、まさに悪女だったのよ」
「そんなもん、薄々気づいてたよ」
だがヤマネコ婦人は首を横に振る。
「貴方が想像しているようなものではないわ。私も、彼女に関する情報を洗ってみて驚いたもの。一番古い情報は今から7年前。彼女は13歳の時には既に、先代獅子長のハーレムに入っていた……」
「……は?」
ロンは一瞬、自分の耳を疑った。
カプラから聞いた話とは、かなりの食い違いがあったからだ。
確かエルフタワーの展望室でカプラは『13歳の時に屋敷を出て、いずこかに保護された』という趣旨のことを述べていた。
そして獅子長のハーレムに入れられたことは、保護されたとは言えない。
先代のような粗暴な人物であれば尚更だ。
ならば、あれは嘘だったのか。
いや、間違いなく嘘だったのだろう。
ヤマネコ婦人の情報が正しいのだとすれば、それは気分の良い話ではけしてない。
恐らくは、あの場の雰囲気を穢さないために装飾されたものだったのだろう。
婦人は続ける。
「そして先代の獅子長が倒されてからは、サヴァナ中の魔窟を転々としている。そして、そこの有力者の愛人関係になっているのよ。たった13歳の小娘が、闇の世界に生きる権力者の心を、見事に掌握していた。これはちょっと、凄いことだと思わない?」
確かに、想像していた以上だ。
「そうだな……そこまでだとは思わなかったぜ」
ロンは勤めて平静を保って言うが。
「つまり俺たちは……まんまと『利用された』ってわけか」
その獣面の奥には、忸怩たる思いが沈んでいる。
「そうね。あなた達の良心をうまく引っ張り出して、そこにつけこんだのでしょう。特にあのイノシシさんは、本当にサヴァナの住民かってくらい人が良いから」
言われてみれば確かに、金の山羊になった者が身を寄せる先として、あの店はこの上ない場所だったかもしれない。
そして恐らくあの女は、俺の姿を見た瞬間にその可能性を見抜いた――。
やがてロンは、そのような考えに至る。
「むうう……」
俺の背の上で恐怖に震えていたことも、地下水路で見せたあの追い詰められた表情も。
何もかも、計算しつくされた行為だったのか――。
そう思うと、もはや怒りさえ湧いてこなかった。
底無しの穴を覗くような虚無感に、ただ支配されるのみだ。
「とにかくあの女は、あなた達の手におえる相手じゃない。だからきっぱりと忘れてしまうことね。もう会うこともないでしょうし……」
「……ああ?」
不穏な予感がロンの胸をよぎった。
そう言えば、マスターとカプラは結局どうなったのか。
「あいつは今どうしている?」
「館の一室を貸してあるわ。イノシシさんも一緒よ。あの人、随分と彼女のことを気に入っていたのね。連れて行かれる瞬間まで一緒にいるんですって」
「連れて行かれる?」
「そうよ。キングが連絡を入れてきたわ。すぐに迎えに行くって」
――ドクン。
その言葉に、ロンの鼓動が大きく脈打った。
理由は良くわからなかった。
ただ身の内に潜む獣が、獰猛な牙を剥いている。
「そろそろかしら……」
ヤマネコは懐中時計を取り出して、時刻を確認する。
「出迎えの準備をしなければ……。ミーヤ、あとはお願いね」
「わかりましたにゃ」
それだけ言い残すと、婦人すみやかに部屋から出て行った。
二人きりになるロンはミーヤ。
少女は先ほどから殆ど喋っていないが、カプラが金の山羊だったことを知ってどう思っているのか。
ロンは、まったく気にならないわけでもなかった。
「どうして教えてくれなかったにゃ?」
ややあって、すねたような口調でミーヤが言う。
「どうしてって……」
しかし、上手い言葉が見つからない。
自分でもよくわからないのだ。
ただ、話してもロクなことが無いという予感がしただけで。
「知っていたら、ミーヤにも何かしてあげられることがあったにゃ」
「……は?」
カプラのことが嫌いだったのではなかったのか?
ロンは意外に思うが。
「ロンとマスターは、カプラに良くしてあげようとしたんだにゃ」
「そう……なるな」
あくまでも結果的にではあるが。
「だったらミーヤは、別にそれで構わなかったにゃ。ロンとマスターが何だかんだ言って優しいこと、ミーヤは良く知ってるにゃ。そんな二人がミーヤは好きなんだにゃ」
「む……」
改めてそう言われ、ロンは柄にもなく照れる。
「ミーヤは、ヤマネコ様が言うほどにカプラが悪女だったとは思えないにゃ。昔はともかく、金の山羊になった後は……普通に辛かったと思うんだにゃ」
目の前に確実な死を突きつけられて、それでもなお自分を欺き続けられる者は少ない。
誰であれ、自分自身の本質と向き合わざるを得ないだろう。
山羊になる前のカプラが、何を目指して生きていたかはロンにはわからない。
ただその目標が、山羊になったことで失われたのは間違いないことだった。
その際に生じた感情は、『絶望』の二文字をおいて他には無かっただろう。
つまり、あの日の夜に、カプラがロンに対し抱いていた思いとは――。
「……お気の毒にゃ」
ミーヤはそう言うと、珍しくしょげた顔をした。
事情を知らずに暴言を吐いてしまったことを後悔しているのか、カプラの身の上に共感して憂鬱になっているのか。
その中身まではロンにはわからなかったが。
だがカプラの事に関して言えば、一つだけはっきりとしている事実がある。
もう本当に、してやれることは何も無いのだ。
「……ああ?」
ロンは、自分で自分の心の動きに驚いた。
俺は、あの女に何かしてやりたいと思っているのか。
助けたがっているのか――。
「どうしたにゃ?」
「…………」
短く息を吸って吐き出す。
大きく吸うと肋骨が痛い。
しかし、それ以上に胸のど真ん中が痛かった。
俺はあの女を失いたくない?
何故?
あの女が篭絡してきた数多くの男達のように、俺の心も、あの女に支配されているというのか?
いやそんなはずは無い。
それは間違いなく確信できた。
カプラを助けた後にどうしたいのか?
何のために助けるのか?
その問いに対する答えが、この胸の中にはまったく存在しないのだから。
俺はあの女に何一つ望んではいない。
ロンは改めて、その事実を確認する。
その上で自身に問いかけた。
ならばこの気分は一体なんなのか――と。
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