第二十四話 〜夕暮れの決着〜

 それからはひたすら我慢比べだった。

 ロンがルーリックの攻撃を誘い、ミーヤが後ろからそれを妨害する。

 その絶え間ない繰り返しである。


 ルーリックは状況を打破するため、様々な試みを行ってきた。

 エランド形態になり、その瞬発力で横にミーヤを引き離しつつロンに迫る。

 

 しかしロンは後方に、ミーヤは斜め前に。

 それぞれ真っ直ぐに移動して、挟み撃ちの状態をキープする。


 標的を変えてミーヤを追いかけようものなら、ロンに対して背を向けることになる。

 そもそもエランドの角は、猫のような小動物を狩るには向いてない。


「ヌオオオオオー!!」

「……ハアッ!」


 角による突撃攻撃も、何度も繰り出されるうちに見切ってしまった。

 下手にかわすより、組み付いてしまった方が対処が楽なのだ。


 ロンが角に組み付くと同時に、ミーヤがルーリックの尻に齧りつく。

 さらにはその背中を駆け上がって、目や喉を狙う。


 どこまでもネチネチとした、陰湿な攻撃。

 じれたルーリックは、幾度かその巨体でロンを押し潰そうとした。

 ロンは必死に草むらを転げ周り、泥をひったくって相手の顔に投げつけ、出来ることを全てやってその猛攻を凌ぐ。


 一度だけ掴まりマウントを取られたが、そこにすかさずミーヤが飛びかかった。

 ルーリックの角をギーギーと引っ掻いて、極めて不快な振動を、直接脳髄に叩き込む。

 たまらず彼が手を上げたところで、ロンはオオカミに変化して抜け出した。


 戦うほどに、有効な戦術を編み出していった。

 そんなことを数時間にわたって繰り広げた結果、二人はついに、相手の戦意を根こそぎ奪い尽くすことに成功したのだった。


 辺りが夕日に染まる頃には、ルーリックは獣化さえ出来なくなっていた。


「ハア……ハア……出直してくるかい?」

「バカを言え……」


 ロンの身体は打撲によってあちこち腫れ上がり、至る所に出来た裂傷によって灰色の毛が赤黒く染まっていた。

 ルーリックの白スーツもすっかりボロボロになり、土と草汁で汚れている。


 ミーヤは頭に大きなたんこぶ、そして右肩に角の一撃による裂傷をつくっていた。

 ルーリックは苛立たしげに時計を確認すると、ちらりと周囲を見渡した。


「……手下の奴らは来ないのかよ」


 恐らくは、手を出すなと言ってあるのだろう。

 いつまでたっても応援が来る様子は無い。


「あんたが死んで……ぐうっ……喜ぶ輩もいるんだろうな……」

「だったら何だと言うのだ、グフウッ……お前達に私を倒すことは出来ん!」

「アンタにだって……ハアハア、俺達を倒すことが出来ないんだ……ゲフウッ」

「そんな……ボロボロの姿で良く言う……ゲホッ、ゲホッ」


 ロンは獣人の形態で、ルーリックは人間の形態で、それぞれ間合いを詰めていく。

 その背後から片足を引きずって忍びよるミーヤ。


「強がってんじゃねえ! もう獣にもなれねえじゃねえか!」


 一歩半の距離のところで、ロンから先に攻撃を仕掛けた。

 まるで腰の入っていない右ストレート。

 難なく掌で受け止められるが――。


「ふにゃあー!」


 タイミングを合わせて、ミーヤが膝の裏側を蹴り飛ばす。


「あぐぅ!?」


 ガクンと軸足が折れて、その場に膝をつくことになる。

 即座にロンは左フック。

 ガードしつつたたらを踏んだルーリックの横腹を、さらにミーヤが蹴り飛ばす。


「……うおおっ!?」


 完全にバランスを崩したルーリックは、ついに地面に横たわった。

 全身に負ったダメージは大したことはない。

 ただ疲れ果てて気力が萎え、踏ん張りが利かなくなっている。


「ま……まだだっ!」


 だがその体勢から、ルーリックは水面蹴りを繰り出した。

 体操選手のような身のこなしで、瞬時に2発の蹴りが放たれる。

 地を薙ぐような一撃が、同じく疲弊しきっているロンとミーヤの足をすくう。


「ぐおっ!」

「にゃあっ?」


 バタバタと同時に倒れ込む。

 そして三人とも、なかなか立ち上がらない――。


「ああ、もううんざりだ……」


 青ざめた顔で先に起き上がったのはルーリックだった。


「君達のしぶとさには恐れ入ったよ。ハァ、ハァ……。そのしぶとさに免じて……フウ……あと一日だけ生かしておいてやろう……」


 何とか威厳を保ちつつ、よろよろ立ち上がって土埃を払う。


「明日、部下達とともにお前達を迎えに行く……けして楽には死なせんぞ……けっしてな」

「そりゃあ……まいったな」


 そこでロンは、一世一代の大嘘をぶちかました。


「じゃあ……さっさと外の世界に逃げちまうか……あの女と二人でよ」

「……!?」


 するとルーリックの形相が、再び凄まじいものへと変化した。

 その可能性をまったく考慮していなかったようだ。


「外の世界に駆け落ちだぜ………へへっ……へへへ」

「ぬううう〜〜!!?」


 ルーリックは、カプラが金の山羊であることを知らなかった。

 挑発は完璧に成功した。


「……ニャ゛!?」


 ついでに言えは、ミーヤも凄い顔をしていた。


「き……さまぁぁぁああああああー!!」


 ルーリックの首筋から、再び獣毛が湧き出てきた。

 ザワザワと全身が怒りに脈打って、あっという間にエランド形態に移行する。


「ドコマデ人ヲオチョクレバ気ガ済ムノダァァァアアアアー!!?」


 鼻息を荒げ、炎のような瞳をロンに差し向ける。

 角を前方に押し出して、力任せに突っ込んでくる。


「……頼むから人の言葉で喋ってくれ」


 そのルーリックの怒りに、ロンは機敏に反応した。

 素早く立ち上がると敵に向かって拳を突き出し、咆哮とともにありったけの気力を搾り出す。


「いい加減飽きたぜその攻撃!」


――ウオオオオオオオオオオオン!!


 0.1秒でオオカミに変身。

 これまではかわしたり組み合ったりしていた角の突撃に対し、上から飛び込んで行く。


 いままで絶対にやろうとしなかった動作。

 それは危険過ぎるという理由の他に、それこそが最後の突破口だったからだ。


「ウゲグゴオオオオオオー!」

「グルアアアアアアー!」


 牙と角が交差する。

 上から飛び込むロンに対し、下からしゃくりあげるルーリック――。


――ギャギギギギギギギ!


 火花を散らす勢いで牙と角が擦れる。

 そのままエランドの頭は上に、オオカミの体は下に、それぞれ突き抜けていく。


「これで――!」


 ロンの位置からは、エランドの喉笛が丸見えだ。


「終わりだ!」


 しかし、ロンはあえてそこを狙わない。

 ルーリックの顔面、それも鼻の先に飛びつき――。


「フングウウウウウ!?」


 大きく口を開いて、エランドの上顎と下顎に牙を突き刺したのだった。


 さらに全身を相手の顔に絡ませて、きつくその鼻先を締め上げる。

 鼻孔と口腔の両方を塞がれて、ルーリックは完全に窒息する。


「ングウーーー!!?」


 慌てて首を振り回すエランド。

 さらには鋭く振り下ろして地面に叩きつける。


――グシャ!!


 生々しい肉音が響く。

 ロンは背中から激しく地面に打ち据えられるが、けしてその牙を離さない――!


――グチャ!

――ゴシャア!!


「〜〜〜〜ッ!!!」


 さらに二度、三度と、地面に叩きつけるがロンは音を上げない――!


「ギュフーーーーー!!」


 ルーリックは目を血走らせながら、全身に残った酸素をかき集めた。

 そして、死力を振り絞って跳躍。

 鼻先に組み付いた狼を叩き潰すべく、全体重、全筋力をもって振り下ろす。


 全力で頭から地面に突っ込む――!


「ガアアッ!」


 ここぞとばかりにロンは、その鼻先から跳躍――。


「――!!?」


 もはやルーリックに、自らの動きを止める術は無かった。

 己の巨体が生み出す落下力と筋力でもって、下顎から地面に突っ込んでいく。


――グシャァアアア!!


 直後、土砂が数メートルにわたって巻き上げられた。

 大地にクレーターが刻まれる。

 エランドの頭部は、その殆どが地中に埋もれる。


「グ……フゥ……!」


 まさしく自滅。

 怒りによって我を忘れた者の、見事なまでに哀れな最後であった。

 まもなく意識を失い、人の姿へと戻っていく。


「は……はあ……」


 ロンは地面に転がったまま、その様子を見届けた。

 全身の骨が悲鳴をあげていた。


「は……ふ……」


 自らもまた人の形態に戻り、細い呼吸を繰り返す。

 深く息を吸うと、あばら骨が砕けてしまいそうだ。


 しかしまだ、勝利の余韻に浸るには早い。

 ロンは周囲への警戒も怠らなかった。

 獣面をめぐる戦いにおいて、激闘を制した直後ほど危険な時間はないのだ。


 しかし――。


「ロンー!」

「ぐええええっー!?」


 そんなことはお構いなしに、ミーヤが懐の中に飛び込んできた。


「良かったにゃ! 生きてるにゃーー!」

「あ、あがが……!?」


 全身に走る激痛で返事もできない。

 ミーヤはロンの顔を覗き込むと、血と泥と汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、さらにぐちゃぐちゃに歪ませながら言った。


「カプラと駆け落ちしてもいいにゃ……」

「……あ?」

「ロンが生きててくれれば……ひぐっ、ミーヤはそれで、ぐすっ……十分にゃ!」


 そしてロンの胸に顔を埋め、大声で泣き始めたのだった。


「ば、ばかやろう……ブラフだよ……」

「ふええぇぇぇーんっ」


 そこでようやくロンは、ミーヤが心底自分を心配して駆けつけてきたのだと知った。

 先ほどまでの共闘によって生じていた連帯感もあり、不覚にもその体を抱きしめたい衝動に駆られる。


 だがすぐに、それもまたヤマネコ婦人の姦計のうちなのだと気づく。

 そして、三度うんざりとした気分に襲われるのだった。


「まあ、ともかく……」


 だから今は、その頭に手を置くに留めておく。


「助かったぜ」


 死闘を終えた戦士たちの姿を、暮れゆく夕日の赤が照らしていた。

 激しい戦いのために、すっかり毟れてしまった芝生。


 重なり合ったの二匹の影が、その上にどこまでも伸びていった――。

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