第十九話 〜展望室にて〜

 エルフタワーはキング、フェンリルと続いて3番目に建てられた超高層タワーである。

 地上高260m、51階建で、サヴァナシティでは2番目に高い。

 下から見上げると首が痛くなるほどの威容だ。


 1~20階部分はサヴァナ民に対して完全に解放されている。

 しかしその警備は厳重で、如何わしい営業を行なう者がいれば直ちに摘発される。


 21階~40階は、外の世界からきた観光客向けの特別区域になっている。

 商業施設とホテル、そしてオフィス区画が備えられ、外の世界から進出してきた建設業者の支部や、サヴァナ発祥のフードチェーン『ゴリザラス』の本部などが入居している。


 41階より上は恒久滞在者向けの居住区で、サヴァナ世界に満ちる不死力の恩恵を受けにやってきた富裕層によって利用されている。

 サヴァナの住民が入っていけるのは通常20階まで。

 しかし、許可証の発行を受けた者はその上の40階部分まで利用することが出来る。


 そしてどういう理由かカプラは、その許可証を持っていた。


「うむむ……」


 38階にある高級レストラン。

 ロンは、白いテーブルクロスで飾られた席について、皿に載せられた特大ステーキを凝視していた。


 高い天井には金の燭台が輝いて、店内にいる客はみな高価そうなスーツ、もしくはドレスを着用している。

 獣面をつけている客は、ロンとカプラを除けばたったの一人。

 窓際に座っているスーツ姿のゴリラだけだ。


「どうしたの? 約束のお肉よ?」

「落ちつかねえ……!」


 つまり、二人は酷く浮いていた。

 カプラの服装ですら、ドレスコードのギリギリである。

 彼女が目を見張るほどの美女でなければ、恐らくは通してもらえなかっただろう。


 このような状況では、流石のロンも萎縮せざるを得ない。

 さっきから辺りをキョロキョロと見回してばかりだ。

 どうしてこんな所に連れてこられたのか、さっぱり訳がわからない。


「あんた、一体何者なんだ。どうしてこんなところに入れる?」


 何となく答えがわかっている質問だが、ロンは聞かずにはいられなかった。

 自分達がカプラの正体を知っていることを、彼女自身に気付かせないためにも。


「前に働いていた店のオーナーがくれたの。まだ有効期限内だから使っちゃおうと思って」


 するとカプラはあっさりとそう告げてきた。


「でも、その店の名前は言えないんだな?」

「ごめんなさい……。でも、知らない方がきっとロン達のためになると思うから」


 おいおい勘弁してくれ――。


 ロンは胸中で呟く。

 カプラの容姿、そして歌や踊りの才からも、彼女がかなりの店で働いていたことは間違いない。


 もしかすると相当ヤバイ場所なのかもしれない。

 だとすれば店名を明かしたくないのも頷ける。

 自分達がうっかり他人に口を滑らせでもしたら大変だからだ。


「別に良いよ。いまさら知ったところで、どうにもならねえ」

「ありがとう、二人に信じてもらえた私は幸せ者よ」


 その言葉は、現状を取り繕うものでしかないことをロンは知っていた。

 金の山羊になってしまったカプラに未来はない。

 今日のデート資金は、彼女が持っていた櫛を売ることで得た。

 ロンにはその行為が、この世界を去る準備にしか見えないのだった。


 だが、けして同情はしない。

 それよりも今は、目の前のステーキをいかにして食うかということの方が重要だ。

 ロンは改めて、特大の肉を凝視した。


「好きなように食べていいのよ?」


 と言って楽しげに微笑むカプラ。

 ロンは出来ることなら手で鷲づかみにして食らいつきたいと思った。

 それがオオカミの誇りというものだからだ。


「……ふん」


 だが、ロンはあえてフォークを手に取った。

 そして自分達の方を物珍しげな目でチラチラ見てくる、外の世界からやってきた紳士淑女達に睨みをきかせた。


「せっかくだ……ここはお行儀よく食ってやるよ」


 そう言って勢い良くステーキに突き刺すと、気合を入れて獣人化した。

 そして本物のオオカミの口となったところに肉を押し込み、そのまま豪快に食いちぎる。


――クスクスクス。


 周囲から笑い声が響いてきた。

 彼らの目は、まさに檻の中の珍獣を見るようだ。


 しかしロンは、まんざら悪い気持ちでもなかった。

 そしてあいつらは何も知らないのだと、肉に噛りつきながら思うのだった。


 自分は今、金の山羊に肉を食わせてもらっている。

 こんな経験をした人間は、古より続くサヴァナの歴史の中にも、そうは居ないだろう。


 金の山羊は、あの獅子長ですら手に入れることに苦戦する存在。

 しかもとびきりの美人――別に関心はないのだが――ときている。


 このことを外の世界の常識に当てはめれば、あの連中が良く口にする『勝ち組』という言葉が、まさしく該当するのではないか?

 荒々しく肉に食う姿を見せつけながら、ロンはそのような獣性を胸の内に滾らせるのだった。


「うふふ、美味しい?」


 まるでペットにエサを与える主人の目。

 しかしそれで一向に構わなかった。

 肉を食っているのはこちらであり、そして焼いた肉は、自分を幸せにしてくれる数少ないものなのだから。


「ああ、こんなに美味い肉は初めてだ」

「よかった、これで少しでも恩返しになればいいんだけど」


 そう言ってカプラは、心底嬉しそうに微笑むのだった。



 * * *



 肉を食べたあと、ロンはカプラに付き合って40階まで登った。

 その途中でカプラはいくつかの店に立ち寄り、服やアクセサリーなどを見繕っては、似合うかどうかとロンに聞いてきた。


 ロンは無愛想にそれに答えた。

 特に楽しくはなかったが、肉を食わせてもらった分は付き合ってやろうと思ったのだ。


 エルフタワーの40階には、その上の階に昇るための専用エレベーターがあり、ヒョウの獣面を被った数名の警備員によって守られている。

 店舗は殆ど入っていないため間取りは広く、一面には大きな窓があって、そこからシティの全景が見渡せた。


「……遠くからだと、大抵のものは綺麗に見えるっていうけど」


 二人窓辺に立ち、眼下に広がるサヴァナの街並みを見下ろす。


「こうして見ても汚いわね、この都市まちは」


 タワーの周辺だけは、比較的小奇麗な建物が並ぶものの、一歩外れれば、そこはゴミゴミとしたスラム地帯。

 ねずみ色に薄汚れたバラックの群れは、高い場所から見下ろすとまるで産業廃棄物の山だ。


「あんなところに緑地が出来ている……」


 言われてロンは、少し遠くに目を向ける。

 都市の中心部、セントラルコロシアムの周囲に広がる平原地帯である。

 そこはキングジョーの方針により、建物を建てることが禁止されているのだが、その一角に、申し訳程度の緑樹が植えられているのだ。


「今の獅子長さんは平和主義者なのかしら」

「それはねえだろ」


 むしろスラム民にとっては破壊神だ。


「そう? 売人を取り締まったり、警備隊を組織したりしているじゃない」

「外から来る連中のためだろう。結局は金さ」


 この街に根っからの平和主義者などいない。

 ロンにはそんな確信がある。

 自らが望む今を手に入れるために、全ての住民が覇を競い合う。

 ここはそんな都市なのだ。


「お金を稼いでどうしたいのかしら。自分のために使っているようにも思えないのだけど」

「何か目標があるんだろうさ。美意識が強い男って話だからな」


 カプラはしばしサヴァナの光景に見入っていた。

 点々と建つ高層タワー。

 それを中心にして広がる市街地、そして歪んだ弧を描く都市の輪郭。

 カプラはまるでそこに、獅子長の美学を見出そうとしているようだった。


「ねえ、ロン」

「ん?」

「ロンにも何か、目標みたいなものがあったりするのかしら」


 と言って、何かを期待するような目を向けてくるカプラ。

 ロンは突然の質問に少し驚く。


「何でそんなことを聞く」


 そしてすぐに質問で返した。


「サヴァナの住民って、大抵が欲望の塊じゃない。ロン達みたいに静かに暮らしている人ってあんまり居ない。だから気になったの。ロンは一体、何がしたくて生きているのかって」


 何のために生きているのか――?

 そう問われてロンは、自分が今までそういったことを一度も考えたことがなかったことに気付く。


「さあな、考えたこともねえ」


 だから正直にそう答えた。

 そして改めて、何故自分はカプラに付き合ってやっているのかと疑問に思った。


「とにかく俺は、今の暮らしが性にあっているんだ」

「したいこととか全然ないの?」

「肉ならいくらでも食いたいけどな」


 どこか間の抜けたその言葉を受けて、カプラはクスリと笑った。

 ロンは言葉を一切飾ることなく、思ったままを口にしている。

 それがどうやら、カプラには心地良いようだった。


 そこでしばらく会話が途切れた。

 二人は黙って窓の外に目を向ける。


 エルフタワーの40階は、ロンにはまったく無縁の世界だ。

 カプラと出会っていなければ一生訪れることはなかっただろう。

 しかしそんな特別な場所に居るにも関わらず、ロンの気持ちはどこまでも冷めていた。


 ただ、先ほどカプラに受けた質問だけが、妙に頭の中で反響していた。

 争い事には興味が無い。

 富も名誉も女も欲しくは無い。

 今の自分に必要なものは、居心地良い棲家と日々の食料、そして何事もなく過ぎ去る時間だけ。


 欲望らしきものといえば、時々無性に肉が食いたくなること。

 本当にそれくらいのものだった。

 

 ものだったのだが――。


「この都市の人たちは、みんな自分の欲のために破滅する……」


 そして再びカプラが口を開く。


「ねえロン、実は私、サヴァナの生まれなの」


 意外な事実だった。

 ロンは横目でカプラの顔を見る。


「生みの親のことはよく知らない。3歳の時に外の世界に売られたから。それから私は、年老いた富豪の屋敷で密かに育てられた。慰みとして、死を見取る者として、その人好みの女に、体の隅々まで仕立て上げられた」


 ロンはやや難しい顔をしたが、基本的には黙っていた。

 カプラの過去については色々あるのだろうと思っていたが、改めて告白されてみると、そこには想像以上の重さがある。


「その人は、私が13歳の時に病気で死んでしまった。私の身柄は財産の一部としてその人の息子に引き継がれたの。でも、その新しい主人は暴力で私を支配しようとしてきた。だから私はそこから逃げ出した」


 サヴァナシティでは人身売買も普通に行われている。

 外の世界からそれ目当てでやってくる連中も多い。

 ロンは、特にその話に心を動かされることはなく、サヴァナでは良くある話だと思って聞いていた。


「保護された後も、私は普通の少女として生きることはできなかった。心も体も、隅々まであの人を喜ばせるために作られていたから。私がこのサヴァナに戻ってきたのは、結局、外の世界では生きにくかったからなの。この街はとても野蛮。法も秩序もない。でも、それが逆に心地よいこともある。私、あの空の不死鳥を見たとき、やっぱりここが自分の故郷なんだって思った。そして同時に……怒りもこみ上げてきた」


 カプラの声はどこまでも静かだった。

 怒りという言葉は確かに発せられたが、それは燃え盛る炎のようなものではない。

 どこまでも澄み切った声で語られる、静かで深い、怒りだった。


 その時のカプラの気持ちを、何故だかロンは、よくわかるような気がした。


「私は、このサヴァナという世界に復讐したいと思った」


 さぞかし憎かっただろう。

 それこそ、永遠にその魂に刻まれるほどに。


 カプラの獣面の奥には、金色の毛が生えている。

 つまり世界に復讐することを望んでいた女は、その挙句、世界の贄とされてしまったのだ。

 もう、何を憎めば良いよかわからないくらいに、多くのものを憎んだだろう。

 絶望の果てに死を考えたかもしれない。


 もしかすると今日の外出は、そのように女の、せめてもの慰めなのだろうか?

 そこまで思い至ったロンは、やれやれと首を振った。

 今の告白は、すなわち遺言――。


「残念だったな」


 もとよりカプラを慰める気などないロンは、冷徹にそう言った。


「そいつは絶対に勝てない相手だ」

「…………」


 カプラはきつく唇を閉じ、沈鬱な表情のまま立ちすくんでいた。

 そのような様子の彼女を前にして、ロンの胸に、またあの釘でひっかくような痛みが走る。


「……む」


 一体、どうすればこの痛みは消えるのか。

 ふとそう考えて、ロンはさらに深い失望を感じた。

 もはや手詰まりであることに気付いたのだ。


 この痛みは、カプラという女を助けてしまったその瞬間に刻まれた、ある種の呪いなのだ。

 育ての親が残していった、この獣面と同じようなもの。

 そして女が、この呪縛を利用してさらなる要求を突きつけてくるのだと感じて、さらなるやるせなさに襲われた。


「ねえロン、聞いて欲しいことがあるの」


 計ったように告げてくるカプラ。


 よしてくれ――。

 直感的にそう感じたロンは、すかさずカプラから目をそらした。

 そして、そんな役割は御免だとばかりに、さっさと背を向けてしまった。


「悪いが時間切れだ」


 カプラがハッと息を呑んだ。

 ロン達が、カプラの正体を知っていることが伝わったのか。

 それとも――。


「肉も食った、買い物にも付き合った、もう帰るぜ」


 それだけ言って、逃げるようにその場から立ち去る。

 そんなロンを引きとめようと、わずかに手を伸ばすカプラ。

 しかしその手には、確実な迷いがあった。


 引き止めるべきか否か。

 多くの矛盾を抱え込んだ、答えのない葛藤。

 伸ばしかけた手の行く先はなく、ただ力なく下ろされる――。


「ひどい男だこと」


 その時。


「……んなっ!?」

「えっ!?」


 気づけば二人のすぐ側に、紫色のドレスで身を包んだ妙齢の女性が立っていたのだ。


「ヤマネコ……!」


 それは他ならぬ、猫館の主だった。

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