第十八話 〜歌声〜

 ヤマネコ婦人が支配する猫館は、本館と別館からなり、『インスタントMEN』のある区画から歩いて10分ほどの位置にある。

 広い前庭と中庭をもつ三階建ての洋館で、ネコ系の獣面を持つ少女ら50名ほどが住み着いている。

 その周囲に広がる無数の家屋にも、ヤマネコ婦人の庇護を受けた住民達が暮らしている。


 まさにネコ達の楽園。

 多くの者がネコの姿になったまま、思い思いの姿勢で日を浴び、じゃれ合い、だらけている。

 そんな猫館の三階、館の中でも最も豪奢な作りの一室に、ミーヤは婦人とともに寝そべっていた。


「にゃあん、ヤマネコさまぁ……」

「うふふふ……」


 透明感のあるレースが幾重にも垂らされた天蓋付きのベッド。

 その上で時折、少女のものとは思えぬ艶声が響く。

 獣面以外に身に纏っているものはない。貞操帯もはずされている。

 婦人の寵愛を受けている最中のミーヤは、その頬をバラのように紅潮させ、熟れた婦人の肢体に己の全てを預けていた。


「かなしいことがあったのかい、ミーヤ」


 婦人は少女の尻を撫でながら問う。

 ヤマネコの獣面は黄色を主体とする斑模様で、その耳は鋭く高く、頬から喉元にかけて長めの毛で覆われている。

 口元を除いた大部分が獣面に覆われているため、婦人の年齢は推測することも出来ない。


「ヤマネコさまは何でもお見通しにゃ……」


 とろんとした瞳の奥に、確かな復讐の意志を光らせながらミーヤは答えた。


「何があったか、言ってごらんなさい」

「……ロンに意地悪されたにゃ」

「まあ、それはいけないこと。一体おまえの何が気に入らないのかしら」


 そう言って婦人は、ミーヤの心を慰めるように、優しくその背中を撫でた。


「それにこの頃、変な女と仲良くしてるにゃ……」

「……なんだって?」


 すると婦人は、その瞳を獰猛に尖らせた。

 ミーヤは婦人の胸元に強く顔を押し付け、追いすがるような声で訴える。


「ロンを取られてしまうにゃ……。ミーヤは自分のものを奪われるのは死ぬほど嫌にゃ」


 婦人はやや遠い所に目線を置き、ミーヤの頭をさらに幾度か撫でた。


「お前は本当にあの男を好いているのだねえ……フフ」


 さえずるように言って、その瞳を卑しく細める。


「その女、少し調べてみようか」

「にゃあ……」


 ミーヤもまた、主の胸に顔をうずめたまま、暗い笑みを浮かべる。



    * * *



 ロンはエスカーより、月に二日の休日が与えられている。

 そして今日がその日だった。

 普段なら夜の8時に起き出すところを、5時間も寝過ごして夜中の1時に目覚める。


「ううん……」


 部屋には僅かに月明かりが差し込んでいた。

 カプラの演奏と客達のだみ声で騒がしかった店内も、閉店時間を過ぎてからは静かになっている。


 暗がりの中、硬いソファーからムクリ起き上がる。

 隣の部屋からにわかに、カプラの歌声が聞こえてくる。



……♪

  その鳥は子豚の声で歌う

  遥か遠く、海の音を聞いて

  孤独な歌が楽園に消えゆく

  ただ独り、救いを待つ者



 奇妙な歌だと思いつつも、ロンはボンヤリとそれを聴いていた。

 悲壮を感じる歌詞ではあるが、曲調はむしろ能天気だった。


 ロンは眠気まなこを擦りつつ、窓際に立って鉄格子の隙間から顔を出した。

 見上げた先には、不死鳥の月がいつものように輝いていた。


「ん?」


 しばらく涼んでいると、何の前ぶれもなく歌声が止んだ。

 続いて隣の部屋から微かな物音が聞こえてくる。

 ロンがそちらに目を向けると、カプラが顔を出してきた。


「ねえロン、夜が明けたら私とデートしてくれない?」

「はあ?」


 突然の誘いにロンは戸惑った。

 カプラの胸の内がわからない。

 確かにあのハイエナ達は始末したが、それでも彼女が金の山羊であることに変わりはない。

 より長く生たいと思うなら、不用な外出は控えた方が良いはずだ。


「なんでだよ」


 ロンはひとまずそう返した。

 即座に断ることは何故か出来ない。


「特に理由はないわ。ただ、お出かけしたいなって思っただけ」


 通りに人影はなく、どこまでもひっそりと静まり返っていた。

 ロンは何も言わずに月夜を睨む。

 何となく、遠吠えしたい気分だ。


 カプラの落ち着き払った態度は、すでに覚悟が決まっていることを意味しているのかもしれない。

 ならば彼女にとっての外出とは、残り少ない人生を楽しむためのものに他ならないのか――。


「むう……」


 そう気づいた時、ロンの胸の奥に、釘でひっかくような傷みが走った。

 それは何とも言えない不快な傷みだった。


 カプラの身を憂いているわけではない。

 そのような感性を身に着ける暇は、ロンの人生には与えられなかった。


 ならば何故、自分はこうも苛立っているのか?

 ロンはひとしきり考えてみたが、結局その理由はわからなかった。


「……肉を食わせてくれるなら、付き合ってやる」


 そして気付けば、そんな言葉を吐いていた。

 OKの返事が来るとは思っていなかったのだろう。

 カプラは意外そうな表情を浮かべる。


「あら、女に食事をおごらせる気?」

「そっちが誘ってきてるんだろう」


 それなりの正論。


「まあ、確かにそうだけど……。でもお肉ねえ、そんなのでいいの?」


 どことなく誘うような口調。

 もっと欲張ってもいいのに――とでも言いたげな素振り。


「肉が一番だぜ。腹が膨れて、気分がよくなって、後には何も残らねえ」

「ふふっ、ロンらしいわね。いいわ、好きなだけ食べさせてあげる。だから付き合って」


 ロンは何も言わずに窓から首を引っ込めた。

 そして帽子を被って、下へと降りて行った。

 外に出てカプラの部屋を見上げると、すぐに歌の続きが響いてきた。


「…………」


 視線を路地に戻す。

 建物の影で、一匹のネコがうずくまっている。

 ネコはしばらくロンを見つめていたが、やがて大きくあくびをすると、足早にどこかへと駆けて行った。


「……ふん」


 ロンはあてどなく歩き始める。

 そして、何故カプラの誘いを受けてしまったのかと、今さらながらに首を傾げるのだった。

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