第3話

「アラン、ナオミのところに、お前を仕えさせてあげることは、できないかしら。」


 そうエリカが言うと、アランの顔が苦痛にゆがんだ。どんなにムチで打っても、こんな顔はしないだろうと思った。


 貴族の女たちが、質の良い従者を殺処分にせずに、秘密裏に使い回すことがあるといううわさを、エリカは耳にしたことがあった。


 ナオミのような女が、そんないやしいまねをするとは思えない。でも、万に一つでも可能性があるなら、アランの望みを叶えてあげたかった。


 ナオミには、もうすでに八人の子がいて、六人が女児であった。今も九人目をお腹に宿している。貴族の女を身ごもらせることができた従者は、臨月まで同じ主人に仕えることが許され、出産と同時に処刑される。殺処分ではなく、処刑によって命をうばわれることは、貴族の女を身ごもらせた従者だけに許される、もっともほまれ高い死に方である。


 ナオミは、従者を自らの手で殺す性癖があった。主人に殺されることは、処刑に勝る名誉である。そのため、ナオミは貴族の女の中でも、とりわけ慈悲深いとあがめられていた。貴族に仕える平民の男たちが、ナオミに恋してやまない、ゆえんである。ナオミの今の従者が、いつ殺されるかわからない。だったら、アランにもチャンスはある。そうエリカは思った。


「エリカ様、わたくしは、そのようなことは望んでおりません。」めずらしく、厳しい口調でアランが言った。よほど気分を害したらしい。


「そうね。ごめんなさい。」とエリカは言った。(高貴なお方が、従者に謝罪などしてはいけません。)アランはそう言いたいに違いないとエリカは思う。貴族の女は、孤独なものだ。誰も思ったことを口にしてくれない。


 万が一、ナオミがアランを引き取ったとしても、そんな卑しいまねをする女に、アランは恋をしていない。ナオミは、気高く、賢明なままでいなければならない。


「私が、ナオミのようになればいいのね。それが、お前の望みなのね。」あきらめたように、エリカはアランに言った。


 これからエリカがすることを思って、アランはエリカのために涙を流した。


「いいえ。エリカ様にそんなことはさせられません。」とアランは言った。


 エリカはアランを抱きしめて背中をさすった。


「いいのよ。アラン、いいの。」エリカの絶望で、アランは胸がいっぱいだった。そのことが、エリカにはうれしかった。



 もっとも勇気が要ったのは、最初の一回だった。そのあと、無我夢中でエリカはアランを打ちすえた。「平民の気持ちを理解する」という、エリカの特異な気質は「思いやりの心」の範疇はんちゅうではない。アランの痛みを、エリカは肉体的な痛みとして感じてしまう。そして、その痛みはその場限りではなく、アランの傷がいえるまでは、エリカも共に苦しむ。


 気がつけば、エリカはアランの腕の中で、アランと一緒に横たわっていた。二人とも気を失ってしまったのだった。


 アランが目を覚ますと、エリカはアランの額の前髪を、そっと手でかきあげた。


「ねえ。私の気持ちが、わかるかしら。」ほおを高揚こうようさせて、エリカは聞いた。


 アランは、何も言わずにエリカを見つめた。その目に哀れみの色はなく、代わりに恍惚こうこつとした輝きがあった。


「アラン。私は今、この星で一番幸せだわ。」エリカは貴族の女らしい笑みを浮かべると、アランに口づけた。(アランも、私と同じ気持ちを味っている。)そのことに、エリカの心はふるえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る