第2話

「今日のお茶会はいかがでしたか?」と寝所でアランが尋ねる。


 エリカは、その質問に答えないで、黙ってアランの服を脱がせる。やはり、腹部と背中に新しい傷があった。クギのようなもので、引っかかれたように見受けられる。


「ムチの傷がないのを、バカにされたのね?」とエリカが聞くと、アランはあいまいに笑みを作る。


 寝所に召し上げられた従者が、主人から一度もムチを受けないというのは、恥ずべきことだ。主人がムチをふるうのは、寝所をともにする従者だけで、高貴な者が、わざわざ自らの手で、下働きの者たちをしつけることはない。


 エリカには、貴族の女としては致命的な欠点がある。平民の気持ちがわかってしまうことだ。アランが痛い思いをすれば、自分も痛いと感じてしまう。だから、アランにムチをふるうことができない。


 エリカは、平民の下働きの者たちでさえ、自分を見下していることを知っている。この星では、主人の美しさと教養で、家格が決まる。その下で働く者たちは、家格に応じた待遇を受ける。エリカの社交界での立場はずっと最下位で、それはそのまま仕える者たちの生活に反映される。


 また、エリカには子がいない。貴族の女に子ができない場合、半年で寝所付きの従者が取りかえられる。貴族の女は、成人してから10年の間に身ごもらなければ、社交界から追放され、その女に仕える者はみな殺処分になる。


 アランは、この星で、エリカをあなどらないただ一人の人間だった。貴族の女にふさわしい気質を、何一つ持たないエリカを、憐憫れんびんの情を持ってアランは見つめる。エリカは、この目を愛していた。


 エリカは、アランを抱きしめて、そっと傷をなでる。アランの体がピクリと反応する。まだ、傷が痛いのだろう。アランが痛いと、エリカも痛い。そのことが、エリカには唯一のなぐさめだった。


「私、下働きの女に生まれたかったわ。」エリカがそう言うと、アランはとっさに人差し指をエリカのくちびるに当てた。貴族の女がそのようなことを言うのは許されない。


「アラン、こんなところで、誰も聞いてる人なんていないわ。」とエリカは笑う。


 アランは難しい顔をしている。「そういうふうに、思うものではありません。エリカ様は、高貴なお方なのですから。」


 従者が主人に忠言をすることも、常識ではありえない。でも、エリカがアランを寝所に召しあげてから四ヶ月。二人の間にはこの星では非常識なきずなが生まれていた。あと二ヶ月の間にエリカが身ごもらなければ、アランは殺処分になってしまう。


 アランには、他の平民とは決定的に違う点があった。エリカが平民の気持ちがわかってしまうのと同じように、アランは貴族の女であるエリカの気持ちを理解することができた。アランは、エリカの深い悲しみを、自分のことのように共感できる。


「ねえ、キスしてくれないかしら?」とエリカは言った。


「わたくしがですか?」とアランが困った顔をする。


「ええ。あなたが、私に。」とエリカは言った。エリカの顔が羞恥しゅうちで赤くなる。貴族の女が平民にお願いをするなんて。


 アランは、エリカにそっと口づけをした。


「ありがとう。」とエリカが言うと、アランが悲しそうな顔になった。


 愛しい人から哀れんでもらうのは、なんと甘美なことだろう、とエリカは思った。エリカは、気が狂いそうなほど、アランに恋をしていた。そして、その恋は八方塞がりだった。エリカがどんな身分であっても、かなわない恋だ。


 アランはナオミに、正確には「ナオミのような女」に、恋をしていた。平民の男たちはみな、平民の男を人とも思わない美しい女に、恋い焦がれてやまないのだった。あと二ヶ月しかない命を、ナオミのような女に仕えて全うすることができれば、アランの本望であることを、エリカはわかっていた。

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