Ⅲ 騒霊現象には太古の魔術を

 そして、その夜、準備万端済ませた俺は、カロリアーナ嬢ちゃんのベッドの脇で、異変が起こるその時をじっと静かに待った。


「――ねえねえ、おいたん、何かお話ししてよ」


……いや、静かにというのは嘘だ。誤算だった……すぐに寝ると思い込んでいたカロリアーナがなかなか眠らず、しつこくお話をせがんできたのだ。


「おいたんじゃなくて、お兄さんな。しゃあねえな、んじゃあ一つ、超絶カッコイイ、ハードボイルドな男の話をしてやるぜ……昔々、あるところにカナールという生まれながらにハードボイルドな男がいました――」


 幼子に純真な瞳でお願いされちゃあ敵わねえ。仕方なく、俺は自分の半生をモデルにした昔話をしてやることにする。


「――おじたん……つまんない……ムニャムニャ……」


「そこで、俺はハードボイルドにこう言ってやったんだ…ん? なんだ、寝ちまったのか」

 

 だが、俺のお話がそうとう心地好かったのか? 気づけばすやすやとカロリアーナは寝息を立てて眠っている。


 こっからがクライマックスだったってのに、途中で終わっちまって少々不完全燃焼ではあったが、ま、これでようやく本題の仕事にとりかかれる……と、思った時のことだった。


「……ん? ようやくおでましか?」


 突然、ガタガタと、机やベッド、ドアやクローゼットの扉までがガタガタと揺れ始めた。


「……ううん……あ、キーンが来たよ……」


 その激しい音と揺れに寝入ったばかりのカロリアーナも目を覚まし、寝ぼけまなこで前方を見つめながらそんな言葉を口にする。


「あん? ……っ! これは……」


 その言葉にそちらを覗うと、部屋の中央には何やら黒い煙のような、透けた人影のようなものがいつの間にやら現れていやがる。


「よーし、今だ!」


 だが、そんなもんでビビるこのカナール様じゃねえ。治安の悪ぃ貧民街育ちの俺はそれなりに修羅場慣れしているし、この仕事を始めるに当たり、つい最近はもっと恐ろしい魔物を見たりもしている……俺は今が好機と判断すると、事前に仕掛けておいた魔術的な装置を発動さえることにした。


 俺はすぐさまベッド脇の燭台を手に取ると、床にぐるりと円を描くように並べられた蝋燭へ次々と素早く火を点けてゆく……。


 いや、その蝋燭の明かりに薄闇が照らし出されると、木の床には実際に白墨で大きな円が描かれていて、さらにその円の内にニスでもう一つ円を描くと、その二重の円の間には小さな三日月が余すところなく描き込まれている……本来は水で描かなきゃあいけねえが、それだと長時間持たねえんでアレンジした。まあ、透明な色なら別にいいだろう。


 蝋燭はその三日月のくぼみに立ててあり、また、白墨の円の上には平均した距離を保って麻布で包んだパンの切れ端と、水の入った壺が五つ置いてある。


「これで完成だあっ!」


 蝋燭に火をつけ終わった俺は灰色のジュストコール(※ジャケット)のポケットから白墨を一本取り出し、そのパンの切れ端と壺の置かれた五つの点を結ぶようにして五芒星を描いた。


「う、ウオォォォォ……」


 瞬間、その完成した魔法円は怪しく青色に輝き始め、そのサークルに囲まれることとなった黒い影のようなものは、苦しげな呻き声をあげ始める。


 こいつは魔導書『シグザンド写本』の巻末付録『サアアマアア典儀』に記されている魔法円で、古代異教の僧が用いていた〝ラアアエエ魔術〟とかいうので使われてたものらしい。


 本来、魔導書ってのは悪魔を召喚して使役するための知識が記されたもんだが、こいつはそれを応用して魔物を追い払ったり捕らえたりするのに特化した内容になっている。そのために裏市場でもあんまし人気ねえようだが、俺の仕事にとっちゃあピッタリな代物だ。


「…ウググ……キサマ、何者ダ……」


 と、眺めている内にも黒い影は徐々に凝り固まり、半透明な一人の男の姿になった。


 俺と同じ浅黒い肌に、碧眼の俺とは違う黒い瞳……その粗末な身形からしても、おそらく土着民の奴隷かなんかだろう。


「俺の名はカナール……この世界唯一の怪奇探偵さ」


 不気味なしわがれ声で尋ねるその霊に、俺は片手で三角帽トリコーンをかぶり直しながら、ハードボイルドに決め台詞を口にしてやる。


「そう言うてめえこそ何もんだ? なんでこの家に祟る?」


「……俺ハ、キーン……コノ家ノ使用人ダッタ者ダ……」


 続けて俺も訊き返すと、カロリアーナ嬢ちゃんの言う通り〝キーン〟という名前らしいその霊は、意外なほど素直にその理由を語り出した。


「俺ハ、主人夫婦ニ毎日繰リ返シ折檻ヲ受ケ、最後ニハ殺サレタ……俺ダケジャナイ。ソノ後任ノタンジーノモ、テラーモ、ルシュモ、ミンナミンナ同ジ様ニ命ヲ落シタ……ダカラ、皆デコノ家二取リ憑イテイル」


「なるほどな。確かにパワハラのキツそうな夫婦だったからな。その怨みで仕返ししてるってわけか……」


 カロリアーナの言ってた〝他にもお友達がいっぱいいる〟ってのはそういう意味だったか……長女のダナエラ、長男のロービンの言いかけたことともこれで繋がったな。


「けど、そんなブラックどころじゃねえ屋敷なら、すぐに噂が立って募集してももう人が来ねえだろ? そのわりにゃあ今も使用人はいるようだし、なんかおかしかねえか?」


 だが、少し得心のいかねえところのあった俺は、その疑問について尋ねてみた。


「悪イ噂ガ立タナイヨウ、スティヴィアノハ俺達ノ死体ヲ密カニ海ニ捨テ、周リニハ失踪シタ事二シテイル……ヤツラハ、人ノ皮ヲ被ッタ悪魔ダ……魔術師ヨ、我ラノ無念ヲ思ウナラ放ッテオイテクレ……」


 キーンの霊は質問に答えると、俺のことを魔術師と呼んでそんな頼みごとをしてくる。その話が本当なら、確かに同情余りあるところではあるが……。


「そう言われてもなあ。俺もあんたらをなんとかしねえと金もらえねえし……」


 キーン達が化けて出ている理由を知り、このまま強制的に祓う気も失せちまう俺だったが、その時、またもドン! ドン! と部屋の入口のドアが鳴った。


「おい! どうなってる! 悪霊は祓えたのか!?」


 だが、今度は騒霊現象ポルターガイストではなく、騒ぎを聞きつけて来たスティヴィアノがドアをノックする音だった。


「チッ…とりあえず今日のところはお開きだ。ちょっと時間をくれ。万事うまくいく方法を考えるぜ……」


 悪霊の風上にもおけねえクソ野郎だが、俺に金をくれる依頼人であることも違いはねえ……俺はやむなく仕切り直すことにすると、魔法円の一角を擦り消してキーンの霊を解放した――。

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