87話それぞれの思い

 ……とりあえず、生きてはいたが。


「馬鹿者! 婚約者とはいえ、皇子を怪我させるとはどういうことだ!?」


 クロイス殿の怒号が響く。


「ご、ごめんなさい!」


「カグラちゃん、殿方を躾けるなとは言いませんが、大衆の面前で吹っ飛ばすのは良くないわ。やるならこっそりやらないと」


「は、はいっ!」


 いや、それはそれでどうかと思うんですけど?

 カグラ、はいっ! じゃないよ。


「アレス様、申し訳ありませんでした!」


「クロイス殿、頭をお上げください。こんなのは、日常茶飯事ですから」


「……カグラ?」


「ち、父上! 違うのだっ!」


「あんまり責めないでやってください。元々、俺とカグラの取り決めで、お互いに手加減はなしとなっているので。あと、セレナがいつもいたからね?」


 例え、どんな怪我をしようとも彼女が治してくれた。

 今更ながら、彼女の才能と努力に驚かされる。

 何故なら、一応クロイス家の魔法使いに治療を受けているが、セレナの方が圧倒的に速い。

 ……宮廷魔道士内で、嫉妬されてないといいけど。

 一応、こっちでもクロイス家でも手は打っておいたけどね。


「そ、そうなのだ……つい」


「そうか……それならば、私が怒るのは筋違いか。ただ、気をつけなさい」


「はいっ!」


「ご心配をおかけしました」


「じゃあ、アレス様。ご飯の前にお風呂に入ってくださいませ」


「ええ、そうさせていただきます」


「お付きのダインさんだったかしら?」


「は、はいっ!」


 ここに入ってから、ずっとガチガチなダインさん。

 ただ、これが普通だろう。

 侯爵家の屋敷の中になど、そうそう入れるものではない。


「貴方もご一緒にどうぞ。アレス様も気が休まるでしょうから」


「い、いえっ! 私ごときが、ブリューナグ家のお風呂に……」


「気にすることはない。アレス様が信頼している方なら、私達にとっても大事なお客様ということだ」


「ええ、そうですよ。緊張するなとは申しませんが、どうぞ普通になさってください」


「あ、アレス様……」


「ダインさん、ブリューナグ家は噂通りの家柄です。貴方が会ってきたにわか貴族とは違います」


「そ、そうですか……わ、わかりました。ありがたく使わせていただきます」







 御者兼付き人となったダインさんと共に、お風呂へ向かう。


 そして、湯船に浸かりながら会話をする。


「いやはや、まさか私が侯爵家の屋敷のお風呂に入れるなんて……良い方々ですね。私の偏見だったのかもしれませんね」


「まあ、珍しいとは思うよ。人は権力や財力を持つと傲慢になりがちだから」


「アレス様は、そんな感じしませんよね?」


「まあね……でも、父上とかもそうだし」


 俺は前世の営業先で、そういった人間をたくさん見てきた。

 無意識に自分を偉いと勘違いして、傲慢に振る舞う方達を……。

 だから、そうならようにしようと思っていた。


「そうですよね。実は、私個人に挨拶に来てくれたのですよ」


「えっ!? 父上が?」


「ええ、息子をよろしくお願いしますって……感激しましたね」


「そっか……」


 父上……貴方って人は。


 忙しいだろうに、わざわざそんなことまで。


 これは、手土産なしでは帰れない。


 少しはマシになって、父上を喜ばせたいよな。





 その後は、ブリューナグ家の皆でお食事会をする。


「皆の者! 我が娘とアレス様は無事に婚約者となった! まだ結婚には早いが、ひとまずお祝いとする——乾杯!」


「「「乾杯!!!」」」


 大きな宴会場のような場所で、三十人ほどで食事となる。


「アレス様! おめでとうございます!」


「お嬢様! 素敵な婚約者ですね!」


「こちらこそ、ありがとうございます」


「そうなのだっ!」


 次々と挨拶に来ては、それを返すのを繰り返す。

 俺もよく、こんな挨拶をしてたよなぁ。

 まさか、自分がされる立場になるなんて……まだ十二歳なのに。




 しかし、最初のクロイス殿の言葉が効いているのか……。


 皆、一言だけ挨拶したら、その後は遠巻きに眺めるだけになった。


「まあ、それはそれで気まずいけど……」


「アレス様?」


「いや、なんでもないよ。少し戸惑ってるだけだから」


「ふふ、みんな嬉しいのだ。アレス様が、ブリューナグ家をきちんと評価してくれたことが……皇帝陛下に直訴したって聞いた時から、お礼をしたいって」


「別に大したことはしてないよ。きちんと仕事をしているのに、評価を得ないのはおかしいと思っただけだし」


 俺は営業マンだったから尚更のことだ。

 こんなに身を削って働いているのに、支援をしない方がおかしい。


「でも、大臣達の反対を押し切ったって聞きましたよ?」


「まあ……奴らが、支援金や食料の輸出を減らそうとか言ってたから」


 奴らは本当に馬鹿だ。

 それをして、ブリューナグ家が滅んだらどうする?

 魔界からの魔物は溢れ、いずれは自分さえも危ういというのに。


「どうしてなのでしょうね? 拙者でも、それくらいはわかるのに……」


「きっと、目の前で起きていないことは考えてないんだよ。それに、全て自分の都合の良い考え方しかできない」


 前世でも、そうだった。

 政治でもなんでも、結局のところ目前まで迫って来ないと何もしない。


「でも、そんな人達が何故上の立場に行けるのですか?」


「そうだね……自分のことしか考えないからかな?」


「へっ?」


「いや、あくまでも俺の考えだよ? 悲しいことに、真面目な人や優しい人は出世し辛いんだと思う。人の気持ちを考えて譲ったり、遠慮したりするから。でも、自己中な人はそんなことは考えない。他人を蹴落とすことも、自分さえ良ければいいと思って迷いなく上を目指すからね」


「た、確かに……言われてみれば」


「もちろん、単純に偉くなって傲慢になったってこともあるけどね。あと、優しさや真面目さを備えつつ、厳しさを持って上に行く人もいるし」


「むぅ……難しいのだ。でも、ためになる話だったのだっ!」


「ああ、私もそう思う」


 クロイス殿が、俺たちの前に座る。


「クロイス殿、この度はありがとうございます」


「いえ、こちらこそありがとうございます」


「父上もそう思うのですか?」


「否定も出来ないと言ったところだ。そして、アレス様に上に行って欲しいものですな」


「……それは」


「申し訳ない。少し酔っているようです……ただ、これだけは覚えておいてください。我がブリューナグ家は、貴方がカグラの婚約者であると同時に、我が家の恩人でもあるということを。我が家は、何があろうとも——貴方様の味方になると」


「……わかりました、ありがとうございます」


 ……つまり皇帝陛下ではなく、俺につくって意味か?


 有り難い反面、少し苦しくもある。


 俺は、どうしていけば良いんだろうか?

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