第6話 拳と剣 ~嫉妬と友情と~

 2日後。カナリアたちは武術大会が行われる広間へと来ていた。そこは中央の闘技場を中心にすり鉢状に観客席に設えられている。

 話によると古代に存在した常設闘技場を模したものであり、オリジナルはこれよりさらに大きい物であったと言う。

 古代の建築物の壮大さもさる事ながら、祭りのたびにこの規模の闘技場を設営する街の人々の熱意にもカナリアは畏敬の念を覚えた。

「普通に考えたら常設にして普段は他の用途で使うと考えると思うんだけど、多分設営もお祭りの一部なんだろうなぁ。」

 カナリアが感想をもらすと、横にいたスイユンが彼女の前へと躍り出る。

「そうなんですよ。カナリアさん!みんな毎年、お祭りと武術大会を楽しみにしているんです。普段喧嘩ばかりしているような間柄の人たちもお祭りの間だけは、進んで協力するくらいなんです!」

 両手をいっぱいに広げ話す。この様に小動物の様なコロコロと変わる表情や仕草を始めは計算づくではと思っていたカナリアだった。

 その為、一度「すごく表情変わるよね。」と質問をしてしまったのだが、それに対し彼女は「そうですか?」と不思議そうな顔をした後、両手で自らの頬を引っ張るような仕草をしていた。それを見てカナリアは彼女の表情は素でコロコロ変わっているのだと思った。

「はしゃぐのはいいけど、そろそろ準備しないとダメよ。」

 アッシュが傍にあった椅子に座りながらスイユンに忠告の様に語る。

 そして愛用の長剣を鞘から引き抜き、事前に係員から渡されていた綿入りの布を刀身に巻きつける。

 武術大会はあくまで祭りの余興であり殺傷を目的としていない。よって参加者は使用する武器にこの様な布を巻き付ける決まりになっていた。

 また格闘術を使う者の同様に手と足の甲に布を巻き付ける決まりになっている。

「今年はなかなかに手練が揃っている様ですな。」

 ワンウが周囲を見回しながら呟く。この街『リート』の武術大会は連合王国の中でもそこそこ知られている大会だ。その為、これまでも腕試しに参加しようとする剣士や武術家は多くいたが、この大会は街の関係者から推薦をもらう必要があるため、多くは推薦人を確保できずに参加を断念していた。しかし今年はあきらかに町の力自慢程度では無いと思われる剣呑な雰囲気をまとう者たちがいる。

「街のお祭りの余興にそこまで本気にならなくてもいいのに。」

 薄赤色の道着の裾を直しながらスイユンが呟く。

「いや~、多額の借金が一回で完済出来るほどの金額が出る大会が、これまで力比べ程度で終わっていたほうがある意味スゴイと思うよ。」

 思わずスイユンにツッコミを入れるカナリア。二人の仲はこの2日で随分親しくなっていた。

 それはカナリアにとってアッシュとの互いに尊重し合う関係とは異なり、年齢としの近い姉妹のような気安さがあった。

 その横でアッシュは口を真一文字に結び、無表情のまま武器を準備する。スイユンたちと行動を共にするようになってからアッシュは元から少ない口数が減り、カナリアとスイユンの会話に入ることは決して無かった。

「ふむ、なるほどな。」

 そんな3人を気にしていないのかワンウは1人で頷く。

 それに気が付いたアッシュがワンウの方を見ると、その視線にワンウは気がつく。

「今回の大会、恐らくアッシュ殿とスイユンの障害となるのは2人。向かいにいる槍使いと格闘術使いですな。そしてあの2人は恐らく同じ人物から推薦を受けている。」

 そう語ると、ワンウは片膝を付き目線をアッシュに合わせる。そして右手の人差指で1人の男を指す。

「街の有力者の1人のウィルバート殿だ。あの者はジョッシュ殿に金を貸してる張本人じゃよ。」

 アッシュの目には掠れてよく見えないが会場の反対側に痩せた男が立っている。その男はワンウたちに気が付いたのか、槍使いと格闘術使いを引き連れ近づいて来る。

「これはこれはリ将軍。今年はご息女が出場されるとか。ぜひとも優勝を目指し頑張って頂きたいところですな。」

 張り付いた様な笑顔で語りかけてくるウィルバートに対し、ワンウも笑顔で応対する。

「いやいや、世間知らずの若輩者ですのでな。ここいらで世間の厳しさを知るのも良いかと思いまして。」

「それはご謙遜を、将軍のご息女にでしして薫陶を受ける愛弟子でしたら優勝も間違いないというもの。ところで、今回は私の友である彼らが出場致します。2人とも腕に覚えの有る武術家でして、私が街の外へ赴く際は護衛を引き受けてくれる頼もしい方たちでしてね。大会で娘さんとお手合わせいできるとよろしいですね。」

 自慢気に胸を張るウィルバートの後ろで男たちは軽く会釈をする。

(相当に強いわね……)アッシュは相手の強さを図るが、その少ない動作の中に隙きが無い事から手練であることを感じる。場合によっては自分より強い可能性もある。

「ところで将軍。次のお住まいはお決まりで?よろしければ今後も現在のに引き続き住める様に手配しても構いませんよ。」

 ワンウたちの住む家はそこそこ広いが屋敷などではない。あからさまな皮肉に「フム」と片眉を持ち上げる。

 その様子に興味を示したと感じたウィルバートは話を続ける。

「今後はあなたが私の下で働いてくれる事が条件となります。条件を承諾していただけるのでしたら、より良い邸宅をご用意することも可能ですし、お嬢様の教育も私が責任を持って面倒見させていただきますが。」

 ウィルバートとしてはこれ以上無い好条件をだしたのだが、それを聞いてワンウは笑い出した。

「いや失礼。思いの外、この老骨を買って頂いて驚きのあまり笑いが溢れてしまいました。だが生憎、私は二君に仕えることが出来るほどの器量を持ち合わせておりませんので、平にご容赦くだされ。」

 ワンウはそう言うと両手の平を合わせ頭を下げる。

「まあ私は気長に待ちますよ。大会中にあなたの気が変わるのをね。」

 ややムッとしてそれだけ言うと背を向け去ろうとするウィルバートにワンウが声を掛ける。

「ほう。ジョッシュ殿に無理な商売を仕掛けさせた時のように、でございますかな?」

 その言葉にあきらかに怒気をはらませ振り向いたウィルバートだが、平静をよそおう。

「あまり商売のことに首を突っ込まないほうが身のためですよ将軍。武芸百般に通づるあなたと言えど、商売は素人だ。」

「確かに商売は素人ですが、亀の甲より年の功と申し、人を見る目は養っておるつもりでございますよウィルバート殿。それに武術についてはあなたは素人だ。そこの2人が果たして我が弟子や友に勝つことが出来るか……。」

 皮肉を挑発で返したワンウに対し槍使いが動く。1挙動で放たれる突き。ワンウは両手を後ろで組んでおり、また避ける気配もない。

 とっさに割って入ったアッシュが剣を下段から振り上げ、槍を払いのける。

「やるな娘。リ将軍の弟子では無いようだが、無用な手出しをするなら……。」

 槍使いがアッシュに向かうと槍を構えたまま、右手を突き出す。

 次の瞬間、裂帛の気合と共に男が地を掛ける。身体を反転させ左手のみで槍を突き出す。通常より遠い間合いでの一撃だがアッシュは辛うじて弾くことができた。

「なかなかの反応だな。試合で相まみえることになるなら楽しみだ。」再び構え直す槍使い。

 それを見ていたウィルバートは短く「戻るぞ」とだけ残し1人背を向ける。それを見て槍使いも構えを解き、ウィルバートに従いその場を後にした。

 先程の一撃に対しアッシュの反応が遅れた。普段であれば間合いがどうであれ身体を反らして避けることができた一撃だったはずが弾くのが精一杯だった。

「どうやら奴の右手に惑わされたようですな。」

 ワンウがアッシュの肩に手を置く。緊張がほぐれたアッシュはゆっくりとワンウの方を向く。

「あの男は右手を突き出すことであなたの意識を右手に向けさせ、その間に突きを放つ事で反応を遅らせたのですよ。」

「でも種が割れてしまえば次は大丈夫です。」

 自分を奮い立てさせるようにアッシュは呟く。

「いや、これも罠でしょう。右手を突き出すことに意識を向けさせ全体への配慮をおろそかにさせるための。」

 冷静に分析をするワンウ。

「ではどうすれば良いのですか?」思わずアッシュはワンウに助言を請う。これまで戦いにおいて他人の指示に従った事はあったが、指南を願ったのは彼女にとって始めてだった。

「あなたの感覚には常人より優れた箇所がある。あるいは……。いやこれは言うまい。」

 ワンウは途中で言いよどむが、その言葉を反芻するように両手を見つめているアッシュに対しスイユンが近づく。

「あの、大丈夫ですか?」

「え!?ええ、大丈夫よ。」完全に不意を付かれたアッシュがシドロモドロに答える。

「良かった、そろそろ時間だから行きましょう。それと……。」

 スイユンがアッシュの手を取り歩き出す。

「さっきは手助けに入れずごめんなさい。わたし準備をしていたせいで動けなかったんです。アッシュさんみたいに早く準備していれば……。」

 前を歩いているので表情は見えないが、スイユンの申し訳無さそうな雰囲気は伝わっていた。

 アッシュは彼女スイユンがカナリアだけでなく自分の事も気遣っていた事に改めて気が付かされた。それに対し自分はカナリアを取られた様な気がして冷たい態度でいてしまった。

 ああ、なんてバカなんだろう。元暗殺者の自分にも気兼ねなく接してくれる彼女カナリアが大切だが、それは友としてであって所有したい訳でないのに。カナリアがスイユンの物になるのではないかと心配していたのだ。

「……ありがとう……。」

 小さくささやくような声でアッシュは礼を述べると、スイユンの手を握り返す。

「……はい。」スイユンも小さな声で答える。スイユンもまたアッシュからどこか近寄りがたい物を感じていたのだが、それが氷解したような気がした。

「2人とも仲良くなれるといいですよね。」

 2人を見送るカナリアがワンウへ話しかける。

「確かに。スイユンもこれまで交友関係が狭かったが、あなた方と出会ってから色々学んでいるようです。……ところで、魔術師カナリア殿。」

 ワンウが居住まいを正しカナリアに問う。

「はい。わたしの調査では間違いないです。と言うか取引自体は公正な物でしたから資料は普通に閲覧できましたよ。」

「左様。問題だったのは閲覧した資料から真実を導き出す事が私にはできなかったと言うことです。」

 どこか自分の無力さを悔しむようにワンウが答える。

「まあ、この件自体は法の許す範囲内でしたが、さっきのやり取りのこと考えると絶対あいつら何か仕掛けてきますよ?」

 会場の主賓席がある方を見つつカナリアが言う。しかし、それに対しワンウは何も答えなかった。


 午前中は予選として、くじ引きで選ばれた相手と戦い、負けたほうが脱落すると言う方式で人数が絞られていった。

 参加者の多くは周辺の町や村の力自慢ばかりであった為、アッシュやスイユンの相手ではなかった。

 結果、予選を勝ち抜き本戦に進んだ4名はアッシュとスイユン、そしてウィルバート配下の槍使いと格闘家であった。

 本戦1戦目の組み合わせはアッシュと槍使い、スイユンと格闘家に分かれた。これは同じ推薦人が推した者同士が当たるのを避けるためであった。

 午後となり早速第1試合として、アッシュと槍使いが始まる。

 会場に入場し武台ぶたいへ上がるアッシュの手には愛用の長剣と長く細い帯が握られていた。

 訝しむ審判や槍使いを前にアッシュは帯で目を覆う様に巻いた。

「それが我が『幻手槍げんしゅそう』の対策か?付け焼き刃の目隠しで対抗する気とはな。」

「付け焼き刃かどうかは試してみたらいいじゃない?試合なんだし失敗しても死ぬことは無いわ。」

 鼻で笑う槍使いをアッシュは挑発する。

「フンッ」槍使いは挑発に乗らず、その場でゆっくりと両手で槍を握り構える。

 同時にアッシュも長剣を手に取る。特に構えることはなく全身の力を抜いた状態の右手で剣を軽く握っているように見える。

 審判が試合の開始を宣言する。同時に槍使いが間合いを詰め、一撃必殺の突きを放つ。高速で放たれる達人の突きはフェイントがなくとも避ける事は至難の業である。ましてに避けることなど不可能と言えよう。

 しかし、勝利を確信した一撃だったが、アッシュが無造作に剣を振り上げると刀身が穂先を弾き、突きはあらぬ方向へと向けられてしまう。

 とっさに突きを止め、引き戻す動作にあわせて槍を横薙ぎに払う。足払いを狙ったその動作もアッシュは軽く跳ねて飛び越える。さらにアッシュは着地と同時に左足を振り上げ回し蹴りを放つ。

 避けるのは不可能と判断した槍使いは身体を右前へ踏み出し右腕をガードするように持ち上げる。2人が交錯し激しい打撃音が響く。しかしアッシュの蹴りは男の腕で防がれた。「くっ」思わずアッシュから呻き声がもれる。よく見ると男は蹴りを防いだのではなくアッシュの足首に肘打ちを行い攻撃を止めていたいのだ。

 アッシュは直ぐに体制を立てなおすが思わず足がふらつく。普通に動ける程度には回復したとは言え彼女の足は負傷してから日が立っていない。その負傷箇所に攻撃を受けたため、引いていた痛みが再び疼くのを覚えた。

 両者は体勢を整える為に一度、距離をとるがすぐさま双方ともに攻撃を仕掛ける。両者の攻撃は相手の隙きを誘う牽制の攻撃。しかしチャンスがあればすぐさま必殺の一撃に切り替えられる攻撃である。その為、互いに気を緩める事が出来ない攻防がしばらく続く。

 このままでは埒が明かないと判断した槍使いが一瞬身を引く。槍の穂先を相手アッシュの中心に向け構える。

 アッシュもそれに合わせ右腕を前に出すように半身の姿勢で構え、剣を大きく振りかぶる。

「しゃァァあっ!!」

 槍使いが気を吐きながら突きを放つ。その速度はこれまでよりはるかに早い。

 アッシュもそれに合わせて振り上げた剣を振り下ろす。いくら速度の早い突きであっても上段から全力で振り下ろした一撃を受ければ大きな隙きが出来きる。その間に一撃を与えれば勝利となる。正に勝利を確信してアッシュは得物を振り下ろした。

 これまででもっとも激しい激突音が響く。そして、必勝を期して振り下ろしたアッシュの剣を弾き、アッシュの身体を貫いた槍が見えた。

 会場にどよめきが起こる。力比べが目的の武術大会で殺傷が起きてしまったのだから当然である。

 一瞬、唖然としていた審判が駆け寄ろうとする。しかし次の瞬間、槍使いは己の槍を引き戻し、再びアッシュの頭部を狙い突きを放った。

 それに反応する様に貫かれていたはずのアッシュも、身体を前方へ倒す様にかがみ突きを避けた。

 先程の一撃は、ほんの僅かであったがアッシュの身体からそれていたのだ。

 正に紙一重の結果を生んだのはアッシュの振り下ろした一撃であった。アッシュは振り下ろしで払えると誤算していたのと同じ様に、男も渾身の一撃がアッシュの打ち込みでずれるとは思っていなかった。

 再びの一撃をかわすことができたアッシュではあるが、避けた際に大きく体勢を崩している。その隙きを見逃さずに槍使いは上段から地面に突き刺す様な一撃を放つ。とっさに身体を捻り避けるアッシュであったが、それにより身体を仰向けにして倒れる結果となった。

 これで止めと槍使いはさらに槍を繰り出すが、アッシュは足を使い僅かに身体をずらしこの一撃も右へと避ける。

 あまりのすばしっこさに息を飲む槍使いが、今度こそと槍を構えなおそうとした時、不自然な抵抗を感じ槍が引き戻せない。

 見ればアッシュが左手で小脇に抱えるように槍を掴んでいたのだ。

 力任せに引き剥がそうと力を込めた槍使いが前傾姿勢になる。それを狙ってアッシュは右足を振り上げた。アッシュの足先は確実に男の顎を捉えており、蹴りを受けた男は堪らずに槍から手を離し2、3歩よろめく。

 その瞬間、槍を支えにし軽業師の様に身体を捻りながら飛び起きたアッシュは素早く剣を拾い上げ構える。

 それを見た男は慌てた様子で右腕をアッシュに向ける。プシュという音と共に、男の篭手に仕込まれていた小さな矢じりがアッシュへ射出される。

 しかしそれを事もない様子で少し首をひねり避け、アッシュは男の肩口に一撃を叩き込んだ。

「まっとうな槍使いだと思っていたけど、同業者暗殺者のようね。」

 倒れる男に声を掛けるアッシュ。

「我が流派には槍術だけでなく暗器術、弓術も含まれる。相手を倒すの全能力を使うのは当然ではないか……。」

 男はそれだけ答えた。試合を見届けていた審判はアッシュの勝利を告げると、係員を呼び槍使いを担架で運び出した。


「やったー!!スゴイよアッシュ!!」

 試合を行った武台を降りたアッシュに駆け寄ったカナリアが飛びつき己の事のように喜んだ。

 そんなカナリアに対し、戸惑いとどことなく気恥ずかしさを感じつつ、アッシュは両目を覆っていた帯を外した。

「本当に凄い試合でした!」遅れてきたスイユンも息を弾ませ興奮気味に話しかけてくる。

「今度はあなたの番よスイユン。しっかり勝って決勝戦で会いましょ。」

 アッシュがスイユンに微笑みかける。これまで人に微笑む事があまり無かった彼女だが、なぜか今は自然と笑みがこぼれていた。

 それを見たスイユンはドキリとする。これまでもアッシュの事をキレイな人だとは思っていたがそれは氷の彫像の様な静かで他者を寄せ付けない感じだったが、今の彼女の表情からは、これまでの印象とは異なる暖かさを感じた。

 しばらく3人で他愛もない話をしていたが、ふとアッシュは気になることを思い出した。

 先程の相手、確かに顎と肩に一撃を与えているが、担架で運ばれるほどでは無かったはずだった。しかし審判はすぐに担架を呼んで槍使いを運び去った。

 審判がなにか企んでいるとは思えない。しかし、何かしらの意図から担架で運ばれるように槍使いが仕向けていた可能性も考えられる。ここは警戒するに越したことはない。そろそろ準備のために武台ヘと上がるスイユンを見送り、自分は席に座ると同時に周囲への警戒のため、全身に神経を張り巡らせた。


 武台へ上がったスイユンはウォーミングアップの為、膝の曲げ伸ばしや軽く飛び跳ねるなどを行っていると、対戦相手であるウィルバートのである格闘家が静かに上がってきた。格闘家の男は武台に立つと瞑想するかのように目をつむり静かに佇んでいた。

 準備の終わったスイユンが武台中央まで進み2人が向き合うと、審判は試合開始を宣言する。

 先程のアッシュたちとは異なり、互いにゆっくりと右拳を少し前へ突き出し左拳をみぞおちの前に配する構えまま動かない。互いに迂闊に動けないままのにらみ合いがしばらく続いたが、先に動いたのはスイユンだった。

 一足飛びに相手との間合いをつめると突きと蹴りの連撃を放つ。基本に忠実な動きであるが、演武の動きの一部を取り入れたその動きは、舞踊の如き流れを感じさせた。また途切れること無い攻撃の中には打点をずらしたフェイントが含まれており、受ける側は流れに任せて受け流そうとしようものなら、たちまちに体勢を崩され大きな隙きを造りかねないものである。

 受ける側もここまで勝ち残った手練である。スイユンの連撃を冷静に見極め、フェイントは避け、狙ってきた攻撃は受け流す。そして受け流す際には攻撃があらぬ方向へと向かうように仕向け、スイユンがバランスを崩すのを狙う。

 お互いに格闘術の使い手として高い能力を発揮する攻防だったが、不意にスイユンが右足を前へ踏み出そうとする。男はその瞬間を見逃さずに足払いを放つ。

 相手の転倒を狙った蹴りはスイユンの足首を捉える。しかし、スイユンはその一撃の勢いを利用し身体を回転させながら飛び上がると、男の頭部を踵で蹴りつける。

 男の背後に着地したスイユンは振り返る。男は頭に受けた一撃に前後不覚となっており、フラフラと立ち上がる。スイユンはその状態を見逃さない。男の右大腿部へ体当たりをする様に掴みかかる。突然の一撃に完全にバランスを崩した男が背後へと倒れ込む。スイユンは倒れそうな男の身体を背中に乗せると、そのまま上体を伸ばす要領で投げ飛ばす。投げられた男はまともな受け身を取れずに後頭部を床に叩きつけることとなった。

「ふっ!」再度、男の方を向いたスイユンは構え直す。『残心』。試合が終わっていない以上、相手に油断をしていない事を示す。


「さすがね。ある種の天才かもしれない。けど……。」

 アッシュが見えにくい目の代わりに音や気配で試合を感じていたが、幾度も戦いを経験した彼女からしてもスイユンの格闘術が高い素質と訓練に裏付けられている事を感じていたが、相手の男から何か違和感を感じる。手を抜いている訳ではないが、まだ手を隠している様な気がすることと、もう一つ何かがある感じがする。

「これまでスイユンが一方的に攻めており、あの男は何も仕掛けておりませんからな。いくらスイユンが我が弟子とは言え、実戦経験においては相手の方が上のはず。手を明かす前に負けてしまうような輩ではないでしょうな。」

 ワンウも男に対する警戒を解かずにアッシュに同意する。

 カナリアはというと、この手の戦いには素人程度の知識しか無いため、「えっ、そうなの??」ときょとんとした顔で2人の会話を聞いていた。


 一方武台上。審判がカウントを始めていた。倒れた者は審判が30を数えるまでに立てない場合は失格となる。

 男は気を失っているのか身体を動かすことが無い。油断せず構えながら男との距離を保つスイユン。己の意識を全て男と審判に集中し、試合が続行になっても直ぐに対応出来るようにしている。

「20!」審判の声が響いた時、男の腕がピクリと動く。それを見逃さなかったスイユンは構え直した。

 その時だった。武台上に何か黒い影が飛び込んで来るとスイユンに向けて迫ってきた。次の瞬間、黒い影が光るものを振り下ろしてきた。(斬られた!)スイユンはとっさに思っい目を閉じた。しかし身体に衝撃も痛みも無い。

 目を開けるとそこには愛用の長剣を手にしたアッシュが立っていた。

 アッシュはスイユンの方を見ずに周囲の気配に気を配っているようだった。

「どうして……?」

 突然の事態に思わず涙を目に浮かべたスイユン。

「あなた、場外から狙われていたわよ。一体何をって、この状況では聞くまでも無いわね。」

 スイユンが足元を見ると2つに斬られてる小さな矢が落ちていた。

「もしかして、矢を切り落としてくれたんですか?」

 高速で飛翔してくる小さな矢を切る。達人でも出来ない様な事をアッシュがしたことになる。

「偶然上手くいっただけ。必要なら身体を盾にする気で飛び出したんだけどね。」

 一瞬、スイユンに顔を向けたアッシュが答える。

「アッシュっ!出口側!」

 武台の端で会場出口の方を指しながらカナリアが呼ぶ。

 アッシュが動いた直後にカナリアも事態を察し、『音叉ソナー』を使い会場内の動きを探り、会場から離れようと動く人物を探しだしたのだ。

 カナリアの合図にうなずき、駆け出そうと踏み込もうとした。その時、再び足に鋭い痛みが走る。先程武台へ飛び込んできたことで完全に足を痛めてしまったようだ。

「あなたは試合に集中しなさい!」

 足をかばいつつも走り出すアッシュにスイユンが何かを言いかけるが、それをアッシュは静止する。厳しい言葉に一瞬萎縮したスイユンだが、「はい」とだけ答え目に溜まっていた涙を拭う。

「絶対に勝ちなさいよ。どんな妨害に有っても戦い勝ち抜いた経験は絶対にあなたの糧になるから。」

 武台を降りながらアッシュが声を掛ける。その声を聞きながらスイユンはアッシュに心のなかで礼を言い、再び格闘家に向き直る。格闘家は立ち上がり、再び構えようとしている。試合は再開となった。


 アッシュと合流したカナリアは一定の間隔で『音叉』を使い相手を捕捉しながら追跡を続ける。どうやら会場にほど近い森林に向かっているらしい。

 アッシュの足を気にしながらも、カナリアは走り続ける。でなければ相手に追いつけないし、何より痛みを伴ってなおアッシュはカナリアより早かった。


 試合が再開し再び2人は向いあっていた。

「なるほど。幼子と思うて油断していたが、本気で行かせてもらおう。」

 これまでほとんど口を開いていなかった格闘家はスイユンに語りかける。見たところ槍使いよりは若い感じであったが、口調はこちらのほうが古い言い回しであった。

 格闘家は左半身に体勢を変えると、弓を構えるかのように左腕を前へ突き出し、右手を鳩尾のあたりに置く。

「我が師より伝授されし奥義『幻華舞手』。貴殿に受けきれるかな。」

 右腕が顔のあたりまで持ち上がり、左腕は緩やかに左右に揺れる。魔術を扱う者ならその時、男の周りに魔力が集中しているのを感じていただろう。

「『幻華舞手』とな。構えからしてもしやとは思っていたが、そうか……。」

 ワンウが1人納得した様に呟く。

「スイユン。時が来たようじゃな。この試合が終われば、新たな旅立ちの始まりとなろう。」

 弟子スイユンを見つめながら再び呟くがその声はスイユンに届いていない。

「はぁぁぁっ!」

 裂帛の気合とともに格闘家は距離を詰め鋭い手刀による突きを放つ。

 素早く反応したスイユンが受けようと左腕を跳ね上げる。2つの腕が交錯したと思った瞬間。スイユンの右腕は何の抵抗もなく格闘家の腕をすり抜ける。驚く間もなく首元に迫った手刀を僅かに首をひねりかわす。いやかわしきれずに首の皮が薄く切られる。腕をすり抜けた手刀が首をすり抜けることはなかったのだ。

 今度は腹部を狙って突きを放ってくる。今度も払おうとした腕をすり抜けてしまい。スイユンはまともに突きをうけ吹き飛ばされる事になった。

 素早く体勢を立て直したスイユンだが、手足の長さでは格闘家のほうがリーチがある。始めに先手を取ったのも互いの身長差からくるリーチの違いを埋める為であったが、今の状況は相手が攻め手であり、かつ相手の攻撃を受けることが出来ない。これでは相手の攻撃を避けることしか出来ず、相手の隙きをうかがいつつ反撃を試みるのは難しい。そんな焦りが彼女の心を少しづつ蝕んでいた。


 森林の中を進む2人の前に、忽然と開けた広間が姿を表す。そこには1人の人物が立っていた。槍使い。先程アッシュの一撃を受けて担架で会場の外へと運ばれていった男。

「やはりあなただったのね。ご同業。」

 アッシュが槍使いに話しかける。

「なに。俺が負けるようなら奴を勝たせるまでのこと。俺たちの目的はお前たちリ将軍の手のものを勝たせない事だからな。」

 無視するかと思われた槍使いだったが、以外にも返答を返してきた。

「今そんな事をべらべら喋っていいわけ?これから決勝もあるのよ。」アッシュが聞き返す。

「貴様が乱入することは想定がだったが、結果的には我々に有利に働いた。理由はどうあれ貴様は試合中の武台へ乱入したことで失格扱いになっている。つまり今行われている試合は実質決勝戦ということになる。」

「あっ。」思わず声をあげるカナリアと悔しそうな表情を見せるアッシュ。それを見た槍使いはさらに続けた。

「そして、あの娘は奴に勝てない。我らの師匠はリ将軍の3番弟子。つまりはあの娘の姉弟子にあたる人物だ。そして奴は師匠から奥義を授かっている。将軍の愛弟子とは言え、あの娘はまだ奥義は伝授されていないようだしな。」

 今度こそアッシュは驚きと焦りの表情を見せる。確かにスイユンが「基礎は全て学んだが奥義は手が出せない」と言っていた覚えがある。

「それで?やっぱりあなたたちの目的はワンウさんを配下に引き込むことって訳?」

 言葉を継げないアッシュに代わりカナリアが槍使いに問う。

「概ねそんなところだが、より正確には将軍にたちの加勢をさせないことだ。」

「ちょっと!?どういう事よ!」突然自分たちが当事者としてあげられた事にカナリアが戸惑いの声をあげる。カナリアがワンウに会いにこの地へ来たのなら分かるが、この街はたまたま寄っただけでであり、逗留も本来なら1日だけだったのだ。

 それなのになぜ自分たちとワンウが出会うことを前提に話が進んでいたのか。

「疑問に思うのももっともだろうが、俺も詳しいことは聞いていない。知りたければ俺の主か、主に依頼した奴に聞くことだな。」

(またか。)依頼主に心当たりがあったカナリアが心のなかで毒づく。公国滅亡後、執拗に狙ってくることからロッソ伯の暗殺部隊か何かと思っていたが、こちらの行く先々に手を回すどころか、関わりそうな人物を調べ上げて罠を張っている。もしや公家を滅ぼす以外に何か狙いがあるのか?公国を滅ぼしたのも過程の1つだったのでは……。嫌な思いが心を支配しようとする。それを振り払うようにカナリアが声をあげる。

「それはともかく、わたしたちを目的にしながら、他人を罠にはめるその行為おこない、万死に値します!!」


(これなら、無理言っても奥義の1つでも教えてもらえればよかったよ……。)

 少しずつ押されながらスイユンは心のなかでぐちった。腹部に受けた一撃以外に、まともに受けた攻撃は無いが、この一撃を受けた所がひどく疼く。そして、反撃の糸口が無いことへの焦りが心を支配していく。

「『幻華舞手』が完成しているのなら、長引けばスイユンにとっては不利。あの技は複数の段階に分かれているが、あの男は限りなく実体に近い幻影を放つ第1段階は習得しておる。その次の段階である相手の気の流れを停滞させる術まで体得しているか……。」顎髭に手を当て1人呟く。

(だがスイユンに第1段階に対応できる技はすでに授けておる。そこに気がつけば勝機はある。)敢えて口には出さずワンウは思いを秘めた眼でスイユンを見つめる。

 その間にもスイユンは相手の攻撃を辛うじて避けながら、呼吸を整え全身の気を充足させようとする。腹部の気の流れが悪くなっていることを感じるが、自己治癒術の応用で気の流れをイメージ。そのイメージに流れが近づくように神経を調律。気の流れがイメージに近づいていくに従い疼きも収まっていく。

 格闘術における『気』とは、魔術師が言う『魔力』と同じ生物の体内を流れる生命エネルギーである(魔素は無生物に宿る魔力に似たものであり、厳密には別物)。

 つまりは卓越した格闘術の使い手は、身体強化などにおいて魔術師のそれと同等のことが出来るのであるが、学問である魔術と異なり格闘術では個人のセンスと修行のはてに得られるであった。

 そして、その才能がスイユンにはある。幾度のもの攻撃をかわしていくうちに、相手の動きが見えてきた。見えてきたなら対処は出来る。そしてこの場合、もっとも最適な武技スキルを師匠から授かっている。

 格闘家の一撃を避けると同時に少し大きく後ろへ飛び退き間を取る。体勢を正面に向け両腕の拳を引き締める。ゆっくりと呼吸をしながら体内の気の循環を確かめる。気が十分に循環していることを確かめ、ゆっくり両腕を前へ突き出す。両腕を交差する様に構え、拳をゆっくりと相手へ向けて開く。

「武技『一輪万花之型イチリンバンカノカタ』。」

 スイユンが静かに自らが選んだ武技の名を告げる。


「なるほどな。己が狙われた事より他人を巻き込むことに義憤を感じるとは。さすがは殿だ。」

 槍使いが感心するように頷く。カナリアを公女と言ったという事は少なくても目標についての情報は得ていたようだ。

「さてその素晴らしい心意気をお持ちの殿下は、この俺を討ち取るつもりであろうが……。」

 おもむろに槍の石づきで地面を叩く。それを合図に彼の周囲の木々の影から人が湧くように現れる。いや、恐らく始めからその場にいたのだが、完全に気配を立っていたのだ。少なくともカナリアに感じ取られない程度には。現にアッシュはその出現に驚いた様子はない。つまりは彼女には始めから感づいていたのだ。

「相手も戦闘状態に入ったけど、どうする?それなりに相手は多いけど。」

 小声でアッシュがカナリアに問う。

「この前話した事、覚えてる?まずは正面の奴らを相手にして。わたしは撹乱しつつ、ね。」

 カナリアの提案に軽く頷くアッシュは、足をかばう素振りもなく槍使いに挑みかかる。そのアッシュに対し槍使いは目を見開き顔中に喜色を浮かべ迎え撃つ。

「さあ、ろうじゃないか。試合おあそびではない本当の仕合ってヤツをなぁ!!」


「我が『幻華舞手』はすでに武芸アーツに至らんとする技。それを武技の基本である型で対応しようとする貴殿は自らの実力が蟷螂の斧であることを知るが良い。」

 格闘家の男はそれだけ告げると一気に距離を詰め、『幻華舞手』の派生である『幻妖脚』『華散覇』『揺朧手』の三連撃を放つ。いずれも己が得意とする技であり一つ一つが必殺の威力を持っている。それを同時に放つのは自らの師の妹弟子である少女へのせめてもの敬意であった。

 一瞬の交錯。次の瞬間に格闘家は驚愕する。三連撃がのだ。

 本命である三連撃は実体のある攻撃である以上、一撃は交わされる可能性は考慮していた。しかし、三連撃全てを受け流し幻影の攻撃を打ち消す。一体何をしたのか?

「チィィっ!」再び格闘家が三連撃を放つ。今度は幻影の数をさらに増やす。

「これ程の幻影を前にすれば、いかな達人であっても見切ることは不可能!」己の操れる限界まで幻影を増やしながら男は思わず叫ぶ。

「見切る必要なんかありません。」

 正面から見据えていたスイユンが静かに呟き、ゆるりと手を振るう。確実に本命の三連撃のみを捉え受け流す。

「『一輪万花之型』は相手の気の流れを捉え受け流す防御の基本。ゆえにわたしは気の流れから実体のある攻撃だけを見極め受け流しているだけです。」

 さらなる攻撃を受け流しつつ静かに語るスイユンに対し男は恐怖を覚えた。気の流れを捉える基本?馬鹿は休み休み言ってもらいたい。気の流れを捉えるまで何年の修行が必要になると思っているのだ。

 しかし目の前の少女はそれを事もなく言いのけ、実践をもって証明している。

 だが負けるわけにはいかない。ここで負けることは己の格闘家としての実力が相手より劣っていた事になってしまう。

 連撃を止めた男は両腕を引き絞ると拳に気を集中し双拳を同時に放つ。『双撲手』と呼ばれる気を操る武技の基本技。単純な技が故に破壊力は高い。まともに受ければ目の前の少女を再起不能では済まない。そう放った拳であったが、スイユン自らの両腕を相手の両腕の内側へ滑り込ませ、外へ向けて双撲手を受け流した。

 勢いのついた両腕の軌道に引っ張られるように棒立ちになった格闘家に対し、スイユンが左足を前に力強く踏み込む。その踏み込みは武台に敷き詰められたタイルが割れるのではないか錯覚させる。右腕を引き絞りながら手のひらを大きく開く。「破ッ!」気合の声とともに突き出した右手の掌が相手の鳩尾に吸い込まれる。

「わたしも基本技で行かせていただきました。」

 ゆっくりと腕を引き構え直し、再びの『残心』。そしてスイユンは静かに話しかけた。

 しかし相手はスイユンの放った一撃『功覇掌』をまともに受け、立った姿で気絶していた。『功覇掌』は『双撲手』を片手で行う技である。しかし拳でなく掌底にて人体の急所を狙う。そのため『双撲手』に比べ威力は劣るが、決めた場合は確実に相手の意識を奪う技であった。


 怒涛の速さで繰り出された槍をかわし、アッシュは愛用の長剣を突き出す。やや無理な体勢から繰り出された突きを槍使いは難なく避けながら、槍を横薙ぎに払う。先程の試合の再演であるが異なる事が一つ。それは足払いを狙った横薙ぎではなく力任せに薙ぎ倒さんとする強烈な一撃。予想していなかったアッシュはまともにくらい弾き飛ばされる。

「アッシュっっ!」思わず叫ぶカナリアに片手を上げて答えながら再び構える。やはりこの男は強い。アッシュは気力を振り絞り長剣を両手で握り正面に構える。

 一方のカナリアは『増幅ブースト』で身体強化を行い、敵の中を駆け抜けながら杖を振るう。ただ振るっているだけの杖だったが、身体強化による力とスピードが合わさることで、通常では考えられない威力になっている。

 男たちも当たればただでは済まない為、迂闊に近づけない。またカナリアは隙きをついて地面に薬瓶を叩きつける。割れた薬瓶からは煙が激しく吹き出し公女の姿を覆い隠す。煙の中で方向を変えたカナリアは、思いがけない方向から飛び出し再び突進する。

 そして槍使いと相対しているアッシュも隙あらば、周囲の他の者を巻き込むような攻撃を仕掛けてくる。あの女は自らを元暗殺者と言ったが、その戦い方は暗殺者のそれではなく正面から多数を相手する戦士や騎士の様な豪快な剣捌きだった。

 槍使いはカナリアの行動に驚きはしたが、自分たちが有利に戦っていると思っている。しかし何か漠然とした不安がよぎった。あの公女は牽制しているだけなのか?ならなぜこの女は本気で打ち込んでこない。試合の時に比べてまるで戦い方が違う。同時に多数の相手に気を配っているからかとも思うが、それにしても攻撃が散発的にすぎる。

 そこで槍使いがある可能性に気がつく。それはある種の虫の知らせだったのかもしれない。「……貴様たち!」思わずアッシュを睨み叫ぶ。

「何か気が付いたようね?」アッシュが澄ました顔で答える。

「衛兵を呼んでいるな?つまりはお前たちが行っているのは時間稼ぎ。」

 周囲に動揺が走る。彼らも衛兵たちに遅れを取るつもりは無いが、それでも大勢と戦うのは手間がかかる。ならばとっとと目的を完遂するべきではないか。

 やおら男たちはカナリアの方へ向う。

「残念。衛兵は呼んでいるけど、わたしたちはそんなに悠長な作戦を立てていないわ。」

 男たちのほぼ中心に立っていたカナリアが答える。そして地面に杖を突き立て、周囲に響き渡る声で詠唱を始める。


 --地の精霊に助力願わん--

 --我が守護天使の御名において契約の行使を保証せり--

 --大地に眠る大いなる豊穣と返還の理の力をここに示せ--

大地爆裂トレイル・ブレイク!』


 両手を突き上げたカナリアの周囲の地面が輝き、魔法陣が浮かび上がる。

 次の瞬間、周囲を巻き込み地面が激しく爆裂する。

 大地に眠る魔素を精霊の力を借りて活性化し爆発を起こす本来は農地の開墾等で用いられる大規模魔術である。

 もっとも今回は錬金術による魔素の強制励起と、簡易魔法陣による強制発動など、術式の省略を行っているため、本来の威力に比べれば非常に弱い状態での発動だった。(とは言え、術者の周囲にいた人間を吹き飛ばし気絶させる程度の威力はある)

「さすが本格的な魔術。凄い威力ね。」

 術の発動直前に効果範囲から逃れていたアッシュがカナリアに歩み寄りながら話しかける。

「まあね。でもやっぱり、牽制するふりをして魔法陣を描きつつ、魔素励起を行うって思っていた以上にしんどかったわ。それに何度も仕える手じゃないから、これからはもっと実戦向きの魔術を考えないと。」

 自分に殺到していた槍使いたちが衝撃で気絶しているのを確認しながらカナリアが答える。その顔は少し疲れの色が見えている。

「ともかくこいつらを衛兵たちに引き渡したら会場に戻るわ。スイユンが心配でしょ?」

 近づいてくる衛兵の気配を感じたアッシュがカナリアに語りかける。

 それに対しカナリアは杖に身体を預けながら「そうね」と微笑んだ。


 槍使いが言った様にアッシュは試合へ乱入した事で失格となっており、決勝は不戦敗となった。

 その為、スイユンが優勝となりその賞金でジョッシュの借金を返済。

 その直後、何かの罪でウィルバートが衛兵に連行されていったとの事だが、詳しいことはカナリアたちは気にしていなかった。

 むしろ、大会直後にワンウが家を引き払い祖国へ戻る事を告げたことのほうが重大だった。

 ワンウの語る所によれば、スイユンへ教えることは一通り教えたので帰国するとのことだった。まだ奥義について教えを受けていないとすがるスイユンに対し、

「奥義は基本の中にある。実践をもって己の技を磨くとよい。」と諭した。

 そしてカナリアたちに一つの願いを告げる。

魔術師カナリア殿、剣士アッシュ殿。すまないが我が弟子をお二人の旅に同行させては頂けないだろうか。見返りとして渡せる物が無いが必ずやお役に立つと思います。」

 唐突な申し出に一瞬戸惑うカナリアだったが、スイユンの方を一度見た後に答える。

「本人が望むなら、旅の仲間として彼女スイユンを迎え入れます。」

 それはワンウに向けた言葉ではなくスイユンへの確認だった。

 回答に一度躊躇するスイユンだったが、意を決し答えた。

「カナリアさん。わたし、一緒に旅をさせてください。故郷を離れるのは寂しいけど。ここにいたら何も始まらない気がするんです。」

 それを聞いたワンウはどこか寂しさを感じさせつつ微笑む。

「では決まり。改めてよろしくね。」

 カナリアが右手を差し出す。それをスイユンはおずおずと握り返す。そしてその上にアッシュが両手を添えた。

 スイユンが思わずカナリアとアッシュの顔を交互に見つめる。2人とも微笑んでいる。

 迎え入れてもらえたと感じたスイユンは涙が溢れてきた。同世代の尊敬できる人たちと共に行動できることが嬉しかったのだ。

「そうそう。旅を一緒にするんだから「さん」付けや敬語は不要よ。わたしたちは仲間なんだからね。」

 カナリアの言葉に涙を拭きながら「はい!」と答えるスイユンを見たワンウはその場から何も言わず姿を消した。これ以上の言葉は不要とばかりに。


 翌日。宿を後にしたカナリアとアッシュは、薄赤色の道着の上から旅道具とマントを羽織ったスイユンを迎え、3人でリートの街を後にした。

 道を先行して歩くスイユンアッシュの2人を見ながらカナリアは、2人との関係がうまく続くこと願いながら歩むを進めた。

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