第42話

 穀物と日持ちする一般的な農作物や薬草の類、それから材木として乾燥前の丸太。

 そして布など農村で生産可能な中間素材などを隣の王家直轄領から輸入している。

 日持ちしにくいため大量消費地である王都近辺でしか生産されていない農作物やある程度以上の品質を求めたい道具、例えば金属の農具などを王都から輸入している。


「輸入は一時金で賄えているから、農地拡大が成功すれば……でも領民をさらに受け入れて拡大を続けるならしばらく維持しなければならないか。贅沢品は輸入頼りね」


 領内では新たな農地の準備が進められており、鍛冶をはじめとする最低限必要な職人と工房が活動を開始、森からの採取物、魔物肉をはじめとする魔物素材などが産出されている。

 神殿は領の規模からすると立派すぎるものが並び立ち、開拓者協会の支部も職員の数では回しきれないのではないかという大きさの建物ができた。いずれも追加の人員を呼ぶ検討をしている。

 さらにラビットという国内有数の組織の実験場と出張所、それとは別に温室栽培の実験場が作られる。


「金銭神官がいると話が早いわね。『では代わりに』と言ってもらえば話が進みやすいもの」


 森の奥の情報は集まってきており、間引きの計画が検討されている。また、いくつかのチームが旧領都にたどり着き、魔動石を持ち帰ってきた。

 アール伯直属の戦力である騎士隊は訓練と歩哨を繰り返し、練度を高めようとしている。

 領民に基礎的な訓練を施す。

 ひとつ、魔物に対する護身。最悪腰を抜かさず走って逃げることができるように、可能なら集まって追い返せるように。

 将来的に職業戦闘技能者、つまり冒険者や騎士、兵士が生まれればよい。

 ひとつ、魔力回復と魔力量増加。魔法を教えなくとも、現在は魔動石生成リングがある。この道具の効率を高めるという名目でラビットが訓練法の伝授を請け負った。魔動石の生産量が増えるのは本人、領、ラビットいずれも利益になる。



「魔動石生成リングを持っていない領民に支給して魔動石を買い上げれば貨幣を持たせることができるわね。リングの費用は分割で天引きと分割払いはどちらがいいか。無料至急はすでに持っている者が不満を持つわよね」


 直近の課題は二つ。農地の稼働と手持ち戦力の確保・増強だ。

 魔物領域に接する以上、戦力はいくらでも欲しい。最悪どんな事態でも王都からの援軍が来るまで耐えられるだけは必要だ。

 片道七日。現状ではとてもなりない。

 それだけの戦力を常備し養うための経済力も必要。今確保している領の広さではとても足りない。

 農地から上がる収入だけでは足りない。それを生み出さなければならない。



 エニィは書類をめくる手をとめ、伸びをした。

 そろそろ日が昇る。

 いつも以上に早い時間に動くため、寝過ごすのを恐れて前日に早く休みすぎ早く起きすぎた。

 書類の確認の時間ができたのは結果的に良かったか。


「姫……我が主、時間ですぞ」

「今出るわ」


 今日のために領主屋敷(仮設)に来てもらったアーク代官に返事を返し、家紋が刺繍されたマントを羽織り、とんがり帽子をかぶる。

 魔導師の正式な衣装だ。

 そして軍用ではない儀式用の杖を手に取り、部屋を出る。


「おまたせ、それじゃあ後はお願いね」

「お任せくだされ。主もしっかり」

「あら。まだ子ども扱い?」

「ああいや、秘密にしておいてくだされ」

「ぷっ」


 エニィは思わず吹き出した。

 本人に言ってどうするのか。

 アーク代官はわははと笑う。


「行ってくるわ」

「お気をつけて」





 今日は豊穣祈願祭である。

 豊穣祈願祭とはその名前の通り豊穣を祈願するための祭祀。

 農地を前にして豊穣神官が執り行う三日三晩の儀式だ。

 七日七晩の儀式は神官の格が足りず残念ながら行えないが、丸一日の儀式と比べれば大きな効果が得られるのは魔法知識的にも当然のことである。


 豊穣神官が執り行うというが、その土地の管理者もまた参加する必要がある。

 さらに関係する者が参加すればしただけ効果が補強されるらしい。

 豊穣神と姉妹である大地神の神官や、豊穣をもたらすための慈雨に関わる水神の神官も参加する。


 農地の前で領民は火を囲んで歌い踊り飲み食いする。

 神官は祭壇で祈りをささげる。

 土地の管理者であるエニィは最初と最後だけ祭壇にいればいい。

 そういう儀式だが、今回は少し実験的なことを取り入れることになっている。

 現状のアール領の中央、中村のさらに中央、水路結界の中心で魔法増幅の効果を受けて、領域内の農地予定地全てに豊穣神の祝福を振りまく試みだ。

 そのため、エニィも三日三晩祭壇で魔法を管理しなければならない。

 本来の何十倍もの広さでなおかつ遠隔で範囲を操作するのだ、結界の力を借りても結構な負担となる。それだけやっても、初の試みで失敗の可能性もある。

 祭壇を儀式用に整えるための使いきりの祭具や供物、参加する領民に供するごちそうに、毎回使えるがこの度が初回故に高い買い物をまとめてすることになる祭具も、豊穣神殿側が用意するということになっているが、寄進で賄うのだからアール伯が持つのと変わらない。もっとも、神殿丸ごと用意するよりは安いものだが。

 ともかくこれだけやって失敗でしたとなったら目も当てられない。

 神聖魔法が魔法である以上、そして様々な傍証から、理論上はうまくいくはずだが。


 今回の開拓の切り札であり、同時にすべての計画はこの儀式が成功する前提である。賭けだ。分は悪くないと信じているが、失敗したら……。なんとしてでも豊穣神に願いを通し力を貸してもらわなければならない。

 エニィにとっては魔物の制圧などよりもよほど重要な戦いだ。



「司祭様、今日はよろしくお願いします」

「ええ、ええ、もちろんですとも。新たな境地、成功させましょう」


 初の試みへの挑戦、渋る豊穣神官、煽る金銭神官。「そちらでやらないのなら、こちらでやりますが構いませんね」やられた側は痛い。


 金銭神官は銭ゲバで守銭奴で他のすべての神々の競合相手でカネを積めばなんでもするいやな奴らという印象を持つ者がいるがそれは間違いだ。

 その本懐は交流。

 金銭を介し交流を促すのが彼らの目的であり手段なのだ。

 だからカネを積んでも交流を妨げるような真似には手を出さないし、手を出せば加護を失う。

 必要なら嘘もつくし騙しもするが悪い神格ではない。


 今回も他の神官の力を借りるため、つまり交流の一形態を行うために、金銭神官の力を借りた。もちろんカネを積んで。


 成功すれば神官としても新しい発見、新しい境地へ到達できる可能性がある。

 祭祀と結界魔法を組み合わせて効果を拡大できるとするなら、豊穣神殿にとっても大きな力になるだろう。

 その代わり失敗すれば神々の力を悪用しようとした不遜な神官と評価が地に墜ちる。

 普通ならそんな危険を冒すことはないだろうが。

 やらないなら金銭神官がやるとなれば話は変わる。本領において先を越されてしまうのは豊穣神が金銭神に劣るとみなされかねない。それは受け入れられない。


 エニィはそういう状況をつくり協力を求めた。豊穣神官の態度に若干の棘があるのはそのためだ。

 失敗すればエニィはひどい目にあうだろう。

 しかし、どうせ後がない。

 事ここに及べば成功させねばならないのはエニィも豊穣神官も同じ。

 やるべきことは一致した。

 他の神官の支援も受け、ラビットの知恵と経験も借りた。

 現状でできることはやった。

 後は成功させることだ。


 エニィは大きく深呼吸をし、豊穣祈願祭の開始を宣言した。

 同時に、地の果てから太陽が顔を出した。

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