第39話
「いいですよ」
「ありがとう」
ラビットの社員食堂の主、メッシは雇用主であるラビットの職員の中でも異彩を放つちっちゃいエルフの提案を受け、首を縦に振った。
「よしてください、その代わりちゃんと報酬はいただきますし、首の保証の方も……」
「それはもちろん。ありがとね、料理教室なんて無理お願いしちゃって」
技術と知識は独占してこそ儲かる、というのは常識である。
儲かるということはそれだけ贅沢ができる、それだけ多くの人の口を賄えるということ。家族を増やせる、家族を豊かにできる、ということだ。
そして独占は将来への保証でもある。
みんなにとって必要なことが、自分にしかできないならば、その技術を独占して伝え続ければ子孫が食い扶持に困ることはなくなる。
「断っても補助のお姉さん方から広まるでしょう。それならこちらからやったほうが心証もいいでしょう。ここで暮らしていこうってんですから」
もちろん一人で多くの人の分まで賄うには限界があり、必要十分なだけ、技術を広めることになる。
しかし、技術を広めた結果、元の持ち主が仕事を失う、つまり飯も食えず住むところもなく着るものも新しくできない生活に落ちぶれてしまっていいものか。
よくはないのでギルドを作る。
ギルドは技術をどこまで広めるかを決め、技術を盗むもの、奪うものと戦うための相互扶助組織である。
そうやって仲間を守り、技術を守り、必要十分なだけの供給を調整し、仲間を含む皆に恩恵をもたらす。
共倒れを防ぎ、外敵と戦い、生活を保障し合うための組織、それがギルドだ。
宿屋ギルドであったり鍛冶ギルドであったり、株という「その仕事をする権利」の持ち主の上限を定め、過剰にあるいは過少にならないようにする組織は、職種ごとに多数存在しており、飯屋ギルドというものもある。
農民にはギルドはないが、農地を持つ村を収める領主が、他の職種におけるギルドに近い役割を果たしている。
外敵を排除し、人口を調整し、農業技術を伝えさせ、問題があれば解決する。農地には限りがあるので奪い合いが起きないよう統制し、また継承についても口出しする。ほぼ同じである。
また、魔法使いギルドなどはまた少し違うのだが、今回は置いておく。
しかしアール伯領では、そんなギルドの影響は薄い。
基本的にギルドは都市一つを管理するものだ。それより広範囲になると連携が取れない。
ものによっては領一つ、国一つを管理する場合もある。あるいは国をまたがるギルドもあったと言われる。過去形だ。
そしてこれまでギルドが存在する余地すらない零細領だった、そして現在拡大を始めたばかりのアール伯領にギルドは存在しないのだ。
だから好き放題できる、ということではない。
極端な例を挙げると、領民が全員鍛冶屋になったら食料が無くなり外敵からの防衛戦力もなくなり、製品を作っても都市などは既存のギルドによって流入を遮断され売り先を見つけられず、見つけたとしても需要がすぐに満たされ品がダブついて売れなくなりみんなで共倒れである。
もちろんアール伯はそんなことにはならないしさせないだろうが。
ずいぶん話がそれたが、技術の独占はそれだけ大事なのだ。多くの人の今と未来を守るために。
しかしこの度、ラビットからメッシに料理教室を開いてもらえないかという提案がなされた。
このジューロシャ王国で最も料理が発展しているのは王都である。需要の大きさもあるが、なにより食材の種類が多いためである。食材の組み合わせ、使い方によって料理の種類は増える。王国最大の都市には人、モノ、カネが集まるのだからそうなるのは自然なことである。
メッシはその王都の飯屋の次男だ。ラビット玩具開発の社員の行きつけの店だった。
王都で通用する技術を持ちつつ、後を継げない可能性が高い。兄が不適格とされるか何らかの理由でいなくなるかしなければないだろう。
ラビットの勧誘を受けたのは、そのためだ。勤務地は恐ろしい辺境とはいえ、ラビット玩具開発の面々がいくなら相応の警備があるだろうし、社員食堂などという安定した客入りが見込めるのに専門家として自らが采配を振るえる場所というのも気になった。
メッシには料理しかない。
都市でギルドの恩恵に与る者はほぼ親に親の職の技術を仕込まれる。株を継ぐために必要な水準の技術を身につけなければならないからだ。
飯屋は継げなかったが料理しかない。
だから辺境に来ることになった。
本来アール伯領では様々な食材は手に入らないので王都の料理技術は不要である。
しかし、ラビットの社員食堂はその食材を独自に輸入しているため事情が違う。
そして人数分、いやそれ以上の食事を用意するにはメッシ一人では手が足りない。
そのため現地採用で調理補助に人を雇っているのだ。
そういう状況で、アール伯領全体で食材の輸入種類を増やすので地元の人に扱いを教えてやって欲しいと、ラビットに話が持ち込まれる。
当然ラビットはメッシに話しを持ってくる。
技術は独占すべきものだ。この提案は場合によっては殴られたり追い出されたりしてもおかしくない。
しかし、運用するにも人手が必要である。
多くの場合、弟子や見習いをその人手に当てるわけだがメッシには弟子も見習いもおらず、現地のお姉さま方を雇っている。
当然王都の食材の扱いも必要なだけ教えているし、扱うのに必要な料理の基本も教えている。
そしてそれ以上にメッシの料理のしかたを見せている。
作業量を考えれば秘匿する余裕もない。
王都の水準の料理を提供するために雇われているのだ、メッシはそれだけ働かなければならない。
放っておいても技術は知られるのだ。
そして、アール伯がその方針を選択した以上、メッシが断れば別の教師役を用意するだろう。
王都ならギルドから苦情を申し立てるところだが、アール伯領にギルドはない。メッシの独占を守ってくれる守護者はいないのだ。
そしてメッシ同様に王都の調理技術を持つものが参入し料理の教師という立場へつくというのは、メッシによって技術が広まることよりもメッシにとって不利益になりかねない。
料理を教えてくれる師匠と、教えてくれなかった他人、どちらが重く見られるだろうか。考えるまでもないだろう。
さらに新たに来る料理人がメッシより料理が下手である確証もない。
メッシは現在唯一といっていい専業料理人だ。第一人者である。
現在から近い将来にかけて、メッシが一番なのだ。
そしてその先、アール伯領に飯屋ギルドができる時、一番であるメッシがどういう立場になるか……という皮算用もある。
技術は独占すべきである。
だが状況によっては広めることも必要になる。
メッシは実質的に選択肢はない。しかし前向きに考えることにしたのだ。これはいい機会だと。
「それもだけどさ、絶対すごい忙しくなるからさ」
「まあ、なんとかしますよ。知ってますか、仕事ができる男はモテるんですよ」
「あはは、そうだね、快く引き受けてくれるのはカッコいいね」
メッシには一つ、料理とは別にやるべきことがある。
それは嫁取りだ。
メッシは独身なのである。身軽だからこそアール伯領に来る決心ができたのもある。
嫁が欲しい。アール伯領に骨をうずめるつもりならなおさらだ。
だが仕事が忙しくて出会いがない。
現在、社員食堂で手伝ってくれているのは人妻ばかりだ。
嫁にはできない。そんなことをしたら屈強な辺境の旦那に殺される。こわい。
そんな状況で料理教室の先生である。
出会いの機会だ。
逃したくない。
労力については、調理補助の人数を増やし仕事の合間に教える形で考えている。
やはり実際に仕事を見て、そして手伝ってもらうのが一番早い。
そして気が合いそうな娘を探すのだ。
メッシの甘い見通しは外れ、ものすごい忙しくなって苦労するのは別の話。
ただ、後々結婚はできたのでよかったね。
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